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【どう思う?】いい人なのに平社員の定年目前おじさん

人としてはいい人だけれど、会社に評価されていない人っていますよね。

たとえいい人であっても、仕事ができず評価されていない人は、馬鹿にされても仕方ないのでしょうか?

これは、私が新卒で入社した商社で1番お世話になった人であり、最も心に残っているおじさんの話です。



おじさんは50代後半で、新卒で入社してからずっとこの会社にいると言っていました。

社歴も年齢も部署内では1番上でしたが、役職はなく、いわゆる“平社員”でした。

私は営業事務として入社したので、複数名の営業マンの担当を任されていました。

おじさんは私が入社して最初に担当した営業マンの1人でした。

初めはあまりにもおじさんの年齢が上なこともあり、とても緊張していました。

というか、私は、ほとんど全ての社員に対して緊張していました。

私は営業マンから業務を依頼される役割だったのですが、依頼の方法は人によって様々でした。

営業事務の仕事量はかなり多く、日々業務の効率化やシステム化がすすめられていました。

それでも40代後半より年齢が上の方は、順応するのに時間がかかる印象でした。

おじさんもその代表例でした。

いつもすごく忙しそうで、よくよく話を聞いてみると、手作業でとんでもない量のデータを扱っていました。

昔の人だからなのか、それともただ字が汚いだけなのか、おじさんの文字はとにかく読めなくて、読めるようになるまで半年くらいかかりました。

私は新人だったのでミスをすることも多々ありました。

人のせいにするのはよくないですが、正直、おじさんの指示が分かりにくいせいでミスに繋がったこともありました。

営業事務は営業マンの仕事を手伝っているので、ミスをすると営業マンからお叱りを受けることになります。

あんなにミスばかりしていたのに、私はおじさんに怒られた記憶がありません。

でもおじさんは年下の上司にいつも怒られて、鼻で笑われていました。


私は2020年のコロナ禍に入社したので、社内ではあまり私語をしては行けない雰囲気が漂っていました。

それに当時の私は、社会に対して斜に構えていたし、ずっと社内の大半の人間に心を開けないでいました。

そんな私に、おじさんはよく雑談をしてくれました。

おじさんの家族の話とか、もう何を話したかも忘れたけれど、コミュニケーションをとってくれました。

ミスを怒らないでいてくれたこと。コミュニケーションをとってくれたこと。この2つが私の新社会人生活を助けてくれました。

おじさんならではの面倒な部分も多少はあったけれど、自分の父親に置き換えたら許すことができました。

反対に自分の父親をおじさんに置き換えたら、父親にも優しくなれた気がします。


私が退職することを伝えた時、おじさんは「楽しくないんでしょ?」と言いました。

その時のこと、その言葉が、
なぜだかすごく胸に響きました。

今でも忘れられません。

おじさんと私は、性別も年齢も、生きてきた時代も、何もかも違うけれどいい人と出会えたなと思います。

もう一生会うことはないと思うけれど、一生忘れることもないのだろうなと思っています。

会社での立場や評価って、人としての素晴らしさとは全く別のベクトルなのかもしれないと感じると、やるせない気持ちになります。

でもおじさんはそういうことにいちいち文句を言わない“大人”なのだろうなと思います。

私はあれから4年経ってもまだまだ子供のままなので、そろそろ大人になれるといいなあ。

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