私の人生に関わってくれてありがとうの気持ち

以前の投稿にあった『生きにくそうな友達』の話に続きが出来たので、私の心境をブログで発信したい。

彼女と少し距離を置きたいと思った矢先、遊びの誘いがあった。私は、LINEの返信にめちゃくちゃ戸惑った。今までにないくらい、『何て返信したらいいのか、かといってストレートに思ってることを伝える気持ちにもならない』みたいな葛藤を、半日以上も私の脳内で繰り広げていた。(以前からも何度もブログに登場している)『元気な友達』に話してみたけど、その友達と私は、やっぱり別の人間だ。『めちゃくちゃストレートに思ってることを伝えるタイプ』の子なので、私が戸惑っていることさえも不思議そうにしていた。私は逆に、『今、わざわざ自分からストレートに伝えたい訳じゃない。だけど、長時間一緒に過ごすことはちょっと疲れるから嫌だな』と言う気持ちだった。しかし、それを本人に伝える言葉に模索した結果、私は1度は断った。その日、わざわざ断る理由を作るために別の予定を入れてまでも、『嘘ついて断るのは嫌』だった。でもその後すぐに別の日を候補として誘ってきたことで、私の頭の中が更に忙しくなったのである。返信を遅らせた私は、「予定は無いけど、遊ぶ気分じゃない」ってことを伝えた。この内容に対して彼女が何を言ってくるのか。それ次第で、私の胸の内を全て伝えるつもりだった。しかしそれが検討違いだったようで、彼女は、「お土産を渡したかったんだけど、またの機会でいいや」と送ってきた。私の思考は、また更に忙しくなった。私の頭の中は、一瞬で『????』がいっぱいになった。「お土産」なんてワードは初めてだったし、そのために遊びに誘うなら『最初から言ってよ』って感じだ。私は、あくまでも、『長時間を共にすることに抵抗があった』だけだ。お土産だけなら、短時間で終わる話。(以前も投稿内容にあったように)彼女の家は、私の通勤途中の駅が最寄り駅。そこから徒歩10分弱なので、わざわざ日にちを決める程でもない。私は、彼女の『お土産を渡したかった』って気持ちは無下にしたくないし、友達やめる!なんて気持ちも全くなかった。だから、「それなら仕事帰りに受け取りに行こうかー?」って返信した。(ちなみに彼女は、自分からわざわざ行動するタイプではないと分かっている)そしたら彼女は、『当日の朝までに連絡あれば問題ない』との事で了承した。しかし私は相変わらず、当日の午後になって連絡をしたところ、彼女の都合は良かったようで、無事にお土産を受け取った。彼女の家の玄関先でのやり取りなので、私は「お土産ありがとうね」っと伝え、特にそれ以上の話は考えていなかった。彼女も、「わざわざ来てくれてありがとう」と言ったので、こちらも「いえいえ😊」みたいな感じ。
ところが、予期せぬ感じで、「この前は言い過ぎちゃってごめんね?」と彼女が言った。私は、思わず「ん?なんの事??」と聞き返した。するとその返答が「あなたのこと思い過ぎちゃって、つい余計なことも言っちゃたから。」と。私は、確信的な返答ではなかったが故に、『個人的に思い当たること』を再度聞き返したのだが、またも彼女からの返答は曖昧だった。その後、確信的な話をする気にはならなかった私は、「その事については、自分の感覚でやってるから大丈夫だよー」と笑顔で言った(つもり)。そして、それ以上のことを話すでもなく別れたのである。

私は、この思わぬ出来事を黙ってはいられず『元気な友達』に話したのだ。すると、こっちの友達は、「謝ってる確信的な事、何でその子に聞かんかったのよー?明確にしないと分からんじゃん。他にもm__lovemiの思ってることあるんだから、何で言わなかったのよ?」と色々聞いてきた。むしろ、「そんな友達私は付き合わないわ。m__lovemiは、よく友達やってられるよね。」と言っていたが、私は私の価値観を話した。すると、「んまぁ、決めるのはm__lovemiだからね。私はそれ以上のことは別に言わんけど、m__lovemiは変わってる」と笑って言っていた。それに対して私は、【新たに気づいた私の価値観】を発信したい。
少し具体的に説明すると、要は、『私にとってどんな感情をももたらす相手』であっても、『貴重な出会いである』というこの一言に尽きる。『出会いから生まれる自分の感情』が必ずあるはずだと考えるので、結果的に自分で向き合うことになると思う。そして私は、『そこから得るもの』が確実にあると実感してきた。それが【自分の人生観】に繋がると思うからこそ、『私の人生の中で出会ってくれてありがとう』と思う気持ちが芽生えたのは、つい最近のこと。『人間きっと誰だって、自分次第で変われること』を、私は強く伝えたい。『過去の私』も『今の私』も引っ括めて全部が私。つまり、『どんな人間でも変われる希望があるはずだ』と信じたい。『自分から相手を大事に思いたい』し、『そしたらいつか、胸張って幸せを語り合えるお互いになれるかもしれない』なんていう希望さえ、根強く持っている私なのである。
また、人間生きていれば、誰だって何にだって、『様々な感情が芽生えて当たり前』だということある。例えどんなにネガティブになるような相手であっても、私は自分からは切りたくない。何故なら、私だって他人から見た時に【印象ばかりなんてことは、ありえない】から。『自分がなんぼの人間なんだ?』と最近よく自問する。出会った人間同士、【互いの価値観を尊重】して生きてこそ【人間としての成長】があるのではないだろうか。そんな日常とその都度向き合い、『1人じゃない』からこそ乗り越えて生きていける。

たった1度の私の人生で、たまたま出会った『貴重な存在』だ。その『貴重な出会い』の連続で、今の私が成り立っている。いい事ばかりじゃないと思って生きていた頃もあったけど、その『出会いが今の私に繋がっている事』は間違いない。『1人として同じ人間など存在しない』のだから、『他人の価値観』に対して芽生える感情は、『全て自分の感情』だと考える。自分の感情1つで、『貴重な出会い』から自分の今後の人生に『繋げること』も『切ること』も自分が選択して生きていくのだろう。ただ、私の人生の中で出会う『貴重な存在』に対しては、『あなたのお陰で【新たな価値観】を知ることができたよ。』という【自分の人生経験の1部】として感謝したい。あくまでも、ベースは自分なのだから。

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