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なぜ教育のことを書きにくいかと言えばそれは格差のせい

私は毎日育児が楽しいって思ってる。人間の能力と可能性、環境に応じてどんな変化を見せるのか、その観察が超楽しい。

息子のことは愛しているし、なるべく選択肢を与えてやりたいと思うし、できる限りの環境を用意してやりたいと考えてる。
だけど知育に関しては母の趣味だよなーって思ってる。息子のためにもなっていると信じているけど、単純に人間の観察が楽しい。

私がやりたいからやっているけど彼の人生の主役は彼なので、無理強いはしない、と決めてる。母は、色々な「はたらきかけ」をしてみては、彼がどんな変化を見せるのか観察し、見守っている、それだけだ。私がやりたくてやってる趣味の世界。

でね、その楽しい知育の話を note 書きたいと何度か思ったことがあるのさ。しかし、不思議と筆が進まない。自分が好きなことのはずなのに書けない、それはなぜなのか。

端的に言えば、育児はとてもデリケートな話題であり、教育には格差がある。だから「人の悪意を浴びやすい」と考えているからなんだよね。

基本的に「できない」状態を晒すことは相手を油断させ、安心感を与える。
人は自分のこどもが一番可愛いに決まっている、というか生物としてそう設計されていて然るべきなので、他人と比較すればその相手を心のなかで落としたくなる。そういう風にできてるはずだ。

正直、育児なんて個体差も大きいし人と比べても仕方がないことなんだけど、もしも比べられて憎まれたら嫌だなぁと潜在的に感じている私がいた。

自分のこどもに対する愛や知育熱を表現することは危険であると本能的が警鐘を鳴らしていたのである。


でも、息子が通っている幼児教室ではそんなことはなかった。少なくとも私は他の子と息子を比べて悔しいとか相手の子を憎いと思ったことは一度もない。

他の子の方が上手にできることは素直に「すごいな〜」と思うし、同年代でそれができるということが勇気になった。ライバルはやってみたらできるかもしれないんだという発見を与えてくれた。

ここにひとつの望みをかけてみよう、と思った。


私は今たまたま東京に住んでいて、たまたま良い先生に巡り会えて、たまたま良い友人に巡り会えた。私は、今通っている幼児教室で「こどもへの向き合い方」のヒントをたくさん得た。それは本当に偶然ラッキーだっただけなんだと思っている。
そしてそのコツみたいなものは本当に些細なことで、しかし毎日の積み重ねが効いてくる、といった類のものだ。

その学びを、情報を求めている人にもっと伝えられたら良いなと思った。

息子は保育園に通っておらず友達も少ないので、果たして彼は発達が遅いのか早いのか、できているのかできていないのか、正直よく分かっていない。そして息子の子育てが「成功」で「正しい」とも考えていない。

だけど、私はこうしてみたら良いと思ったよ、ということを書き残しておいたら、もしかしたらどこかの誰かに私のラッキーをお裾分けできるかもしれない。そう考えた。

とは言え、私は熱血教育ママでは全然ないので、蓋を開けたら「なーんだ、全然たいしたことないね」って言われちゃうかもしれない。

まぁそんなこんなで憎まれたり悪意を浴びることがあるかもしれないけど、note では尖っていこうと決めたので本当のことを法に触れず人を傷つけない範囲でぶっちゃけてみたいと思う。

Twitter に書く勇気はないけど note なら読みたい人しか読まないだろうからまぁ良いだろう、多分。

私というフィルターを通して学んだこと、見えた景色を書き残すことで、それを面白いと思ってくれる人が1人でもいたら幸せかも。

そんな意気込みの話でした。

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