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浄化のプロセス

ヨガをしていると、チャクラが浄化されていく。

チャクラが浄化されるということは、
過去に経験した感情が心に浮上してくるということ。

過去に経験したのだけれど、
その時の自分には責任を負いきれなかった感情。

要するにこれ、大抵の場合は「負の感情」。


こんなことを言うと拒絶心をいだかれてしまうかもしれないけれど、

人は物質性を持ち、その細胞全てで重力を受けとめたその瞬間から、トラウマを持つのではないだろうか。と、私は考えている。


生きること、それはトラウマの経験。
だからこそ、
生きることとは、癒やすことなのではないだろうか。


咀嚼しきれなかった負の感情は、
チャクラに蓄積されている。

それは、クンダリーニヨガをするとよく分かる。

何の期待も、予告もなしに、急に「負の感情」がエネルギーとして体内を浮遊しはじめる。


こんな時、クンダリーニヨガの強力なパワーを目の当たりにするのだけれど、私は指導者として、

・クンダリーニヨガに対する正しい知識
・心の浄化プロセスの失敗しない切り抜け方

この2点を提供する、その加減とタイミングが非常に難しいと感じている。


以前生徒さんの中にも「怒り」のエネルギーの浄化プロセスを自身の力で見守ることができずに、怒りの感情に支配されてしまった方がいた。

負の感情は、人の心を簡単に支配してしまう。


感情に支配されず、感情をマスターするためにヨガをしているのだけれど、
それでも深く重たい負の感情を溜めている人は、
簡単にエゴ(自我)の暴走に飲み込まれてしまう。


自分を深く癒やしたい、真に癒やしたい。
そんな人がクンダリーニヨガに辿り着くことに不思議はないと思う。

真に癒やされることを求める人がクンダリーニヨガを始めるということは、
人がこの地に誕生してから今日のこの時までの間に体験してきた「傷」を癒やす作業を自らの意思で引き受ける、ということになる。



しかしその本人が、自身の闇の深さに無自覚であることがほぼ100%なのだから、かなりの覚悟をして取り掛かって良いであろうとも思うのだ。

幼すぎて、若すぎて、引き受ける術を知り得なかったあの頃の心の傷。

大人になった今の自分が引き受ける。


しかし傷を抱えて到達した大人の自分は、強靭なエゴに覆われている。

まずは、そのエゴを宥めながら傷を傷として受け入れていく作業が欠かせない。


傷を受け入れること。
これが浄化の始まり。

だからこそ、強靭なエゴにとっては、浄化が「敵」なのだ。



強靭なエゴを持つ人は、
このようにして四六時中、戦闘状態だ。

常に自分の心と頭が対立している。
自分への攻撃を止めることができないでいる。

外の世界に向ける攻撃性は、
そんな自分への慰めなのだ。


どれだけ深く求める癒やしも、受け入れることができないほどに。
攻撃をすることで、自己正当化し続けてしまう。



過去の傷が浮遊してこなければ、癒やしは作用しない。

癒やしが作用しなければ、真実の自分は見えてこない。


過去の傷が「恐れ」となって、真実の自分に厚いベールを掛けている。

だからこういった人が見て生きる世界には「恐れ」が溢れている。


そう、強靭なエゴとは「恐れ」なのだ。



「あの時の生徒さんは、今どうしてらっしゃるだろうか?」


そんなことを時々想う。

いや、実を言うと頻繁に思っている。



過去の傷と向き合うことを飛び級して、
癒やしを手に入れたかったあの方は、


私とお別れしたあとに、ご自分の中の「怒り」と向き合う勇気に光を灯すようなご縁に恵まれただろうか。

そしてそのご縁に肖る勇気を振り絞ることができただろうか。


今となっては、あの頃の私が指導者として全く未熟だったと反省するほかないのだけれど。


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