【読書④】〜『最高の戦略教科書 孫子』を読んで・その2〜
昨年夏から朝や昼休みにちょっとずつちょっとずつ読み進めてきて、やっと読み終わった『最高の戦略教科書 孫子』。
前回の続きで今回も、本書で紹介されていた「孫子の兵法」の一節から、“野球に置き換えて考えると?”という観点で、私自身感じたことを書いてみようと思います。
前回は「不敗の態勢」について書きました。
今回は、「正」と「奇」について書こうと思います。
まずはじめに、
という言葉です。
「正」とは正攻法、逆に相手の隙や崩れをついた戦い方が「奇」となります。
敵の崩れた状態を、「正」の状態からの逸脱した「奇」と考えるということです。
本書では、「正」はまずがっぷり四つに組んで、相手の出方を見ようかという横綱相撲のようなものであり、「奇」はがっぷり四つに組んでいるうちに相手が隙を見せたら、うまくそこをついて勝とうとする感じと、相撲に例えて表現していました。
野球でいうと、
◯「正」─ バントでコツコツ走者を進めて得点圏に走者を進める作戦。投手は魂込めた全力投球や、打者はフルスイングといった1対1の真剣勝負。など
◯「奇」─ 盗塁、エンドラン、スクイズなどなど、といった戦略で相手の隙をついてかき回すこと
といった感じでしょうか。
「正」と「奇」の考え方は「不敗の態勢を守り、敵が崩れたところを突く」という前回の考え方とも重なってきます。
つまり、相手の弱点、隙を逃さず、崩すためにも、盗塁、エンドラン、スクイズなどといった作戦を使いこなせるようにしておく必要があるということです。
次に、
という言葉です。
「『奇』、つまり奇襲を受けた、奇手を放たれたと感じるのは『不意をつかれた』ときに他ならない。いくら相手が奇手を放ったと思っても、こちらが予想していれば、奇手になり得ない」と著者は述べています。
「奇」は「正」を予想している相手に行うから「奇」になるのであって、「奇」を予想している相手に「奇」を行ったら、それは「正」となるということです。
野球でいうと、相手が「スクイズ」を予想しているところで、こちらが「スクイズ」を仕掛けたら、相手にとってはこちらの作戦は“正攻法”になる。
その「スクイズ」という作戦は奇襲作戦でもなんでもなく、ただの“正攻法”であって、ウエストされ(わざと大きく外れたボール球を投げられて)空振りして、3塁走者タッチアウトで終わりになります。
「正」と「奇」の線引き、つまり“正攻法”と“奇襲作戦”の差というのは、“相手の裏をかけるかどうか”に収斂してくるということです。
『孫子』の一節でいうと、
このひと言に尽きます。
高校野球の世界では教育的観点から“フェアプレー”の精神で取り組み、相手を欺くようなプレーはしてはならないと指導します。
ここでいう“だましあい”とは戦術的な話です。
例えば、同点の最終回に先頭打者が出塁し、確実に走者を進めてくる場面のため、守備側はバントを警戒した守備シフトをひいたところで、バスター(バントをする素ぶりから切り替えて打つ作戦)をする、などです。
“相手が考えてもない、予測していない”プレーをする、という意味です。
2ストライクからのセーフティバントを決めたり、ホームスチールを決めたり、などをするところまでいけたら究極です。
その域まで達することができたら本当に強いと思います。
また、これまでこちら側が「奇」(奇襲作戦)を仕掛ける立場で書いていましたが、逆の場合もあります。
もちろんこちら側が「奇」(奇襲作戦)を仕掛けられることもあります。
防ぐ方法は、前回記した“敵情を把握”しておくことと、前もって相手の作戦を“予測”し、“事前確認”をしておくことになるかと思います。
(もちろん防ぐための日々の練習は当然必要です)
日々の実戦練習や練習試合の中で、相手の特徴や戦術、試合展開、局面などを察知し、試合の“流れ”を読め、感じとれる選手、チームになっていくしかありません。
◯ 相手が「正」を予測しているときに、「奇」で仕掛ける。
◯ 相手が「奇」を予測しているときに、「正」で仕掛ける。
◯ 相手が「正」で仕掛けてくるときに、「正」で攻めてくることを感じとる。
◯ 相手が「奇」で仕掛けてくるときに、「奇」で攻めてくることを感じとる。
これを不敗の態勢を守りつつ相手の隙が見えたときに突く、ということです。
この“嗅覚”を磨くしかありません。
日頃の練習(練習試合)から“感性を高める”しかないですね。
「正」と「奇」を感じとりながら戦い、相手に思うような展開にさせず、こちらの思い描いた展開に持ち込む。
『孫子』の中の言葉でまとめると、
です。
これは、次回投稿しようと思っている「勢」(勢い)の話にも繋がってくると思います。
今回は、これで終わりにします。
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