【教育のシャワー】〜“環境”が“人”をつくる〜
昨日卒業したクラスの生徒の話です。
生徒の書いてきた志望理由書
昨年の秋頃、こんなことがありました。
クラスのある女子生徒が、短大受験の出願で提出する志望理由書の下書きの添削をお願いしてきました。
その中の、高校での学習について記述する欄に、昨年5月に実施したワークである「“しつもんメンタルトレーニング”で本当の自分に気付いた」という内容を10行以上書いてきました。
まさか半年以上前の5月に行った、あの1回だけたった50分のワークが、そんな長く記憶に残っていたとは思わず、とてもびっくりしました。
教育・学びのシャワー
でもやはりこういうちょっとした経験から思うことは、私の職業は常に生徒たちに“教育のシャワー”をかけているということ。
そして、生徒たち自身が(良い意味でも悪い意味でも)教師の言うことすること為すことの一部に反応すること。
つまり(こちら側が期待している求めているところまで来ないとしても彼らの中で)成長したい伸ばしたいきっかけにしたいと思っている求めている必要としている“刺激” を、われわれの行っている言動や教育活動からキャッチし、学びを得ているということです。
言葉がまとまっていませんが、生徒たちは誰も成長したいと実は心の底では思っていて、そのきっかけを求めていて、そのきっかけを教師らの大人の発言や活動から得ようとしていて、知らないところで生徒たちが学んでいるということです。
表現はオーバーですが、今年度はクラスの生徒たちに時間と心を尽くしていた分、生徒たちからこちらへ気持ちや行動を返してくれていたのかもしれません。
われわれ教育者は、常に生徒たちに“学びのシャワー”をかけています。
というより「成長するための“スパイス”」をふりかけている、そんな感じなのかもしれません。
生徒個人を無視してこちらが求めている世界まで引き上げようとするようなメインディッシュ作りではなく、あくまで“スパイス”のイメージです。
外側から少しだけかけるだけで、味が目立っちゃいけません。
隠し味でいいんです。
なんかそんな感じです。笑
なんか伝わりましたか?この感じ。笑
教師が直接「あーしろこーしろ」「これダメこうなれ!」と言うよりも、
教室の整然さだとか、
雰囲気だとか、
教師の雰囲気だとか、
言動だとか、
クラス運営のシステムだとか、
与える教育活動の中身だとか、
要は、われわれが作る
のではないかと考えるようになりました。
そしてその後、その
ところまでいけばいいなと。
また新年度4月から、クラスでも、野球でも、そんなことを大事にしながら、これから先も頑張っていこうかなと考えています。
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