続)3️⃣本当にあった恐ろし〜い話❌説明❌教授の犬?
後日、別室で有希の家族を呼んでの医師からの説明があった。
プロジェクターでPETの画像が出ており、一部に集積が見られる。本来無いはずのところだから、それは一応異常ということになるだろう。しかし、大血管ではなく、とりあえずのところは血管炎を否定する所見にはなっただろう。
この時も、病態と作用機序の説明が丁寧にされ、対症療法の薬剤が強く勧められた。
流石はてんかんの専門家、GABAという神経伝達物質の説明はお手のもの。Glycineには触れていないが、きっと知ってはおり、患者用の説明を分かりやすくするために省いたのかもしれない。
GABAの抑制系が作用できないからと、GABA系の働きを増やすのが従来の薬剤。今Dr.臼井が勧めている薬剤は興奮系のGlutamineの作用を抑えることでバランスを改善しようとする薬。てんかんで非常に良い成績が出ており、有希の疾患にも効果があるであろうと予想されるそう。
「作用機序としては、症状は抑えそうなのは明らかなのよ。でも、異論があるのはそこじゃないの。」と有希は思う。
有希の家族がちょうどそのポイントを先生に分かってもらおうと必死に話し始めた。「対症療法を優先することで、免疫治療が遅れるのは危険です。それで何度も何度も死にそうになり、人工呼吸器に乗っているのです。」
対症療法をスタートし、それの効果を評価するために何週間も根本治療をせずに様子見をする。根本的な治療を遅らせることに反対なのは、有希も有希の家族も同じ。容態悪化時に根本治療が効果を発揮するまでの期間、命が脅かされる危険がある。その際に投与すべき薬剤の模索も重要かもしれない。しかし、そもそも根本治療で症状は改善する。再発して根本治療が急がれる時期に、その肝心な根本治療を遅らせたり、減量して投与してまで「今」対症療法薬の追求を優先すべきという考え方はどうだ? 根本治療は必要ならば明日からでも開始可能。それにも関わらず、改善するために100%必要な治療のスタートをどんどん遅らせ、病状の進行を待ってから今直ぐ始められる治療を開始することに異論があるのだ。
有希の家族は続ける。「根本治療を早期にガツンと徹底的に行えば、症状を取る薬剤をあれこれ加えずとも症状が取れるんです。可逆的な疾患なんです。対症療法ではなく、免疫治療をしてください。」
対症療法を断り根本治療をお願いすると、Dr.臼井はまたもや対症療法を勧めた。「教授は日本○○学会の会長であります。この分野では日本で一番の方です。その教授が薦めているこの新薬は効果が高くて安全です。パーキンソン病にも効果が出ています。パーキンソン病では、神経保護作用があるかもしれないです。対症療法だけかと思ったら、思わぬ副産物があるかもしれません。」
「変性疾患で神経死が遅れるのと、自己免疫疾患で免疫細胞に攻撃されて損傷を受けるのは違うんじゃないの?」と有希は疑問に思う。
いくら盾を強化したところで、ミサイルの発射と爆発を止めないことには、被害は確実に拡大する。そのミサイル発射が核爆発を誘発するものであれば、盾を木から金属に変えたところで、破壊は進む。
ミサイル発射の止め方が分かっており、手の届く方法なのだから、それを行わない理由はない。
やはり疑問が湧く。「一体全体何故、効果があると分かっている治療を差し置いてまで対症療法の薬剤を優先して投与しようとするの?」有希の頭の中は「❓」で溢れかえっている。
しかし、彼がその教授に気に入られ、今は順調に出世コースを進んでいることは見て分かる。教授への服従はDr.臼井が教授になるレールで保身を続けるためには必須なのだろうか?
「教授の機嫌取りで、絶対この薬使わないといけないの?」有希の頭をよぎった考えを打ち消しきれなかった。
有希と家族は目が合う。この時、言葉を交わさずともお互いに考えているであろうことが同じなのは通じた。
薬剤の原理を理解した上で断っているコチラとしては、誰が推していようが、意見に影響はない。
病状が有耶無耶になり、いよいよ危険になってから根本治療を開始したことで、重症化は免れず、症状の谷は非常に深くなってしまう。そして、この経験をしたのは、一度や二度ではない。(今私がこれを書いているということは、この時の初動のゆっくりさが後に大きな影響を長期間与え続けたということでもある。)
逆に、再発の時に直ぐに受診し、当日血漿交換を開始した2回はいずれも早期回復が見込めた。(直近の悪化では、初動が早く十分だったため、回復も速かった。)
この経験と各種疾患の一般常識を合わせると、早期発見と早期治療が予後を大きく改善するようだ。
そもそも初期に対症療法に絞った治療方針に反対なのであり、どの薬剤を対症療法に選択しようともそれは揺るがない。そもそもDr.臼井が必死に提示し続ける方針自体が懲り懲りなのだから、症状を誤魔化す薬剤がAだろうとBだろうと、関係ない。その薬剤が著効したとしても、根本治療を始めないことには病状が急速に進行することは普遍的な事実。薬剤の機序に異論があるのではないのだ。しかし、プロポフォールという麻酔の投与を受けてもなお、人工呼吸器が必要になった経験のある有希としては、流石に麻酔薬ほど強力でないこのてんかんのニューホープで不要な賭けに出ることに抵抗が強かったのも事実。今まで対症療法を投与することで根本治療が先送りにされることが、例外なく過酷な状況を招き、例外なく人工呼吸器が必要なほど重症になったから、対症療法のみの治療方針には絶対に同意できないのである。
さらに、Dr.臼井の説明でも、結局この時点で病状の指標になるのは症状だけということだった。治療計画もない中で、ただ症状を取ることは、治療を迷宮入りさせてしまう原因にもなりかねない。
有希の意志は固い。根本治療を優先する。
有希「対症療法での時間繋ぎはむしろ治療の遅れをさらに助長して害になる可能性があります。根本治療が円滑に進む中での対症療法ならば、今後検討する余地はあるかもしれませんが、現時点ではこの投薬には同意しません。」
現時点ではNO。
有希はこの薬剤の作用機序のポテンシャルには好印象を持っていた。同時に、対症療法は根本治療を差し置いて優先するものではないという意志も固く、根本治療で十分に回復するであろうことを経験的に知っていた。
寛解導入療法が必要な時期に
追記:
10年越しにPETやCTを取る意義を腫瘍の検索だと思っていたことで、必要性に疑問を持った有希。そして、本来PET/CTとCTはセットというのがセオリー。PETに装備されたCTはあくまで位置を把握する程度であり、診断的意義は不十分な場合も多々ある。臓器の正常・異常や病変の有無と形態の評価にはPETに含まれた超低容量CTではなく、CTの目的で撮影されたCTが重要とされる。
しかし、単純CTならば以前散々取られている。そして、血栓性病変の評価にはダイナミックCTが必要。単純CTでは見えず、結局後でダイナミックCTも追加で撮って被曝量が無駄に嵩むことも想像できた。
同時に、一度CTを撮り、撮影方の関係で映出不十分な病変の存在自体を否定されるリスクも念頭に置く必要があろう。さらに加えるのであれば、胸に腫瘍があり、マンモではなくMRが必要と言われたこともある。CTとマンモは違う。しかし、焦点を絞らない無作為検索が焦点を絞ったそれに劣ることもまた事実。
そのCT、本当に必要?
同時に、本当は必要ないCTが無いと、PETの値段がカバーされないのではないかという想像もした。ただ請求を円滑にするためだけに被曝量を増やす医学的意義は乏し可能性も頭をよぎった。
PETで陽性ないしグレーゾーンのことがもし見つかった後でCTを撮っても間に合うのでは?
まぁ、こんなにCTをやる意義が疑問視されるのであれば、PETをやる意義すら曖昧に思える。今思い返すと、PETに同意した理由もイマイチ分からなくなってしまう。
CTとPETを比較したら、内部被曝するPETの方が被曝は多いしダメージも大きい。
無駄な被曝を避けるのなら、両方断るのが得策だったかもしれない。
しかし、PETは今まで見えなかった何かを検出するかもしれない。CTが今のでなければいけない理由は、どうだろう? 以前の物を取り寄せればいいんじゃない? と、どっかで思ってもいた。
ぜひサポートよろしくお願いします。 ・治療費 ・学費 等 に使用し、より良い未来の構築に全力で取り組みます。