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突然死した弟が私の罪悪感を癒やしてくれたのでしょうか。それは願いに過ぎないですが…/私が行動を起こしたことが良かったのかも知れません。

MINO∞です。

言葉うまくまとまりませんが発信します。


私は死別した弟(突然死)と最後にあったのが祖母の家でした。

弟とはあまり会いませんでしたし、特に連絡を取り合うこともありませんでしたが、たまたま、初めて私が(いま思えば)呼ばれるようにわざわざ電車で祖母の家に向かったとき、

死別直前に弟の造り上げた店舗が祖母の家にあったので、弟が居て店舗完成の喜びを共有した直後の死でした。

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弟がそうだったように「祖母に会ったら、もう、次は会えない」そんな怖れが湧いて、祖母に会えずにいました。
今日は、祖母の卒寿で流石に会いに行きたいし会いたいと思っていたので、怖れを克服するために、いとこを誘って行きました。
元気そうで安心しました。

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わたしは根本裕幸カウンセラーの弟子講座を卒業し、現在はジュンコさんのセクシャリティ講座を受講しています。

そこで習ったこと。

それは、えずいたり、げっぷが出たりすることは
罪悪感が癒されている証拠だと。

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私は、今日、祖母の家で何度も何度もえずき、実際に吐き戻しもしました。

正直、えずいたり吐き戻すことはしんどいことですし肉体には負担ですが、「罪悪感が癒されている」と習っていたので引きずりませんでした。
むしろ、ありがとうという感謝の気持ちで浄化され、しばしぼんやりとしました。

祖母の家を出た後、カウンセラーの先輩にお会いしたのですが、その時はカウンセリングという形ではなくお茶をしただけですが、その時もずっとえずいていました。
気持ちは悪かったけれど、罪悪感は連鎖してなにか癒されているとしたらいいなと思いながら、対面する先輩を前にえずきを抑えて☕を飲んでいました。

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「スピリチュアルな身体の反応」といえる領域の話にはなるかも知れませんし、受け入れがたいひともいらっしゃると思う中でも、この記事を書いた理由は、私は長く、医学的には身体の異常がないのに、体調不良で苦しんできたからなのです。

特に顕著に顕れるようになったのは、大学で一人暮らしをしてからです。
スピリチュアルを嫌悪していましたが、正直、知らないことで苦しむ世界だってあるのですね。最近とみに思っているんです。

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お会いしたことがある人には伝わっていると思いますが、私の身体は丈夫です。ただし、丈夫に生まれてきたからこそ、ひとのために出来ることがあると教わったこともあり、それを私も望んでいます。

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弟が亡くなってからは
異常に吐くことが増えました。

間に合わなくてたいへんなことになったことも多々あります。
お酒も飲んでません。

大人になって、吐き気という予感もなく、子どものように床にまき散らかしてしまうほどの、突然の吐き戻しがあることに、意味がわからなくなりました。

でも、もしかしたら、罪悪感の癒しのプロセスだったのかも知れませんね。
証拠が示せる世界ではないと思うので「知れませんね」という表現になってしまいますが、私としては振り返って腑に落ちました。


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弟とはべつに生前べたべたしていたわけではありません。
物理的距離も地球の裏に住んでいたので遠かったです。

ただ、人生で本当に困ったときはお互いに助け合った仲ではあります。

いつも感情を感じられないわたしが
こと弟の死になると、父の死以上の激しい感情が動くのです。

弟が亡くなるまでは、毎日父を想っては涙をながしていました。「でも、お父さんごめん、弟の突然死は凌駕してもうた、ごめん」などと謝りながら、どこかで父は、父は見守ってくれる、兄弟愛を見守ってくれているという安心感のもとで、弟の死に対して湧いてくる感情に身を任せています。

悲しみに暮れているわけではなく、ご心配には及びませんが、生理現象のような感じです。

それは、双子のように育った弟との心理的距離は、安心安全の距離にあって、彼との兄弟愛がとてもシンプルだし、大きいし、だからこそ、正直に素直に感情が湧いている…そうだといいなと思いながら身を任せています。

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喪失や罪悪感や、スピリチュアルの領域の身体への表現など、散々文章が飛んでしまっているのですが、ここまで散文を読んで頂きましてありがとうございます。

MINO∞

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