「楽しさ」について 2020.06.15

毎回同じようなタイトルをつけていると自分でもわけがわからなくなってくる。日付をつけておけば順序もわかりやすいかなあと。さて。

浅野志津子著「生涯学習参加に影響を及ぼす学習動機」は,私がこんなふうに学習について心理学的に考えることのきっかけを作ってくれた1冊である。大学を卒業後,企業勤務,英会話教室講師を経て放送大学に入学,その後東京大学教育学部,修士と進み,お茶の水女子大に提出した博士論文をもとにしたのがこの本である。巻末の引用文献がきわめて不完全であるという難点をもっているにも関わらずこの本をリスペクトするのは,著者の経歴によるところも大きいが,研究が放送大学学生,すなわち成人学習者を対象としたものであること,そして,巻末に著者による学生への聞き取り調査の逐語録が収録されていることが大きい。

タイトルにはないが,浅野はここで学習動機,学習方略とともに,学習の楽しさについても尺度を作成して調査している。ここで注目するのは,この「楽しさ」についての検討である。

まず,浅野が「楽しさ」として研究対象にしているのは,嬉しさ,喜びなどを含めた「肯定的感情」である。研究で作成される尺度も,「楽しさ」の尺度ではあるが,項目には「嬉しい」「面白い」も用いられている。

次に先行研究のレビューである。肯定的感情は~を促進する,という形式で結論付けられる研究がいくつもあるのだが,これらは,肯定的感情を先行要因として,独立変数として扱ったものである。たとえば,肯定的感情を経験すると,他者に対する援助行動がより多くなる,みたいな。
教育場面におけるこのような「楽しさ」の扱いは,すでに速水が批判したように,「面白い問題」を与えれば子どもは動機づけを高めるが,結局,面白い課題でないとやる気を出さない,という結果になってしまう。
その一方で,肯定的感情は学習意欲と関連するという研究もあり,学習時,テスト時の楽しさは,興味,学習動機付け,時間と努力に関する自立的方略と相関する,という研究があるらしい。残念ながら元論文が探せない(文献リストにない!)ので詳細は不明だが,ここでの「楽しさ」は,学習時,テスト時とあるように,学習の遂行中に経験する感情について言及しているようにみえる。平たく言い直すと,学習活動を「楽しむ」ことができれば,というのが先行要因になっているようにみえる。ここで「楽しむ」は,活動に取り組むときの「態度」と言っていいだろう。
心理学では態度は,認知と感情と行動の3成分からなっているとする。目の前に提示された学習という活動をどのように認知し,どのような感情を抱き,どのような行動傾向(接近したいか,遠ざかりたいか)をもつか,という「態度」があり,日常的に「楽しむ」と形容できるような「態度」で学習をしているかどうかが,問題にされている。ある研究ではこれを「行動関連感情」とよんでいる。この視点は,注目されてよいと思う。

ところで,浅野がここで重視している研究は,Vallerand et al.(1992, 1993)の「学業動機づけ尺度」の研究である。浅野によればこれは,楽しさを分類した数少ない研究であるという。この尺度の特徴は,内発的動機づけを3分類していることである。それらは「知る喜び」「成就する喜び」「刺激を得る喜び」であると浅野はまとめている。
しかし,Vallerandらの論文をみると,このレビューのしかたは不当である。原文を少し引用すると,

These three types of IM can be identified as IM to know, to accomplish things, and to experience stimulation.

ここで「IM」は Intrinsic Motivation の略である。つまり内発的動機づけ。「IM to know」とあるので,「知りたいという内発的動機づけ」の意味である。2つ目3つ目ではIMが省略されているが,同じく「(何かを)成し遂げたいという内発的動機づけ」「刺激を体験したいという内発的動機づけ」という意味になるだろう。つまり,Vallerandらは,楽しさを分類したのではない。内発的動機づけを分類したのである。そして,それぞれ,経験する楽しさが異なると言っているのである。その結果として,3種類の楽しさが想定されたということになるだろう。ただ残念なことに,その後の研究ではこの3種類は1つの因子に統合されているようである。

とはいえ,楽しさにもいくつか種類があることは,Vallerandらの研究で示唆されている。ただしこの3分類は,先行研究のレビューに基づくものであり,学習者の実態を反映したものかどうかはわからない。そこで浅野は自由記述の分析をもとに,尺度を作成した。ただし,調査対象者は放送大学学生であり,この点がこの研究の魅力でもあり限界でもある。放送大学学生は,日本における成人学習者のうちの,一定割合を占めると思われ,とくに高等教育機関に在籍する成人学習者のかなりの割合を占めていると考えられる。そういう意味では,高等教育を受ける成人をある程度代表していると言えなくもないが,浅野も指摘しているように,やはり大学卒業の割合がかなり高く,日本人の成人を代表しているとはいえない。
といっても,学習の楽しさを分析した尺度は,いまのところ見当たらないのも事実である。尺度は3因子である。

第1因子「実用的楽しさ」(自分の仕事や活動,生活が学習に関係しているので楽しい,など3項目)
第2因子「多様思考の楽しさ」(学習によって多様な考え方ができるようになったことが嬉しい,など3項目)
第3因子「知る楽しさ」(知識が増えることが楽しい,など3項目)

調査に使用されたのは48項目だが,3因子を抽出後,因子負荷の高い項目を3項目ずつ選んで尺度化されており,このほかの項目は示されていない。ここもまた,残念な部分である。(だったらもともとの博士論文には書いてあるんだろうか? 見られるなら見てみたいが・・・お茶大・・・)
Vallerandらが示している3つの内発的動機づけに対応する「楽しさ」と比較すると,「知る楽しさ」が「IM to know」と対応しているようである。第2因子は,思考法や概念についての知識が多様な考え方ができることにつながっていると考えれば,「知る楽しさ」とある程度相関するだろう(浅野によれば因子間相関は .48)。第1因子の「実用的楽しさ」は,知った結果としての楽しさとも考えられるが,例示した項目では学習中に経験する感情としても読める。興味深い観点ではある。ただし,成人ではない,いわゆる「現役」学生とは縁遠い内容の因子であるようにみえる。

第1因子の例としてあげた項目は,学習中に経験する感情として読める。実際,浅野は,楽しさを学習動機の後に経験するものとして考えている。このことについて,興味深い先行研究がある。

西村貴美代氏によるこの論文は,氏の修士論文をもとに投稿されたもので,投稿時の肩書は小学校教諭である。小学生を対象に,重要だが好きな活動と重要だが好きでない活動について,課題に成功したとき,失敗したときにそれぞれどんな感情を抱くかを調査している。ただし実際の授業場面で行うことは困難であるので,シナリオ実験のような体裁をとっている。たいへんよく工夫された研究であるという印象を持った。

ここで西村が提示している仮説は,課題が好きか嫌いかという「行動関連感情」と,課題に成功したか失敗したかに基づく「結果関連感情」が合算された形で,学習行動にともなう感情が経験される,という仮説である。そして,おおむね仮説にそった結果を得ている。好きな課題を成功したときには,ポジティブ感情が強くネガティブ感情は最小である。好きな課題であれ嫌いな課題であれ,それを失敗すると,ポジティブ感情は最小でありネガティブ感情が大きい。ある意味当然の結果だが,西村によると好きな課題を失敗したほうが,嫌いな課題の失敗よりも,ネガティブ感情がより強いのだという。そして,嫌いな課題を成功したとき,ポジティブ感情もネガティブ感情も中くらいで,好きでも嫌いでもない課題がまだ遂行中のとき,ポジティブ感情もネガティブ感情も小さい。

小学生を対象にした,シナリオ実験であるので,そのまま一般化することは困難だが,学習についての感情は,課題への好き嫌いと,その遂行結果と,両方の影響を受けるという発想はよくわかるし,実際の話,そうなのだろうと思う。
この研究が興味深いのは実はこの後で,教員を対象に同じようなシナリオ実験をすると,小学生とは異なる反応をするのだそうだ。教師と小学生との「ずれ」を考察して西村はいう。

結果として,教師は「好・失」における児童のネガティブ感情を過小評価し,「嫌・失」における児童のネガティブ感情を過大評価する可能性を持つ(引用者注:「好・失」=好きな課題を失敗したとき,「嫌・失」=嫌いな課題を失敗したとき,の意味。p.50)

つまり,教師は子どもの気持ちを誤解する可能性があるのだよ,という警鐘を鳴らしているのである。なかなかどうして,面白い論文ではないか。この論文が引用されている研究は,Google Scholar では見つからず,JSTAGEでは,日本人著者による「食育」に関する英語論文が1件見つかるのみであった。今後の研究の進展に期待したい。(できれば寄与したいけど・・・)