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オーストラリアの医療と看護の歴史

オーストラリア最初の医療施設:ロックス・テントホスピタル

オーストラリアの最初の病院は1788年、シドニーのロックスという場所にテントホスピタルとしてスタートしました。イギリスからの囚人を乗せた第一艦隊で一緒にやってきたジョンホワイト外科医が受刑者の治療にあたり、看護師やそのほか病院スタッフとして働いていた人たちも同じ船でやってきた囚人たちでした。1790年、第二艦隊で持ち込まれた可搬式のプレハブの建物を追加することでテントホスピタルはの状況は改善されました。シドニーのロックスにあるこの場所を訪れると私はいつもノスタルジアを感じます。「オーストラリア初の医療機関はここからはじまったのだな~」と.......

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1816年シドニーホスピタル開院

1810年、当時のNSW州知事であったラクラン・マッコーリーは新しい病院の建設に着手しますが、政府には十分な資金がなかったため、ある策を提案します。3人の起業家にラム酒の独占販売権を許可し、その見返りに病院を建設するというWIN:WINの法則とでも呼びましょうか。このようないきさつから、シドニーホスピタルは当時、ラムホスピタルとも呼ばれていたようです。シドニーホスピタルの完成までに5-6年かかり、1816年 現在の場所マッコリ―ストリートで開院の運びとなりました。

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病気に苦しむ貧しい人たちは増え続け、政府は対策を検討します。そして、貧しい人々の家庭に薬を提供したり、治療を行うための慈善事業として、診療所を病院内に設立しました。しかしながら、病院は混沌とし、衛生状態は最悪なものでした。

イギリスから救世主現る:ナイチンゲール教育が始まる

1866年、当時の植民地長官であったヘンリー・パークスは、近代看護のパイオニアであるフローレンス・ナイチンゲールに手紙を書き、病院環境の改善のために、看護師を送ってほしいと依頼し、1867年12月に弟子のひとりであるルーシーオズバーンが5人の看護師と共にシドニーにやってきました。ナイチンゲール教育に基づいたオーストラリア最初の看護学校をシドニーホスピタルに設立しました。看護師の育成と病院の衛生状態の改善に尽力したオーストラリア最初のナースでした。1899年NSW州にオーストラリア初の看護協会The Australian Trained Nurses Association (ATNA)が設立されました。シドニーホスピタルの敷地内にナイチンゲールミュージアムがあります。(現在はCOVID-19の影響で閉館されています)ここに行くと、オーストラリアの医療や看護の歴史を学ぶことができます。(私はもう何度も足を運んでいますので、説明をほぼ覚えてしまいました。)

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Kanematsu Institution (兼松記念病理学研究所)

忘れてはならないのがこの方、1890年(明治23年)シドニーで羊毛の貿易会社を設立した兼松房治郎氏です。会社の利益は公益のために寄付をするという博愛主義(Philanthropy)の方だったようです。房治郎氏の遺志を受け継ぎオーストラリアの日系人や現地の人達のために兼松記念病理学研究所が設立されたのが1933年の事でした。この研究所から2名のノーベル医学生理学賞受賞者を輩出しています。日本人の誇りですね。現在、建物はは壊されているのですが、Kanematsuの紋章は今現在も」シドニーホスピタル内で見ることができます。(写真を撮ってきました)紋章についての説明書きはあまりにも朽ちていてしっかり読むことができないのが残念です。(もう少し保管方法検討できないものでしょうか?)

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[参考文献]

1. Valerie J. Griffiths. (2011) "CAPS and VEILS" The Nursing History of the Sydney Hospital Matrons and the Nurses 1788-1985                                          2. Sydney Hospital Gazette ナイチンゲールミュージアム印刷物          
3. NICHIGO PRESS 集中連載 日豪貿易120年
日豪貿易のパイオニア、兼松房治郎 ー我れ、国家に裨益せんと欲すーRetrieved from https://nichigopress.jp/interview/kanematsu/3759/                 4. Elimor Wrobel氏 ナイチンゲールミュージアムCURATORのお話より                              

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