「東日本大震災」と、

今から約8年前、私は準被災者だった。
というのも、当時栃木県の実家に住んでいた私は地震の被害こそ受けたものの海がないから津波は無く、運よく火災も近隣で起こることなく、実家は無事…とは言い切れないがせいぜい所々歪んで家の中の物が荒れ狂った程度であった。
故に、「私は被災者である。」とは言えない。世にいる被災者の方々はこの状況とは比べ物にならないほど壮絶な状況下にいるのだ。ちょいと近辺の道路が地割れ起こした程度で「僕らも被災者だ!」というのはなんとなく申し訳ない。だから準被災者。

8年前のことはそれなりに覚えている。急いで帰ったあの日。電気が止まり動かない信号。集団下校する学生たちの列。「レジが動かないから商品が売れない。申し訳ない。」と頭を下げ続ける近くのコンビニの店員。本棚からすっぽ抜けた書籍の山。ロウソクで過ごした夜。
一日が長く感じた日だった。(なお、この日よりもっと長い夜を過ごす羽目になるとはこの時知る由もなかった。)

余談だがこのコンビニ、まだオープンしたばかりの店舗だったのだが、軌道に乗る前に大量の廃棄という負債を抱えてしまったからか、はたまたこの非常時に一切売る及び配布するといった姿勢を見せなかったのが近隣住民の心象を悪くしてしまったからなのかわからないが、震災後まもなく閉店してしまった。現実は非情である。

それから8年。一人暮らし先にてこの文章を作成している。
毎度この時期になると震災のニュースを目にする。
正直なところ、飽き飽きしている。面白くない。
これが「今はこんなに復興してます!」「福島では今こんなイベントが!」てな具合の明るめの話ならいい。見ていて楽しいし「ここまで戻ったのか!」と嬉しくなる。
だが実際はどうだ。おなじみの「地震時の映像」「迫りくる津波」「困ってる被災地の方々」… 実に面白くない。津波の映像においてはもっとすごい映像を持ってるし。アレに比べたらテレビのなんざカスだカス。

「自分は準被災者がいいとこだ」だと思っていた私だったが、この8年の間やたらめったら福島ばかりが話題に上がるので少し…ではあるがこんな気持ちが沸いてしまっている。

「俺も被災者なんだけどなぁ…」

俗に言う「お兄ちゃんなんだから」理論である。ある観点において優位であるものは、ある程度の被害を受けても我慢しなければならない。
確かに被害のデカさはあちらが断然上である。それに比べたら軽傷もいいところだ。当時はそう思い込むことで我慢していたのだが、「大きな被害を受けたか否か」というラインで考えると私の住んでいた栃木県も被災地と呼べるし、なんなら横並びに位置しかつ海がある茨城なんか津波の被害も受けているだろうからより甚大なダメージを受けているはずだ。なのに何故福島だけが被災者のように扱われるのだ。被害の規模は小さいかも知れないが、こっちだって色々大変なのに。どうして福島ばっかり…
当時は我慢した。だが今はどうだ?この時期になるといつも福島福島福島…別に悪い訳じゃないが、なんだかこう…ズルいじゃないか。

僕らだって被災者だった。