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【一灯照遇】No.39 靴を履かない人たちに靴を買ってもらうには?

とある初冬の昼下がり。
お客様への訪問前に少し時間があったので、公園のベンチに座っていました。ふと前方に目をやると、車いすに乗った人が。身なりなどから察するに、ホームレスでしょうか。これから寒くなるのに大変だな、と思っていると、作業を始めました。車いすでベンチの前に移動して、ベンチを机代わりにして、ガチャン、ガチャンと何かを始めました。どうやらなにか器具を使って空き缶を潰しているようです。


そうか、生活の資にするんだな。


私はなんとも言えない気持ちになりました。かわいそうという気持ちもありますが、そんな気持ちを抱くことすらその人に失礼ではないか、とか、あんな境遇になっても前向きに頑張っているな、頭が下がるな、とか。なんとも言葉にならない気持ちでした。

ですが、しばらくその後ろ姿を見ているうちに、働くということは尊いもんだ、という気持ちが沸き起こってきました。


生きるために働く。内容や収入の差こそあれ、生きるためにひたむきに取り組んでいる姿に、手を合わせ、拝みたい気持ちになりました。特に、今日の生活もままならない切実な状況にある人であればなおさらでしょう。会社や人間関係に少し不満があるからといって、クヨクヨ悩んではいられないと教えてくれた出来事でした。


それから、ネットの記事ですが、こんな記事も。いろいろ書いてありましたが、一言でいうと、『安い時計をしている男はダメだ』ということです。一流の男は時計も一流でなければ、という、よく雑誌なんかでも見ることがあります。そうかもしれませんが、時計で人を判断して、ダメだ、と結論付けるのも暴論な気がしますよね。多様性を認めようとしている社会でこんなこと言われると、「結局どっちやねん」、てなりますね。


私も高価な時計を一つ持っています。カシオのオシアナスというブランドで、妻が以前プレゼントしてくれたものです。値段も私にしたら結構なものでした。10年くらい愛用しています。そしてもう一つよく使っているのが、チープカシオと呼ばれる時計です。いわゆるカシオが出しているスタンダードモデルで、お求めやすいお値段です。私が使っているものは、管理者養成学校で買いました。学校には売店があって、研修に必要なものはライターからスラックスまですべてそろっています。その時計を見ていると、学校での景色や訓練を思い出すんです。


何が言いたいかというと、モノやサービスの価値は人によって変わるということです。人が生み出したものには、付加価値が付きます。オシアナスも、高いという以外に、「妻がプレゼントしてくれた」という価値。チープカシオには「学校で買った」という価値が。付加価値はその人にしか理解できないものもあれば、多くの人が感じるものまで様々です。冒頭の空き缶の話。心の中で手を合わせ拝んだ私は、「あの人が潰した空き缶だから」という理由でつぶれた空き缶を家宝にするかもしれません。


セールスでもそうですが、なかなか売れない商品でも、付加価値が付いたり、視点を変えると急に売れるようになるかもしれません。『普段靴を履いていない未開のジャングルの住人に靴を買ってもらうにはどうしたらいいでしょう?』

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