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【一灯照遇】No.22 母を思う

これは、2020年の5月に書きました。

五月と言えばゴールデンウイーク。その中のこどもの日。祝日法によると、こどもの日は、こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝することが趣旨のようです。


母に感謝する日か、知らなかった。
そして今年の五月十日は「母の日」。
五月は母を思う月のようです。ということで母の詩をいくつか。

十億の人に 十億の母あれど わが母にまさる 母あらめやも
暁烏敏

私がここにいるということは
母の必死の
祈念があるということ

東井義雄

もろびとの 思い知れかし 己が身の 誕生の日は 母苦難の日なりけり
父母恩重経

お母ちゃん
また残したの
食べてあげよ
僕の好きなもの
みなきらいやな
ちっと食べたらええのに

河野進

【お母さん動物園】
私のお母さんは
ライオン
百じゅうの王
でも ナマケモノ
いっつもねてるもの
昔は チーター
足が速かったんだって
今は カメ
私よりおそいよ
それから カンガルー
小さな妹のめんどうをみている
きのうは アライグマ
たくさんの洗たく物をきれいにしていた
たまあに パンダ
優しいよ
まるで動物園みたいだよ
お母さんひとりで何びき分なんだろう

サトウハチロー記念「お母さんの詩」



「子は母から生まれてくる」
これは絶対に変わらない不変の真理です。
私にも母の思い出があります。
高校生の頃、私はバドミントン部に所属していました。うちの高校は県内でも常に上位に入る高校で、練習も厳しく、朝練もありました。五時半に起床して朝練に向かいます。

母は私の弁当を作るために四時半には起きて毎朝朝食と弁当を作ってくれました。朝が弱い私はいつも不機嫌です。母が毎日聞いてくれる「朝ごはんはパンね?ごはんね?」という呼びかけに苛立ちながら「パン」あるいは「ごはん」と怒ったような口調でボソッと答えます。それに対して母は嫌な顔もせずそれぞれに合う卵料理を用意してくれていました。パンならスクランブルエッグやオムレツ。ご飯なら目玉焼きや卵焼き。


母は働いていました。熊本県内でも大きな製薬会社です。当時はまだ社内における男女格差もあからさまで、同期入社の男性たちがどんどん昇進して行くことに「なんで?こんなのおかしいよ」と言っていたのを覚えています。私が高校を卒業するまでの記憶では、母はずっとヒラのまま。

資格制度があったので、毎日深夜一時、二時まで食卓で勉強していたのも覚えています。そういえば、中学生の時はPTAの役員もしていたので、校内アンケートの集計なんかも遅くまでやってたなあ。


そんな母の姿を見ていながら、私は自分のことばかりで、「俺は早起きして辛いんだ」「パンでもごはんでも、そんなんどっちでもええし」と思いながら接していました。「あんまムリせんでよ」そんな言葉でもかけてあげればよかった。


「昭和という時代に僕らを抱えて走った そんなあなたの生きがいが沁みて 泣きたくなる」GLAYの歌にこんな詩があります。私の頭には「パンね?ごはんね?」がずっと住みついています。母からもらった言葉です。他の人が聞いたらなんのこっちゃ、ですが、私にだけは響く言葉です。その言葉だけで私は高校生の頃にタイムスリップ。母の愛情を感じることができるのです。

大学生の頃、母に「あなたは私の生きた証だから」と言われたことがあります。娘が生まれてその言葉が響きます。私も娘にそんな言葉を残してあげたいと思いますが、考えても出てこないし、酔っぱらったらパッパラパになるしで、難しいもんです。

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