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【一灯照遇】No.40 名言のリレー

今日は美しく咲いている花も、夜半の嵐で翌朝には散っていることもある。明日とも頼めぬこの命。花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが、人生だ。なんて言葉もある。出会いは一期一会。


人との出会いは必然か、いや偶然か。『人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に』という森信三氏の言葉が頭をよぎる。正直、必然でも偶然でもどちらでもよいが、物事の捉え方によって、人生が主体的になるか、受け身になるかは変わってくると思っている。主体的な人は、何事も自分が発信元・発生源であるとの自覚が強い。


というのも、『失敗や不運を自分に引き寄せて考えることを続けた人間と、他のせいにして済ますことを繰り返してきた人間とでは、かなりの確率で運の良さが違ってくる』という渡部昇一氏の言葉を思い出すからである。運の良さも解釈次第。運が良いと思い込めば、鳥のフンが自分に落ちてこようが、「よっしゃ!」と思える。人生万事塞翁が馬。禍福は糾える縄の如し。何が起こるかわからない人生。禍福はその人の捉え方によって変わる。要はプラス発想だ。


ここで、『プラス思考の最高の形は、感謝の言葉です』というニール・ドナルド・ウォルシュの言葉が頷きと共に浮かんでくる。大学卒業後、フリーターを経て、ヨーロッパを3カ月ほどブラブラしていた時があった。コミュニケーションは基本的に英語だが、「ありがとう」だけはその国の言葉で伝えていた。旅は感性を豊かにしてくれる絶好の機会だ。


そんなことを考えていると、『言葉を友人に持ちたいと思うことがある。それは、旅路の途中で自分がたった一人だということに気がついた時にである』という寺山修二氏の言葉を見つけた。真冬のヨーロッパ。寒いし孤独だ。財布やデジカメをすられそうになったことは何度もあった。トルコで、スポーツシューズを履いているのに、水で靴磨きをされたこともあった。ローマのキャバクラみたいなところでぼったくられた。こんなことがあるたびに落ち込む。そんな時に自分を奮い立たせる言葉があれば発想を転換することができる。力が湧いてくる。そして…


落ち込んだときに忘れてはならないもう一つ。そう、酒である。『酒は人類にとって最大の敵かもしれない。だが聖書はこう言っている。「汝の敵を愛せよ」と』というフランク・シナトラの言葉を、私は深いため息と共に噛みしめる。ヨーロッパではビールやワインが水より安かった。夜は一心に飲んでいた。

宿泊はユースホステルか夜行列車。鉄道が充実しているので、ほとんど電車で移動しながら宿泊していた。ベッドでひたすらワインをラッパ飲みしていると、イギリス人から「You’re crazy Japanese!」と言われた。日本人の品位を下げてしまったようだ。

そうそう、品位と言えば、『エレガントでありながら、行儀を悪くする、つまり崩すには、まず第一に礼儀正しい基礎がなければならない』と、ココ・シャネルは言った。基本がしっかりしていれば、崩れてもそれはその人の「味わい」として表われるということか。達人の何気ない所作が、自然な中にも、どこか優雅さをまとっているのは、ひたすら基本を反復練習して、無意識に振る舞うことができているからだろう。

しかも基礎をしっかり学べる時期というのは、せいぜい30代くらいまでではないだろうか。それまでにマスターしないと、思考が固まり、自己流になってしまうのではないかと思っている。


なぜなら『四十にして惑わず』という孔子の言葉があるからだ。これは、自分のやりたいことを確立してブレずに進む、という解釈ができる。一方、もう周りの意見には左右されない、という考え方もできる。つまり、変化に対応しにくくなるともいえる。

他人の意見は受け入れないという人をたまに見聞きする。一人で生きていく芸術家や職人のような仕事ならばいざ知らず、組織で働く者としてはそれではマズイ。ヒトが社会的な生き物である以上、人間関係は洋の東西を問わず、今も昔も重要なファクターである。変化を受け入れ、適応する柔軟さが必要だ。


しかしここで、『理性的な人間は自分自身を世界に適応させる。非理性的な人間は世界を自分自身に適応させようと固執する。それゆえに、すべての進歩は非理性的な人間のおかげである』というジョージ・バーナード・ショーの言葉もあるぞ、と立ち止まる。

ウーン、世界を自分に適応させることを諦めた人が、世界に適応せざるを得ないとでもいうのか。確かに、自分の思うように世界を変えていけるのなら、こんなに楽しいことはない。しかし、一般人にとってそれは困難でメンドクサイ。そこに強いこだわりを持てる人が自分の世界を外側に築き上げていけるのだろう。


外側に自分の世界を創り出すことは難しくとも、内側にはいくらでも世界を創造できる。内面構築もとても大切だ。というのも、『自己の内面に満足なものを持たない者ほど外物に憧れる』という安岡正篤氏の言葉は的を射ていると思うからだ。立派な人の内面の輝きは、時にオーラとして外に現れる。そのためには日頃からの訓練を怠ってはならない。

そうそう、訓練と言えば、『知識は実践するまで価値がない』というチェーホフの言葉や『知識を与えるよりも感銘を与えよ。感銘せしむるよりも実践せしめよ』という坪内逍遥の言葉や『組織の精神とは、訓戒、説教、善意ではない。実践である』というドラッカーの言葉、その他、実践に関する色々な言葉が波のように打ち寄せてくる。

実践あるのみだ。


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