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【一灯照遇】No.52 数字は万能か?

徳と功
日本人は道という言葉が好きです。柔道、剣道、書道、華道、など。相手を尊重し、それぞれに行動作法があり、勝ち負けというよりも自己修養のために行うものです。

礼に始まり礼に終わる。その根幹には道徳という考え方が根付いている気がします。この「道」という考え方は、「こういう行動や言動をすれば、人として道を踏み外さずに済むんだよー」という手本を示しているものであると思います。

一方「法」は「これをしたらダメ。こんな罰を受けてもらうよ」という、「道を踏み外した後」のことに重きを置いて、規制や制約を設けている。ここが大きな違いでしょう。踏み外したときにどうしたらよいかはあまり書いてない。

だからこそ、礼儀や謙虚は古来から立派な人の美徳として列挙されているのでしょう。


古典の中にも様々な徳目として、仁・義・礼・智・信・勇・悌・謙・恭・忠・恕・孝などが挙げられています。先日、ある会社を訪問した時に、担当の方と「定性的なものを数値化して評価する方法はないものか」という話になりました。業績や売上だけでは測れない、いわゆる「人間性」とか「人間力」の部分です。

これを数字で表すのは大変難しい、というかできないのではないか、という気もします。それを数字で表してしまうと、違う性質のものになってしまうのではないか、とも考えられます。

何でも具体化するためには細分化する必要がありますが、先ほどの徳目の細分化も、それぞれを数字で表すとなればやはり難しい。むかし、聖徳太子が冠位十二階で官僚の役職の高低を徳目と色を使って決めたことがありました。なんだかそんなところにヒントがありそうな気もしますが…。

しかしやはり、定性的なものの評価は、定量的な評価とは全く別のフィールドで行う必要がありそうです。数字にできないのだから、感性や主観で評価をすることになる。それだと公正な評価ができるわけがない、という声も上がってきそうですが、人間ですから、数字だけで測れるものだけではない。そのような理性的なモノだけではなく、感性的なものも受け入れる土壌も必要になってきそうです。そしてそのような土壌は日本だからできやすい、という所もあるような気がします。というより、昔はあったんじゃないでしょうか。

付き合いが良いとか、人当たりが良いとかで出世していく人もいた(いる?)のでは?でも能力がなくて、結局組織をダメにしてしまった。言い換えれば、本物の徳を持っていなかったから、部下からの支持を得られず、組織が弱体化してしまった。それならばと、評価を数値化して、能力の高い人、数字をあげている人ばかりを上に行かせた。しかし、能力の高い人は自分流にこだわりすぎるきらいもあり、部下へも高いレベルを求め、今度は部下がつぶれる…。そんなことを繰り返しながら試行錯誤して成長してきたのでしょう。

人間力(徳)か、能力や数字(才や功)か。組織にとってはどちらも大事で、両方とも高いレベルの人が欲しい。しかし、そういう人は滅多にいません。こちらを立てればあちらは立たずで、天は二物を人には与え給わぬ。そこで西郷隆盛さんはこう言ったらしい。

功ある者には禄を与えよ 徳ある者には地位を与えよ

業績が良い人にはいっぱい給料をあげて、人気がある人には役職と権限を与えたらいいよ、と。だって、両立させている人は稀有な存在ですから。昔の言葉ですが、これは、年功序列がいらないということと、実力主義を言ってる非常に合理的な考え方です。

さらに一番のポイントは、「地位と給料は別物だ」ということ。これを受容する土壌がないと、「本当の」定性的な人事評価は難しいんじゃないかと思った師走の昼下がりです。

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