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3人を生きる-アナタの知らない三つ子の話- vol.12 三つ子の「私」と「私」

 私の本格的な受験対策が始まったのは、2人がAO試験に合格し、進路を決めてからだった。
 春頃からずっと芸術系の大学しか考えてなかったが、視界が開けた私が、第一志望校を決めるのは案外早かった。
 担任に紹介された国立四年制大学。心理学もしたいが、地域創生も学びたい、それから、推薦試験を受けられる大学はないかと言った私に、担任が提示したのは、四国にある私には所縁のない地の大学だった。
 元々県外に出ることに躊躇いはなかった。私は、その大学に合格することだけを考え、推薦入試の対策を始めた。
 周りよりも取り組み始めるのは幾分遅かったが、幸い、私が志望した大学は、小論文試験もなく、面接試験のみだった。
 面接試験対策を担当したのは、3年時の副担任であり演劇部時代の顧問であった先生だった。大学ノートを一冊準備して、そこがどんな大学なのか、自分が行きたい学部がしていることはなんなのか。何故、そこを志望するのか。自分の価値は何かなど、過去の面接で問われたものに対する回答を書いていく。
 書いては先生に持っていき、指摘され、書き直し、持っていき、次の質問を提示され、回答を書き、持っていきの繰り返し。
 寝る間も惜しみ、自分が何を考えているのか、自分がどう思っているのかを細かく細かく吐き出していき、吐き出されたものをノートに書き連ねていく。右手の小指側は一日中真っ黒であった。
 対策をしていて思ったのは、自分の中にあるものを相手に納得してもらいつつ理解してもらうこと。相手の反論にどうやって切り返すのか。自分がその対象に対してどこまで深く考えられているのかにかかっていた。
 対策してから試験当日までの2、3ヵ月でノートを綺麗に一冊使い切った。
 試験が近づいてきた頃、書くだけの対策から実際、面接の形で話す対策が始まった。

 書くのはまだ良かったが、話すのは笑えてくるほど下手くそで、面接練習をしてくれた担任が頭を抱えるほどだった。
 言葉は同じはずなのに、文字で伝えることはできても、口で伝えることが上手くできないのだと、自分の特徴をそのとき初めて知った。
 ふと、2人を思い出した。次女は基本どんな相手だろうと、自分の意思は良い悪い関係なくはっきりと言える性格で、三女は相手に自分について伝えることが得意だった。

 ――私だけできない。

 一瞬、脳裏に過ぎったが、あの言葉を思い出し、頭を振った。別に3人共が同じことをできなくたっていい。私だけできなかったとしても、何も悪いことはないのだ。
 私は私。3人の中で私じゃない。私がいる3人なのだ。
 三つ子というのに、もたれかかるな、言い訳をするな。私は私なんだから。

 試験対策と共に、「私」というのを自分の中で作り上げていたような気がする。私は何をしたくて、何を考えていて、何が得意で、何が苦手なのか。三つ子の「私」ではなく、1人の「私」というものが何なのか。
 三つ子の「私」を見てほしいんじゃない。「私」そのものを見てほしいのだ。

 試験数週間前、紹介された先生のところに面接練習の協力をお願いしに行った。その先生は「嗚呼、三つ子のね」と言葉を交わすのは初めてだったが、私のことを知っていた。先生は快く協力してくれた。
 ――三つ子のね。
 その言葉が嫌に胸に貼りついた。

#エッセイ #日記 #記録 #三つ子 #3人を生きる

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