斎藤幸平×ルトガー・ブレグマン 「性善説」が世界を救う
日本人は明らかに働き過ぎだ。/斎藤幸平(東京大学大学院准教授)×ルトガー・ブレグマン(ジャーナリスト・歴史家)
斎藤氏(左)とブレグマン氏(右)
注目を集める同世代の思想家2人
経済思想家の斎藤幸平氏(35)と言えば、『人新世の「資本論」』(集英社新書)が売上50万部に迫る異例のヒットとなっている若き俊英。今回、その斎藤氏と、オランダ出身の歴史家・ジャーナリスト、ルトガー・ブレグマン氏(33)との対談が実現した。ブレグマン氏の近著『Humankind 希望の歴史』(日本語訳小社刊)も、本国で発売されるや25万部のベストセラーに。世界46か国で翻訳が決まった。注目を集める同世代の思想家2人は、激変する世界をどう見ているのか。
斎藤 今のままの経済や文化システムでは立ち行かない、という声が世界中で高まっています。少し前ですが、ダボス会議では政財界のトップたちが資本主義の「グレート・リセット」を求め、日本でも岸田総理が「新しい資本主義」を提唱するなど、世界中の人々が変化を求めるようになっている。気候危機、貧富の格差、新型コロナウイルスの感染拡大などの問題を乗り越えるために、私も拙著『人新世の「資本論」』で資本主義からの大転換の必要があると訴えました。そんなラディカルな内容の本が、以前では考えられなかったほど多くの人々に読まれるようになっています。
その一方で現実の危機を傍観し、変化を起こすことを諦める風潮は根強い。日本で現実主義を気取る人たちは、実は冷笑主義に陥っているのです。そうした人々は「人間は利己的な生き物だ」といって、他者とともに生きる社会など馬鹿げた構想だと嘲笑する。性悪説の支持に傾く雰囲気は、ウクライナ戦争によっても強まっています。
しかし、ブレグマンさんは「ほとんどの人間の本質は善である」と主張しています。『Humankind』では、性悪説が定着していった歴史的背景を探り、性悪説の証拠とされる事例を丹念に調べ、そのウソを暴きだした。そうした歴史の再構築は驚きの連続でした。
ブレグマン ありがとうございます。
斎藤 ブレグマンさんはどうして、こんな大胆な本を書こうと思ったのですか。
ブレグマン 前著『隷属なき道』で「性善説を信じているのか」といった批判を多く受けたのがきっかけです。その本では、全国民に一定額の現金給付を行うユニバーサル・ベーシック・インカム(UBI)が貧困の根絶に繋がる実証実験を紹介したのですが、「人間は根本的に怠惰で利己的なもの。この実験は現実の社会では機能しない」と反論されました。これを聞いて、人間の本質を悪だととらえる「誤認」が、人々を抑圧する社会の制度や規制を生み出していると痛感したのです。
『Humankind 希望の歴史』(小社刊)
「新自由主義時代」の終わり
斎藤 戦争もそうですが、「人間は自己中心的。他者を信じることはできない」という誤った人間観が、争いをエスカレートさせます。そうして抑圧的で不平等な社会の制度が構築されてきたわけですし、そこからプーチンやトランプのような権力や富に固執する、残虐な独裁者や金持ちが生まれてしまった。
ブレグマンさんによる性悪説への丁寧な反証には、人間を信じ、ありうるべきユートピアの姿を描く力があります。世界の現状は厳しいけれど、それまで当然だと思われていた“常識”が崩れる危機の瞬間だからこそ、新しい前提をもとに未来を構想する必要性も高まっています。
ブレグマン 実際、私たちを取り巻く現実は劇的に変化しています。突然起こったコロナ禍をきっかけに、この事実に目覚めた人々も大勢いるようです。経済エリートたちが読んでいる英『フィナンシャル・タイムズ』紙ですら、社説(2020年4月)でUBIを支持し、富裕層への大幅な課税の必要性に言及しました。ほんの10年前には、誰も想像できなかった「事件」です。
斎藤 ええ、コロナ禍では、これまで不可能と思われていたことが可能だということが判明しましたね。たとえば、現金の一律給付やロックダウン。国家が「神聖な」市場に介入したわけです。みんなの命を守るために、政府も市民もお互いを助け合い、大胆な行動変容を起こしたことは、歴史的出来事だと思います。
ブレグマン 私たちは、いわば「新自由主義時代」の終わりに立っているのです。個々人に好きなことを追求する自由さえ与えれば、社会に無限の経済成長と進歩がもたらされる、そんな誤った思想が支配した時代です。実際には不平等がはびこり、コロナ禍でそれが一気に深刻化し、資産家たちは富をかつてない規模にまで増やした。未来の歴史家が、2020年が決定的な節目の年だったと断じたとしても、私は驚きません。
人間は善良で利他的である
斎藤 もちろん、ここで賢明な読者は疑問を感じるかもしれません。「人間は本来、互いに助け合う利他的な存在だ」と言うけれども、危機においても富の獲得に夢中になる、強欲な超富裕層の存在はどう説明するのか――。あるいは、プーチンのような存在をどう考えるのか、と。
ブレグマン それは良い質問ですね。私の答えは「ほとんどの人は善良だが、権力は腐敗する」。近代における国家や会社は、大統領やCEOを頂点とするピラミッド型の組織です。しかし、遊牧民や狩猟民族を研究すると分かるように、古来の政治組織はこの逆で、一番上に民衆がいて、一番下の指導者をコントロールしていた。リーダーたるもの、権力に胡坐をかいて傲慢であってはいけないという「恥」の文化もあり、謙虚さが求められた。
幸福度ランキングで上位にあがる北欧諸国では、近年でも、こうした「逆支配」に似た文化が見られます。デンマーク出身の作家アクセル・サンデモーセが書いた小説に登場する「ヤンテの掟」が好例で、「自分を特別と思うな」「他の人より優れていると思うな」と説いています。要するに、権力は必ず腐敗する危険なものだから、権力のコントロール方法を常に考える必要があるということです。この点で自由放任を是とする新自由主義者たちは間違っていて、やはり不平等を是正するシステムや手続きが欠かせません。例えば、所得や資産が多いほど高い税率を設ける累進課税の仕組みや、「恥」の文化が必要です。
斎藤 私が注目したいのは、晩期のマルクスが大事にした「コモン」の概念です。「コモン」とは生きていくのに欠かせないもの、水や電気といったエネルギー、教育や医療などの社会インフラを人々のあいだで管理する共有財のことですが、これを上からの指図ではなくボトムアップで管理する。これによって資本主義の弊害を抜け出そうとする発想です。たとえば水道を民営化して、特権層の儲けの道具にするのではなく、逆に市民が参加しながら管理し、極力、安い価格で水を提供する方向の社会変革です。こうした「コモン」の考え方は、『人新世の「資本論」』で大きな賛同を得ました。
ただ、「エゴの塊の人間が、共同管理などできるはずがない」という批判も受けたのですが、その点については、ブレグマンさんの「人間は善良で利他的である」という説を読み、「コモン」の可能性を再確認したのです。
プーチン大統領
「クソどうでもいい仕事」は不要
ブレグマン そうした批判に対しては、具体例を提示するのが一番でしょう。私は『Humankind』のなかで、オランダにある「ビュートゾルフ」という非営利の組織を紹介しています。
斎藤 現場で働かず権力だけふるうマネージャーを設けず、1万4000人以上ものスタッフが自律的に働く在宅ケア組織ですね。
ブレグマン はい。マネージャーもいなければ、ノルマもなし。知識と経験の豊かな看護師などのスタッフからなる最大12名のチームと、チームごとに割り当てられた独自の予算やオフィスがあるだけ。スタッフ自身のモチベーションをもとに働いてもらうほうが、より充実したサービスを提供でき、患者とスタッフともに満足度が高いのです。この組織は2006年の設立後、急速に成長を遂げ、オランダの「最優秀企業」に5回も選ばれました。創設者は私の知人ですが、成功のカギは、人間が自律的に動き、協力し合い、人生にとって意味のあるものを生みだす存在だと信じたこと。人間の本質に対する見方を変えただけで、全部が上手くいったのです。
斎藤 この話題は、文化人類学者デヴィッド・グレーバーが『ブルシット・ジョブ』で喝破した「クソどうでもいい仕事」という考え方にも関連しますね。今回のパンデミックでは、看護師や介護士といったエッセンシャル・ワーカーの人たちが、社会の維持に貢献しているにもかかわらず過小評価されていることが明白になりました。その一方で、社会の役に立たない、金儲けのためだけの「クソどうでもいい仕事」をしている人たちは安全な家でリモート・ワークしていたわけです。
ブレグマン 2020年の春、各国の政府が、社会の維持に本当に必要な仕事、つまりエッセンシャル・ワークにあたる職種をリストアップしましたが、このリストに管理職や銀行家、会計士などは載っていません。「クソどうでもいい仕事」をする彼らがストライキを起こしても、資産家や大企業に私たちの富が奪われる場面が減るだけですから。
仕事の本質とは
斎藤 その流れで、日本の労働者について話をすると、私たち日本人は明らかに働き過ぎです。私は労働時間の大幅な短縮が必要だと考えていて、週休3日制を提唱しています。ブレグマンさんは、来日時にどうお感じになられましたか。
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