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【立花隆「知の巨人」の素顔】「分かる能力」と「分かろうとする努力」の天才|平尾隆弘

文・平尾隆弘(文藝春秋元社長)

知識ゼロから勉強して

立花さんの凄さを思い知ったのは、1988年、「文藝春秋」で利根川進さんへのインタビュー(『精神と物質』)を担当したときである。利根川さんは前年ノーベル医学・生理学賞を受賞。立花さんは、社の編集委員と共にMIT(マサチューセッツ工科大学)に出向き、3日間、延々20時間に及ぶインタビューを実現した。半年後連載が始まったところ、初回担当者が異動になり、第2回からの担当を命じられたのが私だった。参ったなぁ。必死でにわか勉強をしたものの、何しろ受賞理由が「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」ですよ。何のこっちゃ? と言うほかない。不安を抱えたまま、立花さんの仕事部屋を文春ビル9階(大会議室)にしつらえ、1週間程度はその部屋に缶詰めになってもらうことにした。

缶詰め当初のある日、立花さんからのリクエストがあった。「大事な箇所の速記が欠けている。テープの継ぎ目に当たってるんだ。控えのテープで欠けた部分を起こしてほしい」。現地ではカセットを2台用意し、時間をずらして作動させている。速記に出したのは1台分なので、別建てのテープで欠落を補ってくれというわけだ。

それならお役に立てると、張り切って当該箇所を書き起こした。しかし、2人のやり取りを聞いているとものすごく面白い。ひとつ最初から全部聞いてみるか。そう思って、お互いの挨拶から順に追いかけていった。最初に気づいたのが、利根川さんは「田中角栄研究」で立花隆の名前を知っている。が、サイエンスにアマチュア的興味を持つ文系ジャーナリストだと思っていること。冒頭1、2時間、立花さんが専門領域について質問すると、どうせ説明しても分からんだろうという気配が濃厚なのだ。何度か「それはさっき言うたやろ」(関西弁)というセリフも出てくる。同じことを聞かれるのが嫌い(面倒)らしい。私は「さっき言うたやろ」がテープから聞こえるたびにドキッとし、立花さん、頑張って! と思った。

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立花氏

だが、当の立花さんは露ほども動じる様子はない。「さっき言うたやろ」「いや、先生が先ほどおっしゃったのはコレコレですね。私が伺っているのはコレコレなんです」「あ、そうか」となって話が続く。「それは論文に書いてあるわ」と言われると、「先生の論文は〇〇(英語)のことですか」「そうや」「あの論文にはコレコレとお書きになっているでしょう。あの中の実験について知りたいんです」「え? あんたあの論文を読んでるの!」とビックリしたところに、さらに急所をついた質問が繰り出される。利根川さんはどんどん乗ってくる。日が変わるとついに「よーし、そこまで聞くなら実験室に行こう。説明するわ」という結果になるのである。

心底驚いた。立花さんは、知識ゼロから勉強してここまで来るのか。同時に、インタビューが徹底して謙虚な姿勢に貫かれ、悠揚迫らざる調子で進んでいくのにも感嘆した。時間が経つと利根川さんはすっかり心を許し、この人なら分かってくれるといった信頼感に溢れている。相手は利根川さんに限らない。秋山豊寛さんへの宇宙飛行インタビュー(旅館で1泊)をはじめ、私が同席したインタビューで、常に「教えをこう」姿勢は変わらなかった。立花さんは、自分が知らないことを知っている人(専門家)に対するリスペクトを決して手放さなかった。

理解の歩幅が大きい人

『精神と物質』連載中、もうひとつ教えてもらったことがある。原稿を読んだ私が勇を鼓して「立花さん、ここが分からないんですけど」と切り出したときだ。「そんなことも分からないのか」と言われたらどうしよう、内心ビクビクしていたが、「え、どこ?」とずいぶん優しい。「ここです」「ふーん、何が分からないの」「こうかなと思うんですけど、こうこうとも読める。どっちなのかなと」。すると、「ほほう、なーるほど!」とやけに感心しているのである。すぐ原稿用紙に書き直し、「これなら分かる?」と訊かれた。「うーん、ここの説明がまだ……」「どれどれ、それならこう書いたらどう?」「あ、分かりました。そういうことなんですか」。立花さんはすっかり喜んでいる。そしてとても優しい口調で「平尾君ありがとう、これからも分からなかったら今みたいに言ってくれよな」と言った。

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