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丹生都比売神社へ寄ってきました(和歌山県伊都郡かつらぎ町)

令和3年10月26日から28日にかけての3日間、和歌山県伊都郡花園村へと旅に出た。3日目には丹生都比売神社へも寄れた。「旅にでも出ようかな」という、冗談めかして最後に交わした約束事だけは叶えてしまった。

というわけで、花園村へ出かけた帰りに丹生都比売神社へ寄ったときのお話です。


経緯

花園村からの帰り道、そのまま帰るのはなんかもったいないな→どこぞ寄るとこあれへんけ→名前は聞いたことあるさかい、フッと寄ってみるけ


そうして気軽に寄ったこの神社でも、数々の発見があった。


荘厳オブ荘厳



とても荘厳な建造物だった。

平成16年7月7日を以て、世界文化遺産に認定されている。

本来、高野山詣りをする前にこの神社へ詣るのが筋であるという話を耳にした。そんないわれは、この日初めて知った。伝承が残る限り、今後も伝えられていくだろう。

この日は、かつらぎ町の中学生の方々が体験学習に来ていた。生徒の方々が神社の方から由緒を集団で座って聞いている場面に鉢合わせた。しまいには、竹箒で境内を掃いているところも見た。




弧を描く流麗な朱色の橋が、鳥居を抜けてすぐ目の前に鎮座している。


名探偵コナンに出てきそうや。和葉ァ!平次ィ!大滝ハーン!


文政期の石灯籠

文政元寅年十一月吉日
(寅年の、文政元年11月吉日)

文政なんぞ戸籍簿でしか見たことあれへん……。

文政とは、化政文化の時期として知られる。日本史の授業でも習っているはずなのに、どういった文化だったのかは思い出せないが。

私からしてみれば、ひいひいひいおじいさんが生まれた時期だな(文政7年生)と現地で考えていた。明治元年が約150年前のことなので、それよりさらに前なのかと考えたりもした。



行き方

JR笠田駅からのコミュニティバスに乗れば一本で行けます。この駅からであれば、所要時間は約30分。



今回実際に用いたイレギュラー経路

「はなぞの温泉『花圃の里』」のレストラン大広間で少しお話ししていた宿泊客の方に偶然見つかり、その足で連れていってもらえた。

星山橋バス停でバス待ちのところを発見されましてんや。

本来ならば昼の12時00分に着くはずであったが、30分ほど早く到着した。






石碑


この石碑は2mほどの高さで、刻まれているのは梵字である。

当然読めない。





紅葉

来年、文化祭に出す写真にするぞー!


1本だけ植わっていた紅葉が、とても美しかった。手前にあるイスのような岩を含めて絵になるような、そんな配置関係にあった。




弱虫ペダルと丹生都比売神社

※『弱虫ペダル』は“未履修”です


“聖地巡礼”の地になっていた。

大阪府富田林市から自転車で来ていた方と少しお話をした。このあと「たまゆらの里」までこのまま自転車で向かうという話を聞いた。

花園バス停まで行くよりは近いが、たまゆらの里へも結構な距離がある。そして、それなりに山道でもある。




そして……

昼の13時30分発のバスで帰ろうとしていたが、気がつけば13時40分であった。

写真を撮っていて、携帯の画面にふと目をやると10分も過ぎていた。

境内を見るのに夢中になっていたオレは、背後から近づいてくるもう少しの期限に気づかなかった。オレはそのとき、呑気に写真を撮っていて。画面に、目をかけたら……。バスが出発してしまっていた。

結局、16時00分発のバスで帰った。これが次のバスであり、最終バスでもある。

予定よりも30分早く着いて、予定よりも2時間半遅く帰った。結局のところ、11時30分頃から16時00分まで。

丹生都比売神社では、4時間半も滞在していたのである。



移動スーパー「まごの手」


荘厳な境内で突如流れる超絶ファンキーな音楽

何か買おうかとも思ったが、やめた。この移動スーパーが花園村の在所へ向かうものでもあるという予備知識を、前々から持っていたためである。

コンビニやスーパーマーケットへの距離がある地域では、飲食物をはじめとする訪問販売というのは非常にありがたい存在だろう。そんな思いもあり、「買うな」ではないが「ここでわざわざ買う必要性はなかろう」という結論に至った。




新事実の発覚

そして、この移動スーパーの運転手の方は、なんと花園村内で私を目撃していた。

「昨日かおととい、その黒の羽織担いで花園村走ってませんでした?国道沿いに自転車乗ってた似たような格好の人、見ましたよ」

実は、今回の日程では、黒紋付羽織袴を着ていったのである。“いちびり”とか、“ちょけた感じ”とか、そういう類いのものであり、毎日
着物を着ているわけではない。確かに着用頻度は増えたが。

花園筋の、ひいひいひいおじいさんズの羽織姿の写真を見たことがある。「ええやんかっこよろしやん」と思い、いつかは欲しいなと思っていた。それもあって、愛用している。

だから、これはもちろん、コスプレのつもりではないのである。「着物は所詮、服です。」とあるのを見たことがある。まさにその通りだろう。

ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝氏(NHK連続テレビ小説『マッサン』のモデルとなった人物)は、紋付羽織袴を普段着代わりにしていたらしい(あとから知った)。

https://twitter.com/nikka_jp/status/1460019743566733313




電車にて

奈良県の御所から和歌山市加太へと向かうおじいさんに出会った。なんでも、釣りをしに加太まで行ったはいいが、家に鍵を忘れてきたらしい。

それとあと。“はじめさん”に駅で出会った。
(※はじめさんと呼ぶと煽ってる扱いをされるのもあるし、基本、普通に名字で呼んでいる人ではあるが)

すべての日程を終えて


旅先で、色々なことがあった。
旅に出て一番思ったのは、やはり、

「自分の住む都道府県のことなんて何ひとつ知らないと言っていいほど、今の自分は無知である。ましてや、自分の生まれ育った地域に限定したところで、詳しく知っているかと問われれば返答に困るだろう」

この一点であった。

和歌山県内は南北に広く、私の場合はだが、県南部へ行ったことがほとんどない。




和歌山県と言えばなんであるか

パンダみかん梅……。

それみな南部や

自分にとっては、アドベンチャーワールドよりもみさき公園(※大阪府内にあったが閉園した)のほうが馴染みが強かったり、みかんは貰うものというよりはスーパーで買うものであるし、梅の木に至っては身近に生えていない。




和歌山県と言えば

キヌヒカリとか黒江塗なり根来塗なりの漆器とか。自分が3つ挙げろと言われたときに、パッと出るのはその辺りだろうか。

かつらぎ町はハッサクをはじめとした果物の町であるし、美里町には天文台があって、岩出町には根来塗があり、海南市には黒江塗があり、清水町には保田紙があり、桃山町には荒川の桃が、貴志川町にはかつて駅長猫のタマがいたし、打田町には國分寺がある。粉河町には粉河寺がある。

と、この辺りならまだ、知ってはいるからまだ分かる。紀州箪笥のような伝統工芸品については、どこの地域で主に作られていたのかも知らない。

「ただそこにある事実しか知らない」というものが多く、「なぜあるのか?その由緒はなんなのか」まで詳しく知らないものがたくさんある。

温故知新、とはよく言ったもので、過去のことを調べていくと新たな事実が判明する場合があって面白い。現に、今回花園村まで行って初めて、テス台風のことを知った。

紀伊半島豪雨のことでさえ、たった10年強しか経っていないのに詳しくは知らない。そう思って、今しがた調べてみると、平成23年台風第12号による被害で、このときの台風はタラスという通称であったそうだ。

歴史は、繰り返す。それが、身に沁みた。

もちろん、北部人であるがゆえの無知というのも理由のひとつにはあると思う。それでも、忘れてはならない。そんな出来事はたくさんある。


総評

今年は、花園や丹生都比売神社に限らず、方々へ旅に出た。おもしろいところが、たくさんあった。だから来年も、いろんなところへ赴いてみたい。


追伸

ここまで長く文字を著すのは久しぶりなので、読みにくい部分があってもご容赦ください。私が長々と載せるのは「のちの自分自身が読み返すため」という記録上の意味合いが強く、それもあって、文章表現に関しては折を見てときどき手直ししに来ます。

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