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大学院入学とこれからの「大人の」学び 1

私は、2021年4月2日(金)に、藤女子大学の大学院に入学しました。
これからの大学院生活への決意を込め、入学式のことや今の心情、自分が考えた学びについてなどを綴りたいと思います。

この記事はその前半、大学院の入学式と、子どもの頃からの勉強嫌いの歴史についてまとめます。

50歳の新入生代表

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入学式は、文学部と人間生活学部、そして大学院を2つのグループに分け、2部制で行われました。
コロナ禍ではありますが、学校側の配慮により入学式を行なっていただけたことに感謝します。

私は、人間生活学部と共に午後の部で入学式に臨みました。
私は藤女子短期大学(2001年に廃止)の保育科卒業で、1988年に今回入学式が行われた藤学園の講堂で入学式をしました。
今回同じ場所で2度目の入学式です。

入学式はカトリックの大学ならではの、聖書の言葉(コリント人への第一の手紙)から始まります。
学長からの式辞でも、この聖書の言葉を通して学生に向けた想いが語られました。
キリスト教が伝来した時、日本人は仏教の影響により「愛」という言葉をキリスト教の概念とは違う捉え方をしていた…というお話が、ドイツ人の学長から語られたことがとても興味深く、北海道にありながらインターナショナルな文化に触れることのできる場所がこんな身近にあったことをしみじみとありがたく感じました。

そして、今回新入生代表の大役を仰せつかり、事前に準備した入学のことばを学長の前で読み上げました。

入学のことば

 厳しい冬の寒さも和らぎ、陽射しにも春の気配を感じられるようになりました。
今日から私たちは、藤女子大学大学院の大学院生として新たな一歩を踏み出します。
大学や社会で培ってきた知識や経験をもとに、さらに専門的な研究をする機会が得られることを、とても嬉しく思います。

 私は、短期大学保育科の学生として、三十二年前にこの藤学園の講堂で入学式を迎えました。
そしてこの講堂で保育科を卒業し、幼稚園教諭として歩き始め、さまざまな喜びや苦しみと出逢いながら働いてきました。

 ある時、担任している子どもから投げかけられたひとことが今でも忘れられません。
「先生は大きくなったら何になるの?」
その答えを探すように、幼稚園の先生を辞め、プログラマーとなり、小学校で新たに始まったプログラミング教育を根付かせるためのプロジェクト推進を担いました。

 五十歳となった今、これまでの経験を活かし、新しいチャレンジを始めます。
急速に変化する社会で、難しい課題を柔軟に解決していける子どもを育てるため、効果的な教員研修を研究・開発したいと思います。

 広い視野と、柔軟な発想、豊かな感性を得て成長するために、大学院生同士の交流を大切にし、充実した大学院生活を送りたいと思います。

 終わりに、大学院入学を応援してくれた家族や友人、職場の皆さん、
助言を賜った先生方はじめ、全ての方々に感謝いたします。

 諸先生方におかれましては、厳しくも暖かいご指導ご鞭撻をいただけますようお願い申し上げまして入学のことばといたします。

娘と言っていいような年齢の学生の皆さんと一緒に学ぶにあたり、大学を卒業すればすぐに自分の歩む道が決まるわけではないことや、後からでも、年齢を重ねてからでも、学び直すことができるということを、メッセージとしてお伝えできればと思いました。

この言葉を、これから先の自分自身が課題で苦しんでいる時、思い出しながら、大学院生を全うしたいと思います。

私と勉強

ここからは、自分自身の学びに対する振り返りや、大学院入学を決めた時の心情などを、自分を取り囲む周りの状況を踏まえつつ書いていきたいと思います。

まず、私が「勉強」とどのように向き合ってきたかを書き記します。

私自身、「勉強」が大嫌いな子ども時代を過ごしました。
さほど落ちこぼれていたわけではなく、高校も短大もストレートで第一希望に合格しましたが、一生懸命高い目標に向かって受験勉強を頑張ったわけではありません。自分がその時の成績で行ける範囲のところを選んだというだけです。

小学校から中学校ぐらいまでは、むしろテストの成績も良かったのですが、「あいつは勉強ができる」「あいつはガリ勉だ」と言われることがとても嫌で、とにかく机に向かうことが大嫌いでした。

高校受験の時は、半年ほど一応塾にも通ったのですが、友達が行っていて楽しそう、部活が終わってしまってつまらないという理由からでした。

高校では、明らかに数学と物理が苦手になり、英語も自分よりもできる人が多くて嫌いでした。
本を読むことが子どもの時から好きだったことと、当時は若くて暗記力もあったので、国語は勉強せずともなぜか高得点が取れていましたし、暗記が中心の科目は一夜漬けでなんとかなりました。

とにかく「これは何の役に立つのか?」がはっきりしていないことを「勉強させられる」のが嫌で、自分自身の人生のゴールは当時「結婚・出産・永久就職※」だと思っていたこともあり、早く勉強から逃れたいと考えていました。
※若い人向けに説明すると、結婚して専業主婦になることを昔は永久就職と言っていました。

当時短大を選んだのも、早く社会人になって、勉強から離れることが目的でした。
幼稚園教諭になりたくて保育科を選んだのはその通りなのですが、ニ種免許でもいいから早く卒業して先生になりたいと思いました。
裕福な家庭ではなかったので、周りの友達のように希望の大学に入るために予備校に通ったり、浪人したり、道外の大学に行ったりという選択肢は自分にはありません。(当時幼稚園教諭一種が取れる学校も通える範囲にはありませんでした)

親も、勉強が嫌いならむしろ高卒でも良いぐらいの感覚でした。
本当は音大に行きたいという希望もあったのですが、勉強が嫌いなので、奨学金を貰って行きたい大学に行くという発想すらありませんでした。

ただ、短大の授業は、幼稚園教諭や保母(当時)になるために必要な知識を学ぶことがほとんどで、とても興味深く、今でも覚えていることがたくさんあります。
心理学や社会福祉学、教育学など、「もう少し色々知りたかったかも…」と思いながら、卒業して幼稚園教諭となり、実践が始まりました。

その後、社会人として色々な仕事を経験するうちに、「スキルの獲得」に迫られました。
Webデザイン、プログラミング、サーバ管理、プロジェクトマネジメント、管理職になってからはコミュニケーションのスキルや、ファシリテーションのスキル、最近ではマーケティングのスキルも要求されています。

それら、社会人になってから必要になったスキルは、自分で調べたり、上司から教えてもらったりしながら、そのスキルが必要な分野の仕事をすることで少しずつ身についていきました。

このような流れの中で、自分では「一生懸命に勉強した」という感覚が全くないまま、大人になり、社会で成長してきました。

後半では、このような勉強嫌いの私が、大学院を目指すことになった経緯や、大人の学びについて考えたことを書いていきたいと思います。


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