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『Sunday Morning』 vol.2 【小説】

―京都 1956年ー

家の門前に、珍しく、ダットサンが停まっていた。
お医者の車か・・・
母の具合が、良くないのだろうか。

「あぁ太志、帰ったか
 美都子な、入院することなって
 しばらく会えんよって、見送りしてやって 
 な」

兄の登志郎が、大きな荷物を抱えて、姉の美都子を玄関にうながしながら、僕に声をかけた。
姉は、髪も結わずぼさぼさの頭に、浴衣の前も合わさず出てきた。

僕は慌てて、姉のはだしの足に、赤い鼻緒の下駄を、履かせた。
ぎょっとするような、口紅と、指先に塗られた赤いエナメルに、鼻緒が不思議に合っている。

きれいだな・・・

僕はとっさに、そんな風に思う自分を、兄の前で、ひとり恥じた。

「ター坊、またねえ」

姉は、白い両手を、僕の頬に伸ばすと、一瞬、昔からの笑顔を見せた。

「姉ちゃん・・・」

「おはようおかえり」の言葉が、喉の奥から出てこなかった。
姉の美都子が、毎朝、ぼくに掛けてくれた、言葉だったのに。
代わりに、姉が、ひらひらと手を振って、玄関を出て行った。


美都子は、高校も、首席で卒業するほどの、才媛だった。
女で、大学に行く者は、ほとんどなかったから、恩師に惜しまれながら、師範学校へ進み、英語の教師になった。

それが、この夏を迎えるころ、姉に異変が起きた。

うしろに誰かいると、なんども振り返ったり、誰かが呼んでると、授業中でも廊下に出ようとしたり、理解に苦しむ言動が、出始めた。
身なりも、構わなくなり、外へ出せなくなった。

古川が心配して、

「八木先生、えらいんか」

と、授業を休みがちになった姉を、心配してくれたが、姉のことは、父と兄に、固く口止めされていた。
母だけが、奥の座敷で、美都子の病気は自分のせいだと、往診に来る先生に訴えていたが、医者は専門外なのを理由に、母の話を、はぐらかしているようだった。

結局、引退試合の日に、赤い鼻緒の下駄を履かせたのが、最期になった。
発狂し、入院しなければならないなんて、遠い世界の話だと、思っていた。

姉は、直前まで、教師以外に、英語で仕事もしていた。
アメリカから、人気の画家が来るとかで、恩師から、通訳を頼まれていた。
画家の写真を見せてもらったが、妙に痩せて小柄な、外国人だった。
小学生のころ、街でよく見かけた米兵のように、大きくて強そうなガイジンとは、まったく違う。物静かな感じだ。

「あん人は、今にきっと、もっと素晴らしい作
 品を、発表しはる」

姉は、うっとりとした目で言っていたが、どうなんだろう、僕にはさっぱり分からなかった。


母が亡くなったのは、次の日曜の朝、だった。

父も兄も、教職員組合の会合で、出かけていた。
それで、もう部活も、試合もないのに、つい早起きしてしまった僕が、「第一発見者」と呼ばれることになった。

その後のことは、よく覚えていない。

真っ赤に染まった布団も、母の嫁入り懐刀も、駆け付けた駐在さんと、お医者の看護婦さんが、きれいに、片付けてくれたのだと思う。

テニスだけだった、僕の日曜は、その日から、普通の日曜日では、なくなってしまった。



(続)

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