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『三文小説』 vol.1【小説】

これは、三文小説。
枕詞は「あなたは知らないだろうけど、」 で始まる物語。
 


―――椎名倫子、の場合―――

「あなたは知らないだろうけど、さ・・・」

万年床になっている奥の座敷から、ふらふらと起き上がり、豊満な身体にシュミーズ一枚で、咥え煙草に、火を付けながら、言う。

映画みたい、サマになってる。
ほんとにいるんだ、こういう人。

新聞紙半分ほどもない、玄関のたたきに立ちながら、美夏は、ぼんやり思った。
 
顔合わせは、ケアマネの鶴崎が、五分で終わる、と言ったとおり、あっという間に終わった。買い物を頼まれたら、酒タバコ、薬、それからペット関係でなければ、基本引き受けて良いから、じゃ、頼むね。
そう言うと、鶴崎は、部屋の中にも入らず、玄関口から、

「椎名さーん、起きてくださいよ。こちら、今
 日から担当します高木美夏さん。よろしくお
 ねがいしますねー」

声を張り上げると、次の現場へと行ってしまった。

通称、ネコ屋敷と呼ばれる、このアパートは、壊れかけた木造二階建てのアパートだが、中は、案外きれいに片付いている。
住人の数や、素性はまるで分らない。ネコだけは、この部屋に辿り着くまでに、四匹は、すれ違った。そして今、椎名倫子の寝床あたりから、さらに三匹が、美夏の足元を抜け、外へと出て行く。
 
起き抜けの一服を、ふ~っとウマそうに吐き出すと、

「この辺りはね、昔から組の者が多くて、活気
 があってねぇ。南口に、あたしも三つ、雀荘
 持ってたんだけど…なんか最近は、つまんな
 い街になっちまったねぇ」

今日はネコ缶、買ってきておくれ、とシュミーズのゴムに挟んだ千円札を、二、三枚差し出した。

あ、ペット関係の買い物は…と、美夏が断ろうとする声に、被せるように、

「あと、駅前のアンデルセンのフライドチキン
 ね。あたし、あれ大好きなんだ」

あ、それも鶴崎から、椎名さんは、糖尿がひどくて食事制限あるから、ジャンクなのはやめてね、特に揚げ物とか、と言われていたものだ。

「あんたも好きだろ? じゃ二つ買って来て。
 遠慮しなくて、良いからさっ」

って、そういう問題じゃないんですと、美夏が、返す間もなく、

「それと、マイルドセブン、二箱ねー」

ちょ、ちょっと困りますぅ、と答える美夏の手に、湿った千円札を握らせると、

「さぁ、お風呂ためなくちゃ」

と、老女は、奥の風呂場に向かってしまった。

あとから、センター長に、こっぴどく怒られることになるのだが、今日が、初仕事の美夏は、倫子の調子に、すっかり飲まれてしまい、結局、すべての買い物をすることになった。

今日は、買い物の他に、入浴介助があった。
利用者だけでなく、介助者も、着替える必要がある。とにかく買い物を済ませて、早く帰らなくては。

ネコ缶に、フライドチキンに、タバコ二箱・・・忘れないよう、ブツブツ唱えながら、自転車にまたがった。


アパートの向かいの雑居ビルから、全身タトゥーの、若い長髪男が出て来て、一瞬ギョッとしている美夏に、

「新しいヘルパーさん、っすか。
 椎名さん、ワガママだから、大変っしょ」

と、声をかけてきた。

「あオレ、椎名さんの、元カレです」

と、ぺこりと頭を下げる。
って、人に聞かれたらそう言えって、言われてるんでと、笑う。鼻ピアスを光らせながら、意外にも、爽やかで、優しい笑い方だった。

「このビル、もともと雀荘で。
 椎名さんが、好きに使って良いって、言って
 くれて。古着と、タトゥーやってます」

どうぞよろしく、頑張ってください、と腰から下げたチェーンを、じゃらじゃら言わせて、ビル一階の、店の奥へと、消えて行った。

 
アンデルセンのチキンは、ちょうど揚げたてで、まだ湯気を立てているのを見て、倫子はとても喜んだ。
すぐに食べたがったが、いやここは、どうしても譲れない、入浴介助だ。

「椎名さん、先にお風呂、入っちゃいましょ
 う!」

倫子は、しぶしぶ裸になると、風呂イスに、どっかり巨体を下ろした。

介助と言っても、倫子はマヒがあるわけでもなく、見守りに近い。本人曰く、頭を洗うときに、目をつぶるのが怖いんだそうだ。
鶴崎から、初めて聞いたときは、思わず笑ってしまったが、この巨体を滑らせて、風呂場で転倒してしまったら、大ケガになるだろうし、ケアプラン的にも、要支援対象として、認められていた。

「あの人が生きてるときは、毎晩、洗ってくれ
 たのよぉ。頭のてっぺんから、つま先まで、
 こう、几帳面に、泡立ててね。

 日中は、麻雀だったり、花札だったり、悪さ
 するのは、いくらでもいたから、まぁうちの
 用心棒だね。ケンさんみたいに、いい男だっ
 た」

そりゃあ高倉健が、シャンプーしてくれたら、身体洗ってくれたら、女は嬉しいだろう。でも、仏壇のあの人?の写真は、こわもてだけど、ちょっと違う気が・・・

お背中流しましょう、とスポンジを受け取って、背中に湯をかけると、ちっちゃくてポップな、般若の入れ墨、いやタトゥーと言った方が似合うか、が現れた。あら、可愛い、と口に出した。

「あ、それ、向かいの兄ちゃんが、入れてくれ
 たのよぉ。良いでしょ。
 あの人が見たら、怒っただろうけどね。自分
 は、立派な俱利伽羅紋々、背中にしょってた
 クセに、あたしには許さなかった…
 堅気になったら、おまえに雀荘やらせるか
 ら、綺麗にしてろって」

すっごく、愛されてたんですねと、シャンプーの泡を流して、美夏が言うと、
うふふ・・・、と少女のように恥じらう倫子が、目をつぶりながら、頷いた。

 
「狩り込み、って言ってね、もう誰も知らない
 だろうけどさ、あたしもあの人も、上野の浮
 浪児だったのさ。上野の地下道で寝てると
 ね、朝、警察とか役人が、もううわーって狩
 りに来るんだよ、子どもを。
 みんな捕まりたくないから、逃げて逃げて
 ね。中野のヤミ市の近くに、子どもを守って
 くれる施設がある、って聞いて。
 でも、あたしは身体も大きかったし、早く大
 人みたいに、自由になりたかった。

 オリンピックの前だったかな、高円寺に大き
 な組が、移って来たのさ。組長も苦労した人
 だったから、うちの人みたいなのも、可愛が
 ってくれて。悪さもまぁ、しただろうけど。
 まだ、夢はあったね…

 あれから、ずいぶん変わったよ、高円寺も。
 クスリでだめになる若いのを、たくさん見て
 きたからね。

 このタツー?入れてくれた兄ちゃんも、ひど
 い親から逃げてきたらしいけど、とにかく真
 面目にやるんならって、店貸してやったの
 さ。もともと絵描きらしくて、けっこう流行
 ってるらしいよ。
 そろそろ家賃、がっつり取ってやんないと」

頭に大きなバスタオルを巻き、アンデルセンのフライドチキンに、がぶりと食らいつきながら、倫子が言った。

さっき会った、あの男から貰ったという、得体のしれない香りのお茶を、勧められた。まさか、やばいものじゃないよな・・・と思いつつ、不思議にいやな感じはしなかった。
なんだか、優しい味がする。

「あたしは、子ども産めなかったからさ、自分
 が生かしてもらったように、この町に流れて
 きた若いのは、面倒見てやらないとね。
 ま、骨まで、しゃぶり返してやるけど」

チキンの油で、てらてら光る唇を拭って、ニヤッと笑った。
うわ、怖っ・・・でも、なんか惚れぼれしちゃうのだ。自分も、こんなふうに笑えたら、もっと大胆に、恋のひとつも、できただろう。胸の奥が、ちくっと痛む。
 


椎名倫子とは、半年のつきあいだった。

ある土砂降りの雨の朝、いつも通り、ネコ屋敷の崩れかけた門扉に、自転車を立てかけて、中に入った。身体に張り付く雨ガッパを、悪戦苦闘して脱いでいると、いつもすれ違うはずの、ネコたちが、一匹もいないことに気づいた。
 
アパート一番奥の部屋のドアを、いつもの調子でノックし、
 
「椎名さーん、おはようございますぅ。スマイ
 ルサポートの高木ですー」

と、声を張った。部屋は、しんと静まり返っている。
ドアの新聞受けから、中を覗いてみた。カーテンのすき間から漏れ入る光で、室内は薄暗い。奥座敷の、盛り上がった布団の足元に、ネコたちが、うずくまっているのが見えた。
 
ネコの名前はなんだっけ、と思いながら、おーい、椎名さーん、と呼びかける。
ネコは、騒がなかった。
飼い主が、尋常でないことを知ってか、餌をねだって鳴き声を上げるでもない、ただじっと傍にいるようだった。
 

美夏は、アパートのトタンに叩きつける、激しい雨音を、片方の耳に手を当てて、塞ぎながら、鶴崎に電話をかけた…
 


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(続)

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