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【感想】スパイダーマン ノーウェイホーム

どうも!まーひーです!

さて今日は、2022/1/7に日本で公開された映画「スパイダーマン No Way Home」を先日観賞しまして、はちゃめちゃに面白かったので、どこが面白かったのか、まとめたいと思います!

観賞当日にも、熱が冷めやらぬうちにと感想を書いたのですが、


それだけじゃ熱の放出が足りなかったのか、全然熱が冷めなかったので、週末を利用して再度書いてみることにしました。

もちろんこの記事でもまとめきれないけどね!

それではいきまっしょう!

※ネタバレを含みます。



はじめに

僕は、MCUは色々な物語を組み合わせるのがめちゃめちゃうまいと思っています。

2時間という限られた尺の中に、どういう情報をいれて、どういう順序で表現して物語を構成していくのか、その構成力において、MCUの右に出るものはいないと思っています。

シビルウォーの時に、あれだけのヒーローを登場させながら、各ヒーローに持ち場をもたせなおかつ全体の物語としてもうまくまとめていて、

それを見たときには、あぁこりゃすごい、と思いました。

ですが、そんなシビルウォーを今回、No Way Homeがはるかに上回ってきたんです!!

No Way Homeは、大きく次の3つの物語で構成されています。

1.MCU版ピーター・パーカーの物語
2.SSU版ピーター・パーカーたちの物語
3.MCU世界全体としての物語


これらの物語をうまく組み合わせ、一つの映画作品として表現しているのが、MCUの一番の功績だと思います。

過去作品を、一部しか見てない人も楽しめますし、全部を追ってきた人はもっと楽しめる、というか、繰り出される感動ポイントの数に、感情が追いつかない状態になります。


それでは!
そんなNo Way Homeの物語、それぞれどういう物語なのか、書いていきたいと思います。



MCU版ピーター・パーカーの物語

トム・ホランド演じるピーター・パーカーは、MCUの世界線で、トニースタークやキャプテン・アメリカとともにアベンジャーズの一員として、地球を守るために戦ったりしてきました。

トムホピーターが初めてMCUに登場したのはシビル・ウォーで、トニーに勧誘される形でアベンジャーズの一員になったのがきっかけです。

そしてシビル・ウォーの次作品ホームカミングで、単独映画が公開されます。

単独映画ももちろん面白かったし、シビル・ウォーでもしっかり活躍するのですが、観賞していた当時、一つ違和感がありました。



それは、ベンおじさんが全然登場しないということ。

それに伴って、With great power comes great responsibility、というあの名台詞が全然登場しないこと。

つまり、MCUの世界線では、ベンおじさんはすでに死んでいて、トムホピーターは登場した時からスパイダーマンの能力を有しており、その能力を得るにいたった経緯やヒーローになる過程などは表現されません。

これは、原作ファンやSSUでその物語を知っている人にとっては大きな違和感です。

ただ、実際には、違和感を持ちつつも、その物語はSSUで散々やられてるしなーとか、MCU全体の物語の方を重視して省いたんかなーとか、好意的に忖度することで、違和感を自分の中でもみ消していました。



それが、MCUの罠だったのです。

だって、トムホピーターがその過程をふむのはこれからだったんだもの。

大切な誰かを失う痛みを伴うのは、これからで、

With great power comes great responsibilityを言われるのもこれからで、

ヒーローとしての自覚が芽生えるのもこれからだったんだもの。

トムホピーターは、
メイおばさんを失うことで、大切な誰かを失う痛みを知り、しかもそれが、自分とはあまり関係のない世界の人たちを助けようとしたことによるものであったことから、ヒーローとして生きることに悩みます。

これはSSUのスパイダーマンたちがふんできた過程です。


そしてそれでも、色々な人の助けを借りながら
With great power comes great responsibilityというメイおばさんの言葉を思い出し、それがトリガーとなって、迷いを消すのです。

つまり、ヒーローとして生きることを決意するのです。

ほんとかっこいい。




僕らはヒーローではないですが、ピーターと同じような悩みはみんな抱えると思います。

良かれと思ってやったことや、誰かのためを思ってやったことなのに、裏切られたり、良くない結果を招いてしまうこと。

なんのためにやっているんだろう、こんなことならやらなければよかった、自分のことだけ考えていればよかった、そんな風に思ったことはありませんか?

規模感は違うけれど、ピーターの、それでも人のために戦うヒーローで有り続けようとする姿に、勇気をもらいます。

自分の過去の行動を肯定してくれ、これからの行動に勇気を与えてくれる、ほんとに良い映画だな、と思いました。

物語の終盤、トムホピーターは、孤独なヒーローになることを選びます。

大好きなMJや親友のネッドにさえ、彼らの幸せそうな姿を見て、自身の正体を明かさないことを選びます。

この選択がトムホピーターにとって良いか悪いかはさておき、

物語の序盤で、ストレンジに何回も呪文を止めさせてまでじぶんのことを覚えている人たちを作ろうとしたトムホピーターが、終盤こういう選択をしたことは、ヒーローとしての成長を感じさせます。

つまり、本作は、トムホピーターがヒーローとして成長するための壮大な物語だったのです。




SSU版ピーター・パーカーたちの物語


本作には、SSU版スパイダーマンで登場した過去作品のヴィランやピーター・パーカーが登場します。

過去作品のピーター・パーカーたちの物語は、視聴者の中ではある種完結していたり、あるいはモヤモヤを抱えながらもそれで止まっているものでした。

しかしマルチバースの概念の導入により、彼らの物語が動き始めます。

映画の中で、サム・ライミ版ピーターと、アメイジングピーターは、トムホピーターを助ける役割を担いながらも、彼ら自身にもやり直すチャンスを与えられるのです。


サムピーターは、不幸ながらも自身がグリーンゴブリンを殺してしまったことにより、親友であったハリーと敵対してしまったことを悔いていました。

だから、トムホピーターが、愛するメイおばさんを殺したグリーンゴブリンを追い詰め、殺そうとしてしまった時に止めに入ります。

同じ過ちをトムホピーターに犯してほしくないと、自身の背中を刺されながらも身を呈してそのことを伝えます。

これにより、トムホピーターはサムピーターと同じ苦しい道を歩むことがなくなります。

サムピーターが救われた瞬間でした。



アメピーターは、最愛のグウェンを救えなかったことを悔いていました。

アメイジングスパイダーマンで高所からグウェンが落下するのと同じシチュエーションが、本作のMJの身にも起こります。
そしてトムホピーターはヴィランに邪魔されて救えないのです。

そこで助けたのがアメピーター。

グウェンは助けられなかったけど、今回は助けられた。

助けられた時の、アメピーターの表情を見たら、もうお涙せずにはいられません。


救えない命と、救える命があります。

過去にハリーやグウェンを救えなかった事実は変わりません。

彼らもトムホピーターと同じようにヒーローとして生きていくことに悩みながら生きてきました。

ヒーローとして、自分とは関係ない人たちを救っている場合なのか?

自分がヒーローになることで、自分の身の回りの人たちが危険な目にあっていたら本末転倒なんじゃないか?

そんなことを悩みながら、それでも
With great power comes great responsibilityという言葉を信じ、ヒーローをやってきました。

そして今回、自分とは違う世界線で関係がないけれど、トムホピーターや、ノーマン、MJのような似た境遇の人たちを救えた時、

今までやってきたことは無駄じゃないんだ、

ヒーローには価値があるんだと、

救われるのです。


しかもSSUの物語の続きは、ヒーローたちだけではありません。

不幸や不運が重なってスーパーパワーを手に入れてしまったがゆえに死ぬことになってしまうヴィランたちをも救おうとするのです。

蜘蛛に噛まれてスーパーパワーを手に入れたスパイダーマンだからこそ、ヴィランたちの境遇は理解できるし、救えるのは自分たちしかいません。

彼らのスーパーパワーを奪うことによって彼らの運命を変えようとするのです。

これは、革命です。

昔の作品において、勧善懲悪!敵をやっつけてハッピーエンド!としていたものを、ヴィランも不幸の産物なのだから、救おうよ、みんなを救おうよ、という現代のヒーローの考え方にアップデートさせているのです。

それも、新たなそういう作品を作るのではなく、過去作品のキャラ(キャストもそのまま)を引用し、物語を更新することで、それを表現しているところに凄みを感じます。

SSUのピーターたち、そしてヴィランたち、彼らの物語にも続きを与え、新たなハッピーエンドを用意した。

この革命的な映画に感動を覚えずにはいられませんでした。



MCU世界全体としての物語

これまで記述してきたことだけでも、内容てんこ盛りの作品だと思うのですが、本作は、MCU世界の物語を次へ進める重要な位置づけにもなっています。

いやどんだけ詰め込むねん!


本作で、マルチバースの概念が登場し、それが、次の物語のトリガーになります。

今回は、みんながスパイダーマンであることを忘れることで、ことなきを得ましたが、一度開かれてしまった扉は、簡単には閉じることはできません。

その証拠に、エンドクレジット後に、Dr. Strange Will Returnと表記され、Dr.Strangeの次回作、dr strange multiverse of madnessのtrainlerが放映されました。

エンドクレジット後に次回予告ストーリーがあるのはMCUおなじみですが、ここまでがっつりtrailerを流すことはありませんでした。

それだけ、本作とdr strange multiverse of madnessが繋がっていること。

次回はストレンジが主役です。

タイトルにもあるようにマルチバースの概念がバリバリ出てきそうな予感。

しかも、クレジット途中で、ワンダも出てきました。

最近は、エターナルズやシャンチー、ブラックウィドウなど、MCU同士のつながりが薄いように感じていた分、ここにきて、いよいよフェイズ4のMCUとしての物語が動き出しそうな予感です!

わくわくしますね!!



まとめ

まとめに入ります。

本作は、いろんな視点の物語が折り重なってできた作品であり、その表現力、構成力が素晴らしい。

MCUあっぱれです。

ところで、これらの各物語が、本作において、どれも同じ比重で描かれているかというと、そうではありません。


今回一番重きを置かれているのは間違いなく、トムホピーターの物語です。


思えば、MCU版スパイダーマンシリーズは

ホームカミングはシビルウォーの後、

ファーフロームホームはエンドゲームの後、

といったように、大ヒットお祭り映画の直後を担わされてきており、ピーター自身の物語というより、MCU全体の物語の中での橋渡し的な立ち位置をとることが多かったです。(もちろん単体として見てもめちゃめちゃ面白いし、ただの橋渡しではないんだけど!個人的にはファーフロームホームはエンドゲームに引けをとらないくらい好き。)

しかし今回は、紛れもなくトムホピーター自身の成長に焦点が当てられ、その物語を描くことに一番重きが置かれています。

その証拠に、ドクター・ストレンジは途中で物語から退場させられてしまいます。

ピーターが、保護者に頼らず、自分自身と向き合い、自分の力で切り開いていくことを描くためです。


シビルウォーも、エンドゲームも、SSU提供の過去作品スパイダーマン物語でさえもすべて長い長い前振りにして、

マルチバースという大きくて新たな世界をも利用して

ピーター自身の成長物語を描いたMCU。

こんな作品、他にあるでしょうか。

その壮大な実験というか、挑戦に、感服いたします。

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