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狭山市立博物館ですよ

6月17日でした。だいぶ経ってしまいました!しかしいいものが見られましたし、ずっと引っかかってはいたんですよね。

いわゆる郷土博物館のスタイルで、大半の展示は郷土の歴史です。しかし自然史、特に地質と化石の展示は狭山市のものをしっかり紹介しています。
狭山市で化石が発見されているのは上総層群の仏子(ぶし)層です。入間川の中流に露出している地層です。
この前の記事に登場したチバニアンより前の年代で、その分今の生き物との違いも少し大きくなっているのですが、植物などは今だいぶ分布が変わってしまったというだけで絶滅していないものが多いようです。それだけに地形の変化が読み取れたり今もいる植物で当時の風景が感じ取れたりと、今いない生き物ばかりの年代とは違った味わいかたがあります。
それに、化石の数は少なくても詳しく展示していて、理解を深めることができます。
郷土の歴史の展示については何か言えるほど知識がないのですが、お茶や養蚕といった狭山地域独特の産業の展示や、交通に関する展示も目を引きます。
化石が発掘された地点も見に行ってみたんですが、川の水量的に季節外れだったようで露頭そのものは見ることができなかったものの、川自体の魅力に触れたり、ちょっと面白いものを見ることができたりしました。

狭山稲荷山公園という、小さめの山の端にある緑地公園の中にあります。

橋本真之作「連鎖運動膜(内的な水辺)」。薄い金属板でできた内部に土が溜まり草が生え、確かに内側に湿地みたいな環境があるな……と。意図してないか。

エントランスホールに小柄なゾウの姿が。これこそ狭山市で発見された最も大きな動物化石、アケボノゾウの復元像です。アケボノゾウはゾウとしては小さいのでこの大きさでも全然おかしくなさそうです。毛は生えていないものとしていますね。
本来は踏み台にしているスピーカーで解説が聞けるようです。こういうステンレスを多用した90年代っぽい様式なんですね。

大きなスロープをぐるーっと周って2階へ。

展示室は細長くて地下鉄の駅みたいな形をしています。

さっきの写真から振り返ってこちらが自然史展示。

主役はアケボノゾウ、いわゆる「狭山標本」の組み立て骨格です。周囲のどの角度からもよく観察することができます。
アケボノゾウはゾウ科ではなくステゴドン科ステゴドン属ですが、全体の体型はかなりゾウらしいことや、牙が長くて途中まで真っ直ぐなことが分かります。今のゾウと比較がしやすいですね。

これは足跡化石の実物大パネル。

よく見ると化石から型取りした部分と造形した部分がはっきり見分けられるようになっています。このことが他の展示と組み合わせて活きてきます。

それが、アケボノゾウから見て右・こちらから見て左側の壁のパネルと、産状再現模型です。
ただ産状の再現があるだけでなく、どれがどの骨なのか図示してあります。このおかげでどの部分の化石が発見されていてどの部分が推定なのか容易に照らし合わせることができるのです。
主に椎骨、肋骨、右前肢、左後肢が発見されたとのことです。プロポーションを推定するのに重要ですね。

産状復元模型は壁の高いところにかけられているのでちょっと遠い感じがしますが……、

見上げれば珍しい角度から見ることができます。

地層の解説もぬかりないです。

産状模型の下にはだいぶレトロな古生物年表が。アケボノゾウと仏子層の地球史全体の中の位置付けを把握するには大事ですね。

アケボノゾウと双璧を成す発見であるメタセコイア埋没林が発見された地点の地層の断面です。

植物化石の数々とメタセコイアの株。

オオバタグルミは絶滅していますが近縁種がアメリカに残っています。日本の植物園にはいないようですね。そうだ、「オオバタ」って「大畑」とかではなく「大」「バター」らしいですよ。今いる近縁種はバタグルミというのです。他の植物は今いるものが多いですね。
おや、植物ではなく二枚貝のオキシジミやヒメシラトリが。これのみ少し違う地点の地層から発見されたそうで、その地層が堆積した時点では海だったと分かります。

メタセコイアの株。今は日本に自生していない、というか産地でもなかなか発見されなかったメタセコイアですが、当時は繁茂していたようです。

展示室の端の壁には四季折々の植物の姿と昆虫標本がずらりと。迫力です。

鳥類と魚類の展示になると漁具が現れてすでに人間の気配が濃厚になりますね。

箱メガネ(水中をよく見るための道具)を覗くと魚など水生動物の映像が。

入間川でしょうか。歴史を下っていきます。

新しい時代の古生物をよく見るようになったことや土偶で一波乱あったのを見ていたのもあって縄文のことがちょっと気になっています。

武蔵野台地で見られるすり鉢状の井戸の一種、七曲井です。崩れやすい層よりさらに下まで掘らないと井戸にならない武蔵野台地では一旦すり鉢状に掘ることになったんですね。

飛鳥時代~江戸時代の(長いな)封建主義の支配者が別の封建主義の支配者に移り変わるのを繰り返すくだりは私にはピンとこないので語ることが少ないのですが、本当は充実しています。
その中からちょっとだけ。昔話のコーナーはまあほっこり路線かなあなんて思っていましたら、「太陽が二つ現れて旱魃が起きた。帝が片方は魔物に違いないと見抜いて弓の名手を派遣した。射手が片方の太陽を射ると三本足のカラスになって落ちた」というガチ退魔伝が混ざっていました。
太陽に関連した三本足のカラスというのは八咫烏と同じ起源みたいですね。この伝承から「射留魔」が入間の語源になったとのことです。

射留魔地名伝説 狭山市公式ウェブサイト

武蔵御嶽神社のオオカミの護符。そういえば同じ狭山地域の瑞穂町にもニホンオオカミを捕らえて頭骨を保管し、病気の人に貸し出したという話がありました。オオカミが魔除けになるという信仰があったんですね。

農家のジオラマ。建物の中に建物があるタイプの展示は楽しいですね。

狭山地域に特徴的な産業のひとつ、茶葉の製造のミニチュアです。

こちらは養蚕の道具。中央にはカイコの状態を図示する当時の掲示物らしきものがありますね。

馬車鉄道の車両。商品作物中心なためか交通の発達が早かったようです。車体の構造は鉄道車両そのものなのでちょっとシュール。

郷土史展示によく見られる大戦に関する展示の先に、入間基地関係のものもありますが……、

やっぱり民間機が好きです。

ホンダのV6エンジンなど現代の産業を示しつつ、壁には野山に暮らす子供達の姿という、複雑な状況を示して展示室は終わります。

さて、展示解説の中でアケボノゾウやメタセコイアの発掘地点が示されていましたので。

公園の中を突き抜けます。大部分はいかにも公園らしい緑地ですがなかにはこんな林の道も。

南に下っていく河岸段丘で暮らして長いので、同じ河岸段丘でも北に下っていくと、なんだか酔います。

入間川に着きました。素人目には生き物がいそうな感じがかなりします。橋を渡って川沿いに進んでいきます。

期待どおり立派なツチイナゴが現れました。

すでに暑い中かなり長く歩きましたが、草木と空に囲まれて風に吹かれながら進んでいるとあまり苦になりません。
しかし、アキシマクジラ発掘地とアキシマエンシスの間を歩いたときもそうでしたが、徒歩はあまりおすすめではありません……。

発掘地すぐそばのダムに辿り着きました!
しかし水がなみなみと満ちていますね。地層が見えるのは水の少ない冬だそうです。今は流れる水の力強さという形で大地の力を示しています。

掲示でもないかと周りを見てみますと、小さな公園に立派なメタセコイアが。

埋没林発掘地なので記念に苗が寄贈されて植えられたそうです。

しかも4本植えられているのでメタセコイアに囲まれた空間で過ごすことができます。
アケボノゾウが発見される地層では決まってメタセコイアも見付かるのですが、アケボノゾウはメタセコイアの葉や球果を食べていたのでしょうか。木の葉や枝を食べるのに適した歯の形をしていたとはいえ、針葉樹が主食とは考えづらい気がしますが。
どちらにせよ、アケボノゾウが生息していた当時をしのび、また化石が発見されたことに対して町の人達が思いを寄せていたことに触れられました。

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