閉園迫るみさき公園で命の輝きを見た
昨日のことです。なおnoteを書く習慣が根付いていないので確実に記事を書くためにスマホによる写真を使用します。
この前日に須磨海浜水族園に行っているのですが、今はとにかくみさき公園です。
なにせみさき公園の閉園のほうが来月末に差し迫っているのですから。
そして私はこのタイミングになるまでこの、昭和の発想ではあるもののそこにある種の本質を見極めて実践していた……つまり、世代関係なく楽しいところを、スルーしてしまっていたのですから。
駅を出るともうみさき公園に至る道なのですが、正面にあるこの石像は現生種ではありません。帽子のように出っ張った頭、ねじれてから前に伸びる牙、そして体を覆う体毛。地質学的に言って最も大阪府にふさわしいゾウ、ナウマンゾウです。
みさき公園にいない種の現生ゾウよりは地域に関わるものを選ぶ、計画者の大阪への想いがすでに見えます。
動物園を名乗っておらず敷地の半分は遊園地なのですが、その造りはまさにのどかな公園です。いかにも「動物公園」的です。
アミメキリンの放飼場を見上げる道です。正面に見えるのはアミメキリンにしては色黒で模様もジャギジャギしているのでマサイキリンのような雰囲気もある、仙一さんです。
動物をまず見上げるというのはとても大事なことです。下ではなく上に見ることで、これはすごいものなのだ、見下したりするものではないのだ、ということを我々来園者に知らしめるのです。
他に先進的な造りが見られるわけではありませんが(無柵式なことくらい)、来園者から見てどうなのか、何を感じ取ってもらえるのか、ということを真摯に考えた配置なのではないでしょうか。私にとってはこの配置だけでこの園は尊敬に値するものです。これができていないせいで来園者が好き勝手なことを言う動物園はたくさんあるのです。
進めば目線の高さを合わせることもできます。そしてこの開放的な借景です。
坂が多いのはデメリットかもしれませんが(何しろ多摩と同等以上の坂です)、動物との邂逅という点においては強力な立地条件であるということを、このみさき公園で繰り返し見ることになりました。
牧草をつまんでいるのは左脛の外側にハート模様のあることで有名な音羽さんです。
ほら。
音羽さんのお姿に合わせて吉崎観音先生が描き下ろしてくださったパネルが、けもフレとのコラボ期間でない今も掲示されていました。こっちのアミメキリンさんにも脚にハートがあります。
そういえばけもフレコラボがきっかけでここを認知したのでした。元から動物園ファンなのにおかしな巡り合わせです。
少し脇に反れて…2階建ての観覧車です。これは閑散としていたのではなく乗降のタイミングに合わせて撮っただけで、実際には閉園を惜しむ皆様で大盛況でした。大変美しい観覧車です。
「どでかマウンテン」と名乗るだけあって巨大なサル山です。ここでも再び、動物を見上げる配置です。多くのサル山が山といいつつ見下ろしがちになってしまい、ニホンザルという動物のイメージもあってリスペクトを抑える傾向になってしまうのに対して、こんなサル山もあったというのは私にとってありがたいことです。
サル山の裏に周り込む道にはいわゆる猛獣がいますが、その中からスマトラトラを。パンプさんかな。やはり高いところからこちらを見下ろしています。「怖い」と泣く子供も。そのくらいでいいのかもしれませんね。
ニホンザルと目線の高さが合わせられるところにやってきました。こちらから見てもニホンザル達はやはり自分達の世界を守って生きています。ニホンザル用の餌を買って投げ与えることができるのですが、それでもです。
何しろあまりにサル山が大きく凝っているので、例えば狙った子ザルに餌をあげようとしても、地の利を完璧に活かした大人ザルが全部軽々と取ってしまう、というくらい、ニホンザルのペースで事が運ぶのです。
背景の灯台は、閉鎖された観光灯台です。子ザル達は来月の閉園など知ったことではなく遊び合います。
観覧車を背に毛づくろいしています。
だから 一緒の今日が
きみと同じくらい 大好きなの
(Gothic×Luck(作詞:じん)「星をつなげて」)
今回最も胸を打たれたのは、意外にもシュバシコウのつがいでした。
枝や草を拾い、籠に並べて、巣を作ろうとしているのです。来月末には用を成さなくなる、この施設に。
閉園の事実を知らぬ動物の悲哀に見えるでしょうか。しかし私には、よしんば彼らが閉園を知ったとしても巣作りを続けるように思えてならないのです。
「俺たちは遊びでやってるんじゃねえんだよ!俺もあいつも、一つしかない命張って必死に戦ってんだ!」
(「仮面ライダーエグゼイド」より 花家大我のセリフ)
私にはこれまで、動物園の動物がどれほど懸命に生きて判断して行動しているか、考えが足りなかったのかもしれません。
ショウジョウトキのキンさんです。
国内の動物園で当たり前に見られるショウジョウトキには、トキの保護に関する技術を向上させるための練習にという目的で日本の飼育施設に導入されてきた背景があるそうです。この個体も奇しくも「あのトキ」と同じ個体名です。
しかし、このときこの場にいるキンさんは、誰の代わりでもありませんでした。
アカカンガルーの放飼場に、オーストラリアの道路によくあるというカンガルー注意の標識が建てられています。
何気ない飾りにすぎないといつもは軽く流すものです。
しかしこのときは、「ここでカンガルーの話をしよう」という、設置者の意思が強く感じられました。ここでカンガルーの話をすることが敷地内の遊具と同じくらい楽しいことになるという、確信と希望です。
ごろりと寝ているだけかもしれませんが、私が同じ日に同じことをしたら凍えてしまいます。毛皮のためか日当たりを見極める感覚のおかげか、カンガルーには平気なのです。それだけのことでも、カンガルーはすごい。
南海電鉄の施設なので小さな鉄道博物館があります。普通に車両を見ているだけでも、車両達の活躍に思いを馳せることができるのですが、
みさき公園と南海電鉄の歴史の一部と認められたスマトラトラさんの勇姿がありました。
さらに森を進むと、一転して青と白の世界です。
飛び込みを逡巡するフンボルトペンギンにも、なぜかうがいをするカリフォルニアアシカにも、彼ら自身の判断と行動が感じられてなりません。
イルカショーのチケットは取ったのですが、うかうかしていたら席が完全に満席であるということで入場できなくなってしまいました。
私も珍しくイルカショーを見るのに肯定的になっていたので残念ではあったのですが、来園者がいなくて困っていたはずのみさき公園で満席という言葉を聞くのは、それはそれで稀有な出来事だったかもしれません。「この日のみさき公園」と一体化できた経験です。
古い遊園地施設の間を歩きました。
レトロなもので溢れているのは私達大人には独特な魅力と感じられますが、これからの子供達にそれを押し付けてはいけないということを、いつもは考えています。
しかし、この日は大人も子供も、笑い、もしくは泣き、遊んで楽しんでいました。レトロだとかそうじゃないとか関係なく、ここの遊具が本質的だから、今の子供にちゃんと通じたのです。
時間はまるでジェット・コースター
流星みたいに燃えつきてしまう
明日世界の終わりが来ても
ダンス・ナンバーで踊り続けよう
(THE BLUE HEARTS(作詞:真島昌利)「ダンス・ナンバー」)
一周してからもしばらく見逃した動物など見て周っていたのですが、みさき公園の全てを知れるわけでもなく、とりとめもなくなってきたところで、日が暮れすぎて寂しくならないうちに離れることにしました。
ここと出会わせてくれてありがとうございました。
「楽しかったね」という親子の声が聞こえてきます。
今日、天気が良くてよかった。とにかくそのことだけ思って駅まで戻りました。
なんば駅のこれのことは聞いていたのですが複数種あるなんて知らなかったので余計やられました。
これからまたいくつも動物園が閉園になるかもしれません。そのことは恐怖ですが、とにかくファンとして、いいものだったということを語っていくべきであるようです。
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