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「ポケモンの進化は進化じゃない」…ではなぜ進化と呼ぶことにしたのか?

言うほうは1回、言われるほうは1000回っていうことがありまして。
「さよなら絶望先生」のネタだったかな。「君フルネーム安藤奈津っていうの!?餡ドーナツじゃん!」「ええ……まあ……」っていうような、言うほうは面白がってはしゃぐんだけれども言われるほうは言われすぎてうんざりしているという。

タイトルの「ポケモンの進化は進化じゃない」というのもそのひとつです。生き物とポケモン両方好きだと(そういう人はたくさんいると思いますが)生き物側の人からそれはもう言われまくるんですけれど、んなこた最初から分かってるとしかいいようがないんですね。最初から「ポケモンは間違ってる」と言って生物の進化の説明をするダシにする気しかないのが分かり切っていますし。

先のお話を進めるに当たって、ここで一度「進化」という言葉について整理しておかないといけなさそうですね。

生物学でいう「進化」は、ある生き物が世代を重ねるにつれて新しい種類が分岐することです。種類が増えてさえいればよくて、どちらが優れているとかの判断はいりません。
例えば、もし2つ山がある島の全体にオレンジ色のカタツムリが住んでいたとして、地盤や海水面の変動で島が沈んで2つの小さな島に分かれ、数万年経って一方の島のカタツムリが全て赤、もう一方の島では全て黄色になっていたとしたら、それはもう種類が増えているので進化です。
進化の過程でその場その場の環境に適応した結果何かの能力や特徴を発達させるということはありますけれどもね。

これって、生き物以外の分野で使う「進化」という言葉とかなり違っていますよね。生き物以外では「進歩」と言い換えることができるような意味で、ただし劇的な、見違えるような進歩のことを「進化」と言うことが多いように思います。
むしろ「生き物の種類が分岐して増えること」に進歩の意味合いを含む「進化(evolution)」という語を当てはめることこそ不適切だったのではないか、という言いかたもあるのですが、この言いかたについては一旦脇に置きます。

さて、「ポケモンの進化」は「生き物の進化」とは違うというのは上記の説明でお分かりいただけるのではないかと思います。「世代を重ねるにつれて新しい種類が分岐」しているわけではないですからね。「劇的な、見違えるような進歩」そのものではあるので、むしろ生き物以外の分野で使う「進化」に近い印象を与えます。

なぜあの現象を「生き物の進化」と同じ言葉で呼んでいるのでしょう?

生物学の言葉で「ポケモンの進化(のような現象)」をなんというかといったら、単に「成長」か、あるいは……、成長の途中で形態や特徴が段階的に変化するので、オタマジャクシからカエル、幼虫からサナギや成虫、のように……、ええ、「変態」と呼ぶわけです。

おめでとう! コダックは ゴルダックに へんたいした!

何がめでたいものかよ。

まあそんなわけで、「変態」なんて言葉使いづらすぎるから仕方なく「進化」と言っているんだろう、みたいな冷めた見かたをされがちなわけです、「ポケモンの進化」は。

なんなら「進化」という言葉に対する誤解を広めているとまで言われることもあります。
ちょっとさっき脇に置いておいたのを取りますね。種類が分かれるだけのことを進化とか言ってるのが悪いんだろうが!はいまた脇に戻します。

まあ、私も前までは「変態とは言えないから仕方なく進化と言っているんだ」と思っていました。「ポケジェクト」編集・発行のポケモン評論同人誌「ポケ論2」を読むまでは。

「ポケ論2」収録のわたなべ氏による論説「ポケモン図鑑のひみつ」で述べられている内容が私の「ポケモンの進化」観を一新してしまい、「ちゃんと理由があって進化と呼んでいるのだから間違いではない」と思い知らせたのです。

思い知らせたのですが、もう発行から10年も経っている同人誌、電書版の販売ページも404、いかに素晴らしい論説でも埋もれてしまったその地層の上で今日も元気に「あれは進化じゃない、間違ってる!」ってなもんです。

わたなべさんご本人も再掲を望まれてはいないでしょうし、かといってご本人の文章の存在を押し出さずに私が自力で考えたみたいにして書き散らかすのもよろしくないのできちんと前置きをしておきます。
ここから先では「ポケモンの進化を進化と呼ぶ積極的な理由」を、「ポケ論2」に収録されたわたなべ氏の「ポケモン図鑑のひみつ」で示された内容を軸に論じます。

……でいきなり「ポケモン図鑑のひみつ」より後の話なんですが、「シン・ゴジラ」の、それまで這いつくばって進んでいたゴジラ第2形態が鰓を捨てて体を起こし立ち上がって第3形態になるシーンで、矢口が「すごい。まるで進化だ」と、つい素直に感心して口に出しますよね。

ここでいう「進化」とは水生から陸生に派生するという脊椎動物の進化の歴史のことを言っているのですが、これも生物学の言葉では「変態」であるにも関わらず「まるで進化のように見える」と言っているわけです。

「つい素直に感心して」というところも大切です。「変態」を、全く知らない初めて触れるものとして頭を空っぽにして見つめたら、全然違う種類に変わった、つまり「進化」したかのように見えるのです。

実際、シン・ゴジラの各形態って別々のキャラクターとして受容されていますよね。第2形態は蒲田くん、第3形態は品川くん、第4形態は鎌倉さんって別人みたいな愛称が付いてるくらいで。生き物としては同じ個体だけれども、キャラクターとしては別の種類に変わっているわけです。

オタマジャクシとカエル、イモムシとチョウ、ヒヨコとニワトリも、それぞれ別物として受容されていないでしょうか。

オタマジャクシを掬うのとカエルを追いかけて捕まえるのは別の体験です。捕まえたそれらを見ているときの気持ちもまた別です。
イモムシは簡単に飼えますが美しい成虫のチョウを飼うのは大変ですし、ヒヨコとニワトリでは触れ合いかたや必要な世話が違います。

「全く知らない初めて触れるものとして頭を空っぽにして見つめ」ている「子供の視点」では、これらは別々の種類といってしかるべきものです。

ポケモンはこうした生き物をモチーフにしたキャラクターですし、ポケモンのゲームもまた虫取りをしている子供の視点で生き物と接することを主眼としています。

ならば、別々の体験をもたらすポケモンは別々の種類として分類するべきでしょう。つまりキャタピーは「バタフリーの幼虫」ではなくてあくまで「キャタピー」という固有の存在なのです。

ならば、同一性を保ってはいるものの、ある固有の存在からまた別の固有の存在に変わるその現象は、世代交代を通じてはいないものの、「変態」ではなく「進化」と呼んでしかるべきなのではないでしょうか。

「すごい。まるで進化だ」と思わせるから素直に「進化だ」と呼んでしまうことで各段階を固有の存在とし、それら一つひとつと接する体験を固有のものとする。それが、ポケモンが成長とともに姿を変えることを「進化」と呼ぶ理由です。

以上は「ポケモン図鑑のひみつ」の内容に沿って、ざっくりとした言葉遣いで書き表したものです。この見かたは、私の表現物に対する接しかたに大きな影響を与えました。

そうです、ただ間違っているのではないのです。どのような体験をもたらすかという意図に合わせて、積極的な表現をしているのです。

ポケモンの表現意図とは、赤緑のオープニングでオーキド博士が語ったとおり、「夢と冒険とポケットモンスターの世界」を体験させることです。ポケモンの世界の中にあるものの大半はそれを表現するためにこそ存在します。現実の生き物の正確な写像ではなく、虫取りをする子供の目線を通しているのです。

何かをモチーフにしている創作物にモチーフと異なるところがある場合、それは間違いではなく表現としての取捨選択である可能性があるということです。
そうだとすると、間違っていると指をさすのではなく、何かを表現しようとしていると思って手にとってよく眺めてみるほうが深いところまで味わえるのではないでしょうか。
そのように考えたほうがきっと表現物をより楽しめる。私はそう思います。

ところで本筋とあんまり関係ないんですけど、「ポケモンの進化」っていう言葉があってよかったなって思ったことがありまして。

けものフレンズぷろじぇくとが産んだVTuberであり英語が母語のフレンズ・コヨーテちゃんのお絵描き配信において、平気な虫と苦手な虫の話になり、コヨーテちゃんが「caterpillar(イモムシ)」をなんていうか分からず「なんて言う?ちょうちょが…進化する前の」という聞きかたをしていたんですね。

コヨーテちゃんはそこから「イモムシ」という言葉と「変態」という言葉を両方とも視聴者から教わることができたんですが、「Hentai」は英語に伝わる過程で意味がねじれてかなりきつい意味合いの言葉になっているということも、視聴者はコヨーテちゃんから教わったのです。

いやあ、本来の意味からちょっとずれたサブカル用語も国際交流の場で活躍するもんだなあ。







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