或いはパラダイス
ネタバレの上でダンスします。自衛しない人は知りません!
まずこの舞台『パラダイス』を観劇した時「純文学みたいだ」と思った。今まで観てきた舞台がショー部分がしっかりあったので、同時にちゃんと最後まで観ることができるか不安にもなった。まあ杞憂に終わったけど。
一度は中止になってしまった舞台の幕が開いたことは、なによりも喜ばしい。このまま無事千秋楽を迎えてほしいと思いながら、この文章を打ち込んでいる。
前置きが長くなった!この舞台のテーマに関しては人それぞれあると思うが、私は「情と無常」だと考える。「愛」というには素気なく「嫌い」というには生ぬるい感情が漂っていた。特に主人公梶浩一と小川家の関係性を表すにはぴったりではないだろうか。抜け出したかった実家ではあるが辺見に揺さぶりをかけられたぐらいで帰る梶も、母親と父親の喧嘩とか、断ち切れない情がそこにはある。
梶浩一という男は、中途半端だ。
稼業の不条理を表面上は割り切れている風で、研修生の面倒を見ないとと辺見に言ったり(バーベキューの場から離れる良い言い訳なのかもしれないが)辺見に実家のことを揺さぶられたぐらいで、久しくと言うにはあまりにも長い時間帰ってなかった実家に顔を出したり、非情になりきれない。でも遅刻したぐらいの研修生をボコボコに殴るバイオレンスはある。正から見れば悪、悪から見れば正みたいな割り切れなさが、人間臭くてとても愛おしい。後に語りたいが、丸山隆平という人間にも共通するものを感じてしまう。
さて、改めて梶浩一を整理してみよう。劇中では名言されていないが、おそらくキャリアはそこそこある30代半ばで、付き人をしていた過去から辺見の直近の部下だろう。冒頭の罵声が辺見と似ているのも、皮肉というかなんというか。そういやレポを見ている中で、この舞台は「親殺し」がテーマだと書いている人もいて、なるほどなあと納得した。ある種辺見は梶にとっての第二の親なのだ。
初めに梶のことを中途半端と表現したが、それにはいくつか根拠がある。まず彼の稼業用の名前「梶浩一」。小川家で「浩一」と呼ばれていたことから名前は本名であることがわかる。そこから 「梶」という苗字はおそらく稼業用の偽名につけたのだろう。そこは変えるくせに半分の本名である「浩一」を彼は捨てられないのだ。だから辺見に「浩一」と呼ばれるのを彼は嫌がった。名前を呼ばれるたびに家族を思い出すなら、全く違う名前にしてしまえばいいのに。人を騙して金を稼ぐ自分と「小川浩一」である自分を分離できない弱さ。そして辺見に独立への釘を刺されてからの冷めっぷりというか、心の離れっぷりも、辺見への梶の信頼を裏付けているようで面白い。(独立しようとしてたのは自分にも関わらず!)極め付けはもう居ないとわかっている猫を家族と一緒に探す優しさ。(これは姉から助けを請う連絡があったからなのかたまたま帰るときに連絡があったのかは描写がないので不明)
ここで丸山隆平という人間にスポットライトを少し当てたい。ムードメーカーで、ギャグマシーン。先の二語だけ見ると「変人」であるように錯覚してしまうが、彼自身は割と(というのもいっかいのファンが言うのはおこがましいが)常識人であるように感じる。「変人」に憧れ、近くまで寄ることはできるが、自分自身は根っからの「変人」になることは出来ず、しかし近くまで寄れる分、普通の人からすれば彼も充分「変人」ではある、みたいな感じで解釈している。(あくまでも私個人の感想であり読んでくれている貴方はまた違うだろう)
その白にも黒にも染まりきれないグラデーションや葛藤が、梶浩一と丸山隆平の共通した魅力だと思うのだ。
中途半端となんだか貶したように書いてしまったが、シンプルに言えば彼は「優しい」のである。(辺見には青臭いと言われてしまうが)その優しさや狂いきれない中途半端さをよく感じたのは、ラストである。
夕暮れの中、緊張した様子で忙しなく瞬きを繰り返しながら包丁を構える梶と、呑気に昔話をしながら寿司を食べる辺見。(この時昔話をしているのも梶に対する嫌がらせなのか情なのかいまいち判断が難しい)
うろ覚えの話で申し訳ないが、人には3つ家があるらしくて、1つ目が生まれた家(実家)、2つ目が1人で住み始めた家、3つ目が家庭、もしくは安住の地らしくて、梶はその3つ目の家とも言える詐欺グループが無くなったから、辺見を殺す決断をしたのかもしれない。裏切る可能性があるとタレ込みされ、ひさしぶりに帰った実家も居場所はなく、そんな中でも一番存在意義の感じられた詐欺グループも解散してしまい、どこにも行けなくなった八方塞がりによる、死なば諸共的な自暴自棄に陥ったんだろう。
いない猫を探し続けている家族が〜って言うけど、それは最もらしい理由であくまでも最後のトリガーに過ぎない気がしてしまう。
刺すまでに目に涙が浮かんでいるのもそうだが、梶自身この行動が正しいのか否か判断がついていない葛藤の涙なんだろうな。おそらく辺見もそれは見抜いていて、最後の切り札にブルーシートの下から、真鍋を出す。辺見は死にかけの真鍋を見た梶は殺意が萎んで、泣いて謝った後に戻ってくるという予想をしていたんだろう。まさか自分でそれを壊すとは夢にも思わず。
真鍋が虫の息で謝るのを見て、梶の緊張はいい意味で緩んだ。何故足を洗わなかったと質問した梶に「自分…不器用なんで……」と真鍋は返す。そしてそれを聞いて大爆笑する青木と辺見を見た時、梶の葛藤は消え去った。少し笑っていた梶が、あ、と思う間も無く走って辺見に突っ込む。辺見を刺す瞬間の梶は真顔だった。笑っていた辺見の顔が、一瞬にして戸惑いと苦痛に染まるのも圧巻だった。
このシーンこそ、パラダイスの絶頂だと思う。
思えば梶の怒りは自分ではなく、信頼している人たちを蔑ろにされると湧き出ていたものだ。そりゃ辺見に青臭いと言われてしまうのも納得だ。そんな不器用さが何より梶浩一という人間を愛おしくしているのだろう。
あとラストの小川一家のシーン!いろんな人が「梶は死んでる」説を推してた。いや確かにわかる。状況的に言えば青木の銃から逃げて、なおかつ火事の起きているビルから脱出できる図よりも、息絶えてる方が現実味がある。ただ私はお姉ちゃんの「こんな時間に帰ってきたの?まあいいや、ちょうどよかった、カレー食べちゃって!」が息子に対するセリフにしては、少し他人行儀だなと感じたのだ。あの火事からの時系列を描いていないのも、カレーのセリフにしろ、生死の判断がつけにくいように意図的にされてるんだろう。そういう舞台の観客に委ねる演出が、大好きだ。
さて、ここからは各登場人物(全員じゃないのはご容赦ください)と、ここに入らなかった気付きを書き記していく。
まずは辺見との関係性。一般人であった梶を稼業で生きていける一人前として育てた兄貴分。彼自身の役職はかなり上の方で、この世界の酸いも甘いも一通り味わい尽くし、今を楽しむことに時間を費やしている。信用してないって言うのは本当だろうけど、梶も辺見もお互い情はある。
辺見は梶のエネルギーというか、野心に羨望があるんだろうな。かつては自分も考え叶えられなくて諦めた独立を、あろうことか自分の部下が企てている。組織に属しているからこそ享受できる金と悦楽を味わえばいいのに、何故わざわざ茨の道を行くのか?そんな疑問と嫉妬、みたいな。梶が決別を言い渡し去った後、ヘリコプターに向かって叫んでいるあのセリフは、そのまま梶に言いたいことでもあるんだろう。梶には子どものまま、いつまでも自分の元にいてほしい親心のようなものが透けて見える。
そんな辺見の用心棒青木は、神さまもしくは無敵の人だと感じた。無邪気かつ無常な運命の番人。彼は陽気で人当たりがいいため一見無害だが、他人にはあまり理解できない独自のルールがある。嫌いなだけで烏に急に発砲したり、梶を撃つ前に先に刺されてしまったからもう撃たないなど、行動に予測がつかない。(余談だがこのシーンで必ず起こっていた観客の笑いは共感できる反面本当に怖かった)
かと思えば、道子に鍵と一万円を渡す優しさもある。
そして最後急に始まる犬と烏の話は
犬→組織に属する人間
烏→野良(劇中で言うと中年男)の例え話なのだろうか。
青木は犬ではあるけど独自のルールがあるのを見ると烏みたいで、でも最後のセリフ「ざまあみろ」が犬と梶に対してなのか、落ちてきた烏に向かってなら、彼は烏ではなくなる。辺見にハイエナと言われてたあたり、やはり彼は犬でもカラスでもないのかもしれない。
梶の右腕かつ用心棒の真鍋は、その筋らしい人柄だった。梶が納得していない時は辺見を追求し、ヤクザの息子にブチ切れた梶が殴り始めた時もすぐには止めずに、椅子を持ち出してからようやく止めに入るなど梶の気持ちを察し、尊重して動いている。互いに信頼しているのが多くはないやりとりから感じられたし、何より顔を見合わせて笑うシーンが随所で見られたのも、印象的だった。また梶から稼業から足を洗えと言われて泣いたり、梶のためなら指をつめたりとかなりの忠誠心が伺える。
余談だが、真鍋と梶の服装の違いも立場をよく表してて興味深かった。ルーズなシルエットの真鍋とタイトなシルエットの梶。2人の胸元には揃いのチェーンが光っていたのも、関係性の良さが見えた。あと真鍋は刺青入ってたけど、梶は見えるところに入ってないのは何なんだろうな。もしかしたら背中には入っていたんだろうか。
小川一家と梶浩一
おそらく梶が船橋の実家に帰るのは10年近くぶり?甥っ子を見たことがない(これは大きくなってからなのか、そもそも見たことがないのかは不明)かつ食卓の椅子が4脚しかないとこを見ると、少なくとも就職してからは帰ってなさそうだった。離れていたとは言えひさしぶりに帰ってきた梶を手放しで喜ぶでもなく、それどころか彼の質問に対してまともに返さない家族たち。研修生に暴力を振るうエネルギーに満ちた梶が心なしか肩を丸め所在なさげに、冷蔵庫の横に立ち視線を右へ左へ転がす様子は、家族たち独特のリズムに合わせられない異物そのものだった。あの家では、もはや梶の存在意義はない。透明な迫害を彼は受けてた。
かと言って家族たちはそれぞれが嫌いなわけではない。いなくなった猫を全員で探すシーンはそれが顕著に感じられた。ああいう無神経で余計なこと言ってしまうのって、父親あるあるなのかね。姉と母親が猫との出会いを仲睦まじく話しているところに入れない男たちとか、逆に父親が梶と2人きりになってとりあえず何か話しておこうと口を動かしている様子は、好きとも嫌いとも言い切れない家族を感じた。ちゅーるを買ってきた父親に母親は面と向かって「ありがとう」は言えないんだよな。
「俺のせいかもしれない」は梶ができた精一杯の告白だった。その割には真鍋に電話してる時はどこか他人事っぽくて、それで辺見刺す理由にするにはやっぱり弱いし甘い。
対比まとめ
欠けたワイングラスを配送業者に詰め寄る姉とロマネを飲む辺見たち
紙タバコとiQOS寿司 焼肉とカップラーメン
舞台の上に辺見、下に研修生たち
→それがラストでは逆になっている
こまごま
・中年男と梶はニアリーイコール
→もしくは梶の成れの果てが中年男かもしれない。組織に属してはいるけどそこから離れたい2人。
・「どういうことですか?」「何を言ってるのかわからないです」が劇中での印象的なセリフ。
・道子は未来と希望の象徴。(望月は満月の意、おそらく彼女はこれから満たされていく)
そんな彼女と、もう全てを終わりにしたい梶は最後彼女を視界に入れない。
結局のところパラダイスは存在しないのだ。どれだけ成功を収めても、やがては朽ちる。でも人間は生きている限り、パラダイスを夢見る。夢なんてそんなものでいい。
この舞台を観れる空間が、私にとってのパラダイスでした。多分何回観ても梶生存説を唱え続ける。
梶梶打ち過ぎて、今では予測変換が梶が一番初めに出てきます。お後がよろしいようで!
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