わたしの中の男の子。

幼稚園や小学生のとき、室内で遊びたがる女の子たちとは逆で、私は外で遊ぶのが大好きだった。
アルバムにも男の子に一人混ざって砂遊びをしている古い写真が残っている。

小学校で一番わんぱくな男の子と喧嘩をして、先生に2人とも怒られたことがあるのもいい思い出。

わたしの中の男の子はいつまでもそういう部分があって、冒険が大好きなのだ。それをわたしの中の女の子が「でも危ないよ?」と止めている状態。
男の子も必要だし、女の子も必要。

ただ家の方針で外で自由に冒険する、ということがしにくかった。
自転車で遠出をするのを禁止された小学生のわたし。
ゲームや漫画を読むこともできなかった。
川で泳ぐのを禁止されていて、友達が楽しく泳いでいるのに岩の上から眺めることでしか参加できなかった高校生のわたし。

実家の方は温暖地帯で雪が全然降らなくて大変めずらしいものだったから雪にあこがれがあった。
スキーに行く同級生を毎年うらやましく見ていた。
夏になったらキャンプ。学校でしかしたことがない。
親がそういうものが大嫌いだからだ。たぶんやったら発狂する域だろう。

せっかく自然に囲まれた豊かな土地に産まれたのだからそういうのを存分に活かしたアウトドアがしたかったのだ。だがかなえられることはなかった。

わたしの中の男の子はずっとさみしがっていた。

山をかけめぐり川でずぶぬれになって、ときに雨に濡れて、転んで怪我して、たまに痛い思いをする。そうして自然の危険を少しずつ学んでいくのだ。そういうことをしたかった。

その思いはずっとくすぶって、大人になって芽が出て、私は大学生になってスキーサークルとテニスサークルに入り、夏はテニス、冬はスキーに行きまくる。社会人になって自分でお金を稼ぎだすと旅行にはまり、自然を求めてあちこち行くようになった。

親も悪気はないのだ。
それは十分にわかる。インドア派だし、自然はあぶない、だから禁止。それはさすがに軽率すぎた。
私は完全なインドア派ではなかったのだ。

危険を自分の身体で感じとって、「では危険を避けるためにどう対処すればいいか?」というのを自然を先生にして学びたかった。禁止されていたのでは何が危険なのかすらわからない。

それは
「火は危ないから料理は禁止」
と言われているのとさほど変わらない。

わたしの中の男の子はこれからも自然といっしょに遊びたがっているから、どんどん連れ出してあげたいと思う。



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