自己中が形成されるまで

「自分の思いを綴る」という目的達成にあたって、まずは自分の性格形成がどのようになされたか、半生を振り返ろうと思う。

私は三人きょうだいの末っ子として産まれた。優しさと厳しさを兼ね備えた両親、天然だけど真面目で優しい姉、同じく真面目で愛されキャラの兄。兄・姉とは少し年が離れていることもあり、4人から溢れんばかりの愛情を注がれて育ったと自負している。そしてその無償の愛をさも当然のものと捉え、わがままで自己中心的な性格になってしまったということには、つい最近まで気付かなかった。

小学校の中学年までは、特に問題なく学校生活を送っていた。ただし、仲良しグループに属したことは一度もなく、放課後は一人で遊ぶことも多かったが、特に不便や不満を感じることはなかった。

小5になって間もなく、昼休みにクラス全員が外で遊んでいる中私一人だけ教室で本を読んだり絵を描いたりして過ごしていたら、担任に問題視された。今思えば、クラス替え早々いじめや仲間外れの兆候が見られたら担任としてはたまったものじゃないだろう。が、おそらく「なぜあなただけ外で遊ばないの?」と聞かれて「私は外遊びは好きじゃないし、誰にも迷惑かけてないのに一人で読書や絵を描くことでなぜそこまで怒られるのかわからない」とでも答えたのだろう。のちに「お宅の娘さんは子供らしさや無邪気さというものが乏しい」との指摘をされたのだ。外遊びが嫌いだから?周りの子に合わせないから?担任のことは嫌いではなかったが、このエピソードは未だに納得がいっていない。この担任はもともと兄とも接点があったため、素直でかわいいさわやかサッカー少年の妹がこんなクソ生意気なインドア娘という事実を受け入れがたかったのかもしれないが。

今思うと、このころから「好きなことや自分の世界を否定されること」に対する異常な拒絶反応が始まったのかもしれない。周りにどう思われるかよりも、自分の感情を最優先にする傾向は今でもかなり強い。

・・・まだ人生の半分も振り返っていないけど、ここがターニングポイントでその後もあまり変わっていないことに気付いてしまったので、この後十数年振り返らなくていい気がするな?

そこから十数年の時を経て、母に「さゆりの好きな芸能人を少しでも悪く言うとすごく怒るのが怖い」と言われたことがある。誰だってそんなことされたら不快だとは思うのだが、そこでは「空気を壊さないよう笑って受け流す」という「大人の対応」をしなければいけないものだろうか。もちろん知らずに言っていたら仕方ないとは思うが、相手が好きだとわかっていることをわざわざ悪く言うほうがよほど子供じみているのではないか。

年下の友人(ひとつふたつではなく、結構な年下)にアンガーマネジメントを進められる程度には大人げや余裕というものが欠けているため、おそらく私のほうが社会的には間違っているのだろうと思う。が、不用意にネガティブなアウトプットをするということがどうしても理解できない。(だからこそストレスに弱いということか・・・)

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