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出家したいが口癖だったのに移住して俗世に留まりたくなった

血縁のない田舎に引っ越して一年、なんだか私は人間らしくなったと思う。

心ゆくまで日を浴びて寝転がって本を読む。
移りゆく季節に身を委ね、だけども時に少しは反発してみる。
金銭に依らないやり取りが緩やかに続いていく。

大切な日々だ。

出世していくであろう学生時代の同級生を見ていると、自分との差を感じてちょっと焦る。
お金のことを心配しなくていいな、とか、大きな仕事を任されていてすごいな、とか。
でも、だからといって今の私は全く不幸ではない。私はここにいたくて、自分で選んでここにいる。その気持ちは一年前から変わらない。

この前、仕事中に指を切断した配達員が、そのまま配達を続けたというニュースを見た。
他人事ではなかった。追い込まれていた過去の自分であればそうしていたのではないか。自分は仕事を全うしないと価値がない、社会で存在が認められない、そんなふうに思って。
金銭的価値でしか計られない と思わせる社会は異常だと、今やっと断言できる。

優しさ

家族でもお金を払っているわけでもないのに、ここの人たちはどうしてか優しい。
困ったことはない?
ご飯食べていく?
車出そうか?
「気にかけてくれている」と思えることが、空っぽだった「社会で生きる意味」の器を満たしていく。
与えることに躊躇のない彼らの柔和な愛は、いつの間にか私の愛の源をつくった。

死んだら〇〇さんが悲しむな、じゃあ死ぬのやめようかなって、他人に生死を放るんじゃなくて、
真っすぐに、まだ死にたくないって思っちゃったよ。

あなたより先に死ぬのは順番が違うんだって。
私はあなたを見届けてから死にたい。
あなたとの限られた時間で愛を与えたい。

世に出ていくで出世なのに、私は世から離れたために俗世に欲が出始めてしまった。

困ったな。

でも、悪くないね。

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