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やっと書き始めます

息子がまだ小さかった頃のことを書き残したくてnoteを訪れたのが今年の初め、あれから半年も経ってしまってました。

改めて、私には今は他県で一人暮らしをしてる息子がいます。
彼が一人暮らしをしたいといい出した時には、1人は難しいんやないかと思ってて、寮とか下宿みたいなところをすすめてたのだけど、本人の希望を通すことになり、今に至ります。

なぜ難しいと思ってたかというと、彼は広範性発達障害ASDがあり、不器用で片付けが苦手なのです。
こう言うと、周りの誰かは「あら、うちの子もそうよ。男の子ってそんなもんよ」と言ってくれるんだけど、きっと違う。
だから時々様子見ついでに掃除に行くことにして、できるだけ彼が1人で生活しやすいように部屋と、そして私の心も整えることにしています。

周りの人には時々「過保護やん」と言われてますが、受け入れてます。
今まで自分でも「これって支援なの?過保護なの?」と思いながら日々過ごしてきたので。
でも今はその指標は彼が決めてくれます。
「過保護やなあ母さんはー」とか
「これは過保護やで」
と言われたら過保護。
自分でもできることをやってしまってる時。
言われなかったら、必要な事。

これについては、彼が小学校低学年の頃に学びました。
ママ友達の「それはもう自分でやらしたら?」や「自分のことは自分でやってもらうようにせな大変よ」にまどわされ、ある日特別に学校に来られたカウンセラーもされてる先生に支援と過保護の境がわからないと相談したところ、
「それは手伝ってあげたらいいよ。身の回りの整理や、学校の準備。困るやろ?」との答え。「でも、自分でできるようにせないつまでも1人では何もできなくなりませんか?いつまで手助けしたらいいですか?」と私。
先生 「いつまでもしたらいいんよ。その子が必要なら。でも多分成長してきたら自分から言うよ。もう自分でできるよって。僕のものさわらんといてって。それがいつかはわからんけど。」
私 「じゃ、それが大人になってもいわれんかったらずっと?」
先生 「そうやねえ」
私 「えー」
と言ったものの、なんかいつまではわからんけどやってもいいのねーって感じでモヤモヤが少し晴れた気がしました。

果たして、その後手助けを続けていたある日その時はやってきたのです!
あれは中学生になってからだったか高校生になる前だったでしょうか。
「母さんもう自分で準備できるよ。
俺がわかるように荷物おいとるけん、触らんといてね」
キター!!
ホントに言った!何あの人預言者?!
すごー!
その時から基本手出しはしないのだけど、一応できたかは確認。そして掃除は必要。
成長して、手伝ってほしいことは言ってくれるようになったけど、我慢することもあるので探り探り声かけてみたり。

というわけで、今は過保護かどうかは本人に決めてもらえるので他の人の見解は受け入れつつもさほど気にせずに過ごしているわけです。

今過保護かどうかモヤモヤしている方々にも、いつか「その時」が来ますように!!


これから少しずつエピソードを思い出しながら書けるときに書いていこうと思ってます。
読んでいただきありがとうございました。

また次回もよろしくお願いします!



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