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ちゃんと考えないこと

我慢できないほうだと自覚している。

この前のでんしゃエッセイで、国語辞典の話をした。そこでは触れていなかったけど、三省堂国語辞典の編集委員である飯間さんは前にもとり上げたイベントのなかで、「人々の相談相手になる辞典」をつくりたいと話していた。

ただ意味を解説するだけではなく、時代に即し、読み手に即し、「いま」の悩みを解決してくれるような辞典。

小説『舟を編む』で大号泣した経験をもつ僕は、これを聞いて感銘をうけた。

ここまでであればたくさんの仲間がいると思う。ただ、なにを隠そう、僕はその日中に書店で三省堂の国語辞典を購入したのである。

「国語辞典ってそんな気軽に買うものだっけ」といいたいのだろう。僕も疑問に思う。

実は、昔からこういうことが少なくない。

もちろん、現実的かどうかということは大きな判断基準になるのだけれど、基本的に、一度でも欲しいと思ったものはなかなか諦められない。手が届きそうなものには近日中に、なんなら当日中に手を出してしまう。

これは物に限らない。やりたいと思ったことも、できることならすぐにやる。ほんとうに必要なことの時間を削ってやる。

この行動による失敗談はいくらでもある。手に入れたけど飽きてすぐに使わなくなってしまったものもあるし、やっぱりいらなかったなと後悔したこともある。チームプレーが必要な行動を急に提案して、勝手に盛り上がって周囲を置き去りにしてしまったこともある。我ながらもう少し学んでほしい。

ただ僕は、この「ちゃんと考えないこと」がよいときもあると思っている。というか、いまの僕のほとんどは「ちゃんと考えなかったこと」がつくってくれたようなものだ。

SEだったのに突然やりたくなってライターに転職したし、僕の誕生日だったのに突然欲しくなって犬を買った。辞典で結構びっくりしていたけど、よくよく考えたら人生を左右するようなもっと大きなことを衝動的に決めてた。ほんとうにいま気づいたんだから怖い。

ちゃんと考えた結果、二の足を踏んでしまうことは多々ある。ただ、それがほんとうに正しいのかといわれれば、必ずしもそうじゃないだろう。

「やってみなきゃわかんない」とかいうと安っぽいだろうか。とりあえず僕としては、やりたいならやったらいいし、欲しいなら手に入れたらいいんじゃないかと思う。成功しなくても、「やりたいことをやった」「欲しいものを手に入れた」という満足感は残るはずだ。特に成功していない僕がいうんだから間違いない。

「ちゃんと考えることが大事だよ」はみんないうけど、「ちゃんと考えないことも大事だよ」は意外と教えてもらえない。だから僕がいう。ちゃんと考えないのも面白いよ。ときどき想像もしなかったことが起こったりね。

さあ、この国語辞典はどうなるだろうね。いまのところは、テーブルの上でウキウキしながらひいてるよ。

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