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亡き母を思い出した話

すでに他界している母をたまに思い出すことがあります。
滅多に夢も見ないのですが、最近ちょっと思い出すことがありました。

母の告別式の日、たくさんの参列者が来てくれました。
知っている人はもちろん、知らない人も多くて、その中に、私よりも若い女性が号泣しながらひとりお焼香の列に並んでいました。

あの女性は誰か、と弟を挟んで隣に座っていた父に聞くと、取引先の社員さんとのことでした。

実家は、以前は地元ではそこそこ名の知れた洋品店を経営しており、私も幼い頃から父や母に連れられて問屋へ行くことが多くありました。
母や父が仕入れをしている間、私と妹でフロアで鬼ごっこや隠れんぼで時間を潰したりしていました。

私が高校生になる頃にはもう問屋について行くこともなくなり、東京に出てからは実家の洋品店も時代の流れとともに客足が減り経営も悪化。
鬼ごっこをした問屋もいくつかは倒産してしまい、両親はわざわざ東京まで仕入れに来ることが多かったように思います。
閉店する直前に取引していた問屋がいくつあったのか私は全くわかりません。

そんな状況で、てっきり地元の問屋とは関係性も希薄になっていたと思っていた私は、母の告別式に若い女性が泣きながらお焼香をする様子を予想もしませんでした。

「お母さんのことをすごく慕っていた子なんだ」

と父が言いました。

正直、母は自分よりも他人を優先するタイプの苦労人という印象です。
とても真面目に手を抜かず親身になって対応する。私から見たらもっと楽にやればいいのに、と思うこともできない母でした。
でもそんなところがお客さんからは好かれており、お店には母に会いに来るお客さんがほとんどでした。お茶だけ飲みにきてしゃべって帰る人も多かったようですが。
なので取引先の若い社員の子が母を慕っていたというのもなんだか頷けるものがあります。
とはいえ、前に出て発言するようなタイプではなかったので、告別式に入り口の外まで溢れる程の人が集まるとは思いもしませんでした。
どこでこんなに繋がりができていたのかと、不思議でした。

その時初めて、母の人徳を目の当たりにしたと思います。
目立たなくても徳を積む人もいれば、目立っても人が離れていく人もいる。
自分がどれだけ徳を積んでいたか、人にどれだけ慕われていたかは死んだ時にわかるのかな、と思いました。

あれから10年が経ちますが、死なずとも少しだけそれが垣間見える出来事がありました。

会社を辞めました。


最終出社日、他部署からもたくさんの方が送別に来てくれてフロアがいっぱいになりました。別れを惜しんで泣いてくれる人もいて、手作りのアルバムやらプレゼントやらたくさんもらいました。

「これだけの人が集まってくれているのがどういう人だったかという証」

上司の言葉に、10年前の母の告別式を思い出しました。

母があの参列者の数を見たら、きっと恐縮しながらもとてもよろこんだと思います。私のしてきたことは正しかったんだな、がんばって良かった、いい人たちに巡り会えて良かったな。そう思ったことでしょう。

私も、色々と悩みや問題も多かったけれど、ここまでやってもらえるなんて感謝しかない、やってきたことは間違っていなかった、いい人たちとの出会いだった、と思うことができました。

ただ母と違うのは、私は生きていて、送り出してもらった後も人生は続くということ。

残りの人生はまだまだ長い。
半分色が塗られたキャンバスのようなもので、あとの半分は今後どのようにでも塗り替えられる。良くも悪くも。

これからの人生へのたくさんの期待と、少しのプレッシャー。

それらをうまく昇華しながら、私らしくいようと思いました。

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