愛するネコの完全室内飼いについて考える
私は猫を3匹飼っている。保護猫である。
避妊、去勢、済みでマイクロチップの登録もしてある。
一応完全室内飼いである。
でも1匹に脱走癖があり、苦労している。
彼はとても頭がいい。そして俊敏だ。
私が脱走防止柵を施しているのをじっと見ている。窓やアドアの開け方を観察している。
脱走するための抜け道がないか常に探しているのだ。
日々頭脳戦である。
心にずっと引っかかっている違和感がある。
それが最近大きくなってきている。
なぜ猫は「完全室内飼い」ではないといけないのだろう…。
理由はもちろん知っているし理解もしている。
住宅事情は人それぞれだが、狭いワンルームに住んでいる猫だっている。そんな子たちは猫本来の生活が出来ているのだろうか。(猫本来の生活という意味で)幸せなのだろうか。…と考えずにはいられない。
色んな事情でそうせざる得ないけれどそれでも猫が一緒じゃないとダメ、という人がいるのもわかっているつもりだ。
うちだってきっと猫本来の生活はできていない…。
前に住んでいた家は隣が原っぱだった。
彼の脱走に気がつき2階のベランダから探した時に彼がとても楽しそうに走り回っていた姿が忘れられない。
嬉々として走り回っていた。
(直後捕獲したがとても申し訳なかった)
どうしていつからか日本の猫は「完全室内飼い」の
1つだけの選択肢になってしまったのだろう。
住むところが違えば、住宅事情も交通量も違う。
それなのにどうして1つしか選択肢がなくて、「外に猫を出してる飼い主は責任がなってない!」と非難をされてしまうようになったのだろう。
海外の猫事情を調べてみたが、お国柄がとても出ていた。スウェーデンでは
外猫に対してネガティブな見方はあまりないらしい。『やっぱり猫にとって、猫らしい生活をさせてあげなくてはね。ネズミを取ったり、まわりを散策してパトロールしてみたり』 という意見すらある。
郊外であるならば猫を完全室内外にするのは「人間のエゴ」という考えもあるようだ。
動物に対する倫理観の違いももちろんあるが、選択肢が複数あるのはとても良いことだと思う。
基本的な去勢、避妊、マイクロチップという点を押さえての飼い方の多様性が出来ればいいのになぁと思う。
そしてそれを許容出来る社会であってほしい。
動物や子ども…弱いものへ厳しくなってしまうのは心に余裕がないからだ。それは私自身も体験している。
問題が大き過ぎて、人々が心に余裕を持って生きるのにはどうしたら良いのか私には分からない。
それでも、私を含めてみんなが心に余裕を持って弱いものに対してやさしくできればいいのになあ、と思う。
ペット飼育には「人間のエゴ」という言葉がついて回る。何をどうしたら「人間のエゴ」でなくなるのだろう…とまた私の頭を悩ませる。
そして私は愛するネコや動物の飼育環境の多様性について考え続ける。
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