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僕と彼女は、箱推しになれない 第三章

 希海(のぞみ)と共に今日のライブの振り返りをしながら、楽屋に帰っている最中、佐々木(ささき)瑠那(るな)はダンスが思うような仕上がりにならなかったことに自信がもてず、呟いた。     
「新曲のさ、ダンス私間違えてなかったかな」 
「るなちは問題なさそうだったけど、新曲は間奏のダンスが難しいよね」 
「そうなんだよね……ボーカルの二人はそつなくこなすあたり凄い」 
「対照的よね。はるるんはどこまでも透き通っている声で、ゆずのんは低さが印象に残る声よね」
「見劣りしないように頑張らなきゃな」
「そうだね、振りつけで分からないことあったら聞いてね」
「のぞみん、いつもありがとう」
二人の話をしていたら、後ろから駆けてくる音がした。立ち止まって振り返ると、三メートルほど後方、突き当りにあるトイレから晴香(はるか)と柚(ゆずき)希が出てきた。噂をすれば影がさすって現実ではそうそう起きないと思っていたが、見落としているだけなのかもしれない。それよりも気になることがある。
(トイレが終わるタイミングまで一緒だとは息ぴったりだな、待っててと口裏合わせたのかもしれないけど) 
メンバー間の関係を干渉せずにはいられないのが瑠那の性格だ。瑠那は表情に出ていないかと一瞬不安になったが、気づいていなかったようで安堵する。楽屋に戻った。のどを潤そうとリュックを開いて飲み物を探したが見当たらない。仕方なく、財布を持って楽屋の近くにある自販機で買うことにした。一分ほど迷っていちごミルクに決めた。
楽屋に戻って絶大な信頼を置いている、希海と写真を撮ろうとしたが、案の定、先客がいた。晴香だ。扉を少しだけ開けていたが、中に入りづらい。二人は額をくっつけて、キスをしてしまいそうな距離で向かい合っている。そのまま、晴香が右手を伸ばしカチャと撮る音がした。希海はまんざらでもなさそうな表情をしている。衝撃的な光景を目の当たりにしてしまった。パニック状態に陥り、すぐに扉を閉められそうにない。そのまま視界が霞(かす)んだ。
(万里香(まりか)と柚希は見ていないのだろうか、黒木(くろき)さんもいないのか)
音を立てないように扉を閉めた。すぐ入ると、覗き見してたことがばれてしまう。頭を冷やすべく一目散にトイレに向かった。一番奥の扉を開けた。動悸(どうき)が収まらず、眩暈がする。それらに呼応して、過呼吸で精神が苛(さいな)まれる。どうにか便座に座った。衣装が床に触れずに済んだが、負の連鎖は留まらない。
(さっきまではアイドルとして取り繕えたのに、今の私はただの女の子でしかない)     
 生理的欲求に身体を支配され、瑠那は自分を制御できない。証拠を突き付けるかのように、シートが赤黒い経血で血みどろになっている。量も多く、ズキズキとした痛みが去来する。
「なんで!生理を遅らせる為のピルを飲んでたのに……効いてなかったの」     
この膿(うみ)は晴香への嫉妬や鬱憤が堆積し、溢れ出たものなのか、希海を独り占めしたいという邪悪な欲求の塊なのか、自分でもわからない。 
「晴香ののぞみんへの態度は、真性なの?仮性なの?アイドルが棒状のお菓子の端を加えてどこまで接近できるかみたいなオタクへのパフォーマンスであってよ」   
か弱い声で呟いただけなのに、子宮が木霊した。黒木にポーチ預けていてよかった。先ほどそれをこっそり渡してくれていた。シートを替えてトイレから出た。楽屋に戻るのが怖い。きっと晴香への憎悪が顔に出てしまう。
(まぁ、悪いのは晴香だ。人気があるからといって図に乗ってるわ。のぞみんと最初から親密だったのは私なのに。私からのぞみんを奪おうとしてる。私に“借り“をつくったことを後悔させてやる)  
 楽屋に戻り、扉を開ける。既に、他のメンバーは私服に着替え終わっていた。迷子の子どもと再会した母親のように、頓狂(とんきょう)な声をあげた。
「るなち、どこ行ってたの?いないから心配したよ」
その眼差しの先にいるのが私だけならいいのにと感じつつ、正直に伝えた。
「ちょっとお腹が痛くてさ、トイレ行ってたんだ」
「そっか。何か危険な目にあったかと思ったから安心したよ」 
その言葉を聞いた刹那、子宮がジンジンするのを確かに感じた。子宮から溢れる愛が希海に届けばいい。その様子を見ていた他のメンバーは皆、くたびれたのか、テーブルにもたれかかり、足を放り出している。 
「るなち!早く着替えてよ。着替えて帰ろう」
衣装のままであったことをすっかり忘れていた。寝て今日のことを忘れられたらいいと考えつつ、帰り支度を済ませた。あの光景を目撃したことは誰にも打ち明けないことに決めた。無かったことにしたかった。

夕日がじんわりと背中を照らす電車。温もりを直に感じる。瑠那の外側を包みこむ熱と内部から涌きだす熱で頭がぼんやりとしてきた。相槌をうつように頭がこくりこくりと力なく揺れる。先ほどまで見開いていた瞼からも力が抜け、目が閉じていく。瑠那だけの世界に引きこもろうとしたその時、自分だけの世界に引きこもろうとしたその時、まるで顔にしゃぼん玉が触れて弾けたかのように、膜の中で閉じ込められていた記憶が浮かびあがった。
        
          ※

遡ること十か月前、グループ結成当初。声がコンプレックスでアイドルらしくないと悩んでいた。これからを共に歩むメンバーの声は私よりも高く、活発さが感じられた。それに比べて私はハスキーな声で抑揚がない。アイドルという実感をもてずにいた。そんな矢先での出来事だった。私がボーカルに選ばれたのは。楽曲を提供していたジンヤさんがロック調の曲を好んでいたおかげだ。希海と共にボーカルとしてステージに立っていた。感情の赴(おもむ)くままに声を震わせていた。テンポの速い曲が大半を占めていてダンスメンバーの顔がよく見られない時もあるらしかった。一方で、私はあざとそうな外見からは想像もつかない低い声というギャップが功を奏したのだ。私への歓声が一段と大きく聞こえ、スタートから私には追い風が吹き荒んでいた。特典会でも数多くの人が並び、売り上げも私が一位を独占(どくせん)。メンバーの中心にもマネージャーの眼差しの先にも私がいた。その頃の希海は私のことを慕い、お互いに歌でのつまづきを確認しながら切磋琢磨する理想の関係。確かな成長を実感していた。希海とばかり写真を撮るのが当たり前。リーダーもおらず誰も口を挟んでこなかった。
この時間がどこまでも続くと思って疑わなかった私に舞い込んできた報せがグループを一変させた。三月三日。私達は急遽事務所に集められた。ジンヤが突発性難聴を発症し、楽曲を提供できなくなった。代わりに辻原(つじはら)が曲を作ることになり、高音がメインの曲ばかりに変わり果て、運営は方針を変えた。ボーカルを晴香と柚希に変えることを告げた。調子が出てきたという時に立ち位置変更を余儀なくされ、私の声が全否定された気持ちになった。変更に伴いリーダーを設けることになり、尾曽美が選ばれた。それ以来、運営は私を置き去りにするように、見向きもしなくなり、晴香が話題の中心となった。次第に希海の興味も私から晴香に移る。私の勢いを晴香に吸い取られた。翌日、悔しくてたまらなかった私は鶴瀬(つるせ)にお願いをした。『アイドルらしい感じに路線変更するなら、グループ名を変えてほしい』と。鶴瀬の抑揚のない口調に微かに苛立ちを覚えた。
『……たった五か月で変えるわけにはいかない。他のグループからの印象が悪くなるからね。このままでいくよ、口を出さないでくれ』
腿(もも)の横で手を強く握りしめていた。晴香の高い声が喉から手が出るほど欲しい。そう強く思ったのだ。その日から人知れず、表に出る自分を磨いた。魅力的な声を出すためのボイストレーニング、唯一の美点である細さを維持するためのマッサージと見栄えをよくするためのスキンケアに力を尽くした。

          ※

既視感があると思っていたら、前にもメンバーに言わずにやり過ごしたことがあったのだ。前にもグループの今後を揺るがすようなことを思いつき、メンバーに言わなかったことがあったのだ。
「次は国分寺、国分寺。出口は右側です」
最寄り駅のアナウンスが流れたことに少し遅れて気づく。ステージとは違う類の照明が目に刺さる。瑠那は慌てて電車を降りた。

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