僕と彼女は、箱推しになれない 第四章

 夏のギラギラした熱に滅入っている。期末テストは無事に終わった。テストという苦行から解放されて嬉しいのだが、近日に迫ったはるるんの誕生日、どんな言葉をかけようかと稔(みのる)は迷っていた。残念ながらアイドルが趣味だと公言する人は周りにいない。その結果、稔(みのる)はクラスで孤立している。共有できる趣味がない。ひたすらアイドルと向き合う日々だ。  
八月十二日がそれにあたる日だ。メンバーの誕生日を祝すライブである生誕祭。グループの結成が二〇一七年九月八日なので、はるるんは初めてだ。記念すべき二十回目の誕生日だ。
(オタクが調子づかなければいいけどなぁ……)
物思いにふけているうちに放課のチャイムが鳴った。僕は帰宅部である為、一目散に教室を飛び出した。
日曜日の昼間、今日は彼女たちのラない為、ソファーで寛いでいた。そうしていると父が来て隣に座って相好(そうごう)を崩した。
「みのる、アイス食べるか?」
大好物であるスーパーカップのクッキー味を渡してきた。有難くもらう。
「うん、ありがとう、これ一番好きな味なんだよね」
 父さんが休暇の日はアイドルについて一緒に話すことになっている。早速問いかけてきた。 
「みのる、加工に力を入れすぎなアイドルってどう思う?父さんが応援していた頃はもちろん、そんなのはなくて自然光やアングルでありのままを映し出していたと思うんだよ」
「角度や光を利用して可愛く見せるとか、仕上がりをよくする努力をしてほしいアイドルを照らすのはライブだと照明で雑誌の撮影だと太陽の光なのに、小手先の加工や修正に頼り切ったものを見ても何も心が動かされないよ。本物だけを見ていたい。自分の顔に自信がないパーツがあって覆(おお)い隠したい子もいるんだろうけどさ。まぁ、オタクには時代遅れって言われて相手にされないと思うけど」
「みのるの考え好きだぞ。加工や修正は違和感の塊でしかないもんな」
「うん」
 抹茶アイスをほおばる父の口元に目線がいく。僕から指摘しようとしたが、反応を見たいと思った。気がつくまで様子を窺う。
「なんか変なところあったか?」
「髭(ひげ)に抹茶ついてるよ」
「うわっ、ホントだ。恥ずかしいなぁ」
ティッシュで指を拭いた。二人の様子を対面式キッチンから見ている母は苦笑している。
「お父さん、子どもじゃないんだから」
仲睦まじい一家の団らんは母のおかげで、僕の肩の力が抜けた。
はるるんには、当日に感じた思いを伝えよう。前々から用意した言葉を誕生日に言われても、嬉しくないはずで、当日に考えて言葉を紡ごうと思い至った。

遂にその日がきた。今日は渋谷ジートニアという地下にステージがあるライブハウスでやると昨日確認した。三時から開始でちょっとしたグッズの販売もある。Tシャツは絶対に買おうと決心し、準備を進めた。地下とは言えども、行くまでで汗をかいてしまう。熱が籠りやすいので、油断できない。いつも以上に身だしなみに気を配り、整髪料で髪を整えて家を出た。 
 
渋谷ジートニアに着いた。はるるん達にとってこのライブハウスは、思い入れが深い場所だろう。半年前の結成日から定期公演は、ずっとここで水曜日に行われてきた。中に入ろうとしたが、すんでのところで入れない。事前に購入したネットチケットには、整理番号が書かれている。僕の番号は二十三番だ。周囲のオタクに番号を訊ねるのすら億劫(おっくう)だ。コミュニケーションを取りたくない。順番を間違えて絡まれるのも面倒(めんどう)なので、渋々話しかけていたが、後から来たのが見え見えなオタクに割り込まれた。
「おい、小僧よく見る顔だな。どうせ俺より後ろだろ。ただでさえ狭いんだからよ、どけっ」
 呆然(ぼうぜん)と突っ立っているのをじれったく持ったのか、決めつける口調で絡んでくる。
「小僧、見かけない顔だな。最近フォルツハーツを知った新規か?」
「いえ、そんなことないですよ。僕は影が薄いかもしれないですけど、結成当初からのファンですよ」
 男は僕をじっと睨みつける。
「まぁ、群がらないお地蔵さんみたいなオタクもいるのは結構だけどよ、大事な日だから俺の邪魔しないでくれよ、俺は前島だ。小僧は?」
「佐伯(さえき)ですけど」
「平凡そうな顔つきだな、だから分からなかったかもな、俺五番だから」
前島(まえじま)は勝ち誇ったようにせせら笑い、去っていった。勝手に名乗ってきたが、binderという投稿アプリで、アイドルを品定めしているのを見かけたことがある。フォルツハーツもその対象だ。
 
【今日のはるるん、めっちゃ顔むくんでなかった?(笑)チェキ見たら、コンディション全然違うんだけど 2017年12月23日 23時05分】

【万里(まり)香(か)さ、来年で23だろ。社会人一年目って考えたら、あのマイペースさは笑えるわ 2018年3月5日 20時43分】
 
【最近、柚(ゆず)希(き)陰り始めてね?はるるんと同じボーカルなのに。存在感薄っ 2018年7月27日 22時18分】 

貶すような投稿ばかりだった。メンバーがエゴサーチをしている可能性だってあるのに容赦(ようしゃ)がない。掲示板ではなく、メンバーもしているbinder(びんだー)に投稿して何がしたいのか理解ができない。ライブ開演前だというのに、歯痒い。はるるんが見ていませんようにと願った。考えを巡らしているうちに、前の人らが動き始めた。時計を見ると、二時四〇分を示している。中に入ると、地下へ続く階段を下りていく。ライブフロア入り口前の少し開けた場所にははるるんの誕生日を祝す献花(けんか)が三つ程立ててあった。オタクが有志を募って造(ぞう)花(か)店に依頼したのだろう。どうせ前島の取り巻きが幹事だから、賛同しなかったが。邪推(じゃすい)していると、前に人がいなくなったので、スタッフに画面を見せ、ドリンク代を払いフロアに入った。
 既に最前列には前島の取り巻き立ちがいる。関わることで、せっかくの生誕祭を台無しな気分で終わりたくないので、右斜め後方で待機した。 
(相変わらず目障りな奴らだな)
前方中央で、扇子の形をしたペンライトを掲げている。市販では売っていないから改造したのだろう。目立ちたいだけで周囲に迷惑だと内心で毒づく。次第に周りのスペースも埋まっていき、始まりを示す音楽が流れ始めた。はるるんを四人で囲んだ。「イノセントラヴァ―」で幕を開けた。
『無秩序な恋~君に恋をした=
  唐突(とうとつ)に浮かんだ想い。私の感情なのかな
  正体が分からない、どれが本音なの
  溢れ出す感情に色を付けて、恋を定めたいのに
  どうして君の色と一致しないんだるう~  
  同じ色になりたいけど、めまぐるしい変      
  化をいつでも、確かめ合いたい~   
  自由に感情を渡しあえたらいいのに。混乱も焦燥も私だけで抱え込まないよ~もう、素直さをばねにして生きると決めたんだ、君と共に恋を紡ぎたい』

(はるるん今日は一段と輝いているよ)  
曲が終盤に向かうにつれて、オタク達の雄叫(おたけ)びも増大していく。僕はペンライトを灯して彼女の声だけを拾うことだけに神経を費やす。オタクの奇声はノイズでしかない。
(はるるんの歌声を聞くために来ているのにコールで彼女の綺麗な声を遮るなよ)
曲が終わり、のぞみんが今日は何の日かを聞いた。オタク達は周りを気にせず、合わせることもなく口々に叫んだ。
「はるるんの誕生日!」
僕の推しメンは、終始笑顔だった。その後。ソロ曲一曲とこれまでの活動で歌ってきた七曲をやった。この間、前方にいる前島達は、曲のサビの部分で奇怪(きかい)に飛び跳ねたり、ペンライトをステージに向けて伸ばしたりしていた。日頃のストレスを発散したいのか、周りに見せつけたいのか、真意が掴めない。ただ、度が過ぎた行動であることは間違いないし、不快でしかなかった。
 ライブが終わり、特典会が始まろうとしていた。今日は『生誕祭仕様』で、生誕記念のシャツやはるるん考案のバンダナなども売ってある。それらの見本を一瞥しつつ列に並んだ。
(Tシャツは買わなくていいや)
そう思い留まったのには理由がある。Tシャツを買うと、メンバー全員とのチェキ撮影になる。大多数のオタクは喜んでTシャツを買うと思う。買う選択をしたら、あいつらと同じ扱いをされてしまうし、はるるん以外は眼中にないのだ。だから買わない。僕の推しは“はるるん”君だけなんだ。 
 些細な敵対心を胸に灯しつつ、普段より二枚多くチェキ券を購入した。そのうち二枚は特別な日にしか買わないサイン入りだ。チェキの撮影列に移ると、前にいた嫌な奴らと出くわしてしまった。後ずさろうとしたが遅かったようだ。前島の取り巻きの一人で、影で前島一味を牛耳っていると囁かれている岩瀬(いわせ)だ。つっけんどんな物言いをする。
「おい。そこのガキ、めでたい日なのに浮かない顔してるな、どうした、Tシャツ買ってないみたいじゃん」
「僕なりの考えがあるので、ほっといてもらえます?」
「随分、口が達者だな。同じはるるん推しとして仲良くやっていこうぜ」
「いえ、結構です。僕はオタクと親交を深める為にここにいるわけじゃないんで」 
「変わったやつだな、まぁいいや。それよりよ、はるるんグラビア見たか?準グランプリだぞ」
岩瀬はリュックから週刊誌を取り出した。白い水着を着たはるるんが表紙のものだ。それを見て、図に乗ったのか。鼻息が荒くなった。昂奮(こうふん)しているのは明らかだ。
「このカラダともう少しでご対面できるんだぜ。妄想する以外ないだろ」
僕は憤(いきどお)っていたが、言い返す言葉が出なかった。岩瀬は嘲笑いながらしたり顔で尚も話す。
「ガキには。刺激が強すぎたかな?先入観植え付けて悪かったな」
言うだけ言って何故か列を外れた。買ったTシャツに着替えるのだろうか。そんな岩瀬はアイドルに真摯に向き合っていないオタクの典型そのものだ。考えが不潔だと、外見までもがそれに染まるのかもしれない。生え際が脂ぎっており、ヨレヨレな短パンで小太りで清潔感は皆無(かいむ)だ。碌(ろく)な奴じゃないのが数分の会話でも窺えた。綺麗なはるるんに近寄らないでほしい。
目障りなオタクのことばかり気にしていたら、いつの間にか撮影が始まっていた。予想通り、はるるんの列だけ異様に長かった。僕が『箱推(はこお)し』であれば、空いている万里香や瑠那(るな)の列に行くのだが、そうしないのが僕の使命だ。現時点で三十人ほど前にいる。待ち時間を無駄にしないために、愛用し続けている『チェキポーズ用例集』を捲りながら、ポーズを考える。僕特製のポーズでまず一枚撮ることにした。残り二枚は、フォルツハーツ公式のポーズと指ハートに決めた。
「はるるんでお待ちの方、どうぞ」
僕が撮影スペースに歩を進めると、いつもの笑顔がそこにあった。 
「みのっち~今日は来てくれてありがとう!ポーズどうする?」
「はるるんはケーキを手に持っている風にして!僕は横でクラッカーを放った後みたいにする」
「いいね。やろやろっ」 
「はい、じゃあ撮りまーす。フォルツハーツ!」 
そうして撮られた一枚に、サインとコメントを書いていく。手を動かしながら、はるるんは話してくれた。
「ソロ曲素敵だったよ!はるるんの透き通った声が生かされる曲で良かった」
「特徴捉(とら)えてことばにしてくれて、みのっちありがとっ」
「今日また来てくれる?」
「勿論!撮りに行くよ」
思いを込めて伝え、その場を後にした。終了時間を考え、再び並んだ。周りを見ると、僕みたいにはるるんに何回も並ぶ人が、未だに大半を占めている。少数だが、他のメンバーと撮っているオタクもいる。
どうにか撮り終えた。待った甲斐があったと感じる三枚に仕上がった。最初に撮ったチェキには、『単推(たんお)しみのっち最高』と書かれていた。リュックからチェキ本を取り出し、オレンジ色の付箋を貼った。他のアイドルを含めても、はるるんとしか撮らない自分は珍しいらしい。特典会会場で余韻に浸っていると
「撮り逃している方、いませんか?しめますよ」
鶴(つる)瀬(せ)が呼びかけている。個人のチェキ撮影の時間が終わり、メンバー全員との撮影の時間だった。
「マネージャーわりぃ。最後の一枚残ってたわ、撮らせてくんね」
無遠慮で申し訳なさの欠片も無い。醜態だと蔑視した。前島は良いとこ撮りをしたいらしい。鶴瀬の口元は笑っている。
「本当に最後の一枚ですよね?じゃあすぐ撮ります」
 様子を見る限り、メンバーは苦笑いをうかべているように感じる。笑っているのはあいつだけだ。
「もう、何度も話したと思うから短めでよろしくね」
鶴瀬に言われたようだ。前島も渋々受け入れていた。そのままはるるんの生誕祭は終わった。何人ものオタクと話して疲れているだろうにと彼女の心中を慮った。
(よく笑顔を絶やさずにいられるな、その姿誇りに思うよ)
心ではるるんを称えた。そこからは一気に現実に引き戻された。出口に向かうオタクで溢れ返っており、押し合いへし合いで大変だった。僕は高校生なので寄り道せずに帰るが、オタク達は飲み会でもするのだろう。
「はるるんの誕生日だ、思いっきり祝そうぜ」
騒がしい声が聞こえてきた。ライブのほとぼりを冷まさぬように、そこかしこで声を上げるオタク達であった。

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