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僕と彼女は、箱推しに慣れない 第七章

「今頃ライブやってるんだろうなぁ」
自室に籠り、服を着崩して徒にスマホを弄る加賀柚希は傍から見たら、アイドルとは思えないだろう。ピンクを基調とするとか言えればいいが、そんなはずはない。特徴がなく殺風景な部屋なんだ。               オタクが想像するアイドルの日常はジェラートピケのパジャマを着て、アロマをのいい香りが漂っているといった女の子の綺麗な部分が詰まったものだろう。そんなものは柚希の部屋にない。中には、部屋の衣替えをするアイドルもいて「家までアイドルでいるって疲れない?」と感じてしまう。オタクの理想に照準を合わせているのは大抵、地上アイドルの子だ。オタクの理想を体現するために自分を取り繕っているのか、ありのままの姿なのか、地下アイドルの分際じゃ分からない。考えすぎている自覚はある。だけど、今は仕方がない。思いもしないことを伝えられたのだから。
     
         ※

 それは夏の終わりに熱中症になり「体調不良」となった直後のこと。その頃の私は無気力な状態が続いていた。最初は俗にいう燃え尽き症候群だと思っていた。でも、一以前のような気力が戻らなかった。とりあえず診てもらおうと軽い気持ちである場所に行った。行くことに対して抵抗はあったが、放置するのもよくないと感じていた。
 地図アプリで検索して、近くにある評判の良い所へ行った。着く前は私の部屋みたいに殺風景でどこか落ち着けないのかと思っていた。実際に着いてみるとホッとした。照明は目に優しい薄い橙色、待合室には観葉植物があり、音が出てないテレビが受付の斜め上にある。受付の方も温和な表情で応対してくれた。だが、安心できたのはそこまでだった。
私は医師に症状を伝えた。すると、夥しい量のチェック項目を提示され、質問に答えた。そうして出た結果に動揺を隠さずにはいられなかった。
「診断の結果、場面緘黙症のようです」
「──場面緘黙症ですか」
「はい、加賀さんは身に覚えがないかもしれませんが、幼い頃に何か特定の場面で黙ってしまうことはありませんでしたか?」
「あったかもしれません。はっきりとは思いだせないですけど……」
「多くは、幼児期に発症するものですが、」大人になって場面緘黙だと知る人もいるんです。治療は、抗うつ剤をお出しします。暫く経過を診ていきましょう」
 思ったほど医師は深刻そうな顔をしていなかった。だが、こういった症状に理解がある人は少数で誤解されてしまうのではないか。先が思いやられた。薬局で薬を処方してもらい帰る際、両親には少なからず伝えないといけないと思い、電話をかけた。
「もしもし、お母さん?」
「あら、誰かと思ったら柚希じゃない!連絡ないから心配だったよ、元気にしてた」
 今日のことを言いかけたが、共働きなお母さんに余計な心配をかけたくないと思い、打ち明けられない。
「うん問題なくやってるよ、お母さんも元気?」
「順調にこなしてるよ、柚希の声が久々に聴けて良かった。偶には家に帰ってきなさいね」
「うん、ありがとう、頑張るね。じゃあまたね」
 半ば投げやりに話を切ってしまった。本当は過保護な母親をどこか鬱陶(うっとう)しく思っていた。アイドルになると言い、一人暮らしを始めたいと言った時に母は反対した。その時はぴしゃりと反抗した。
「もう、成人したんだしいつまでも私の選択に過干渉にならないでほしい」
続く父の言葉は優しかった。
「お母さんが反対したい気持ちもよくわかるけど、何事も経験だと思うよ。何かになりたいって口にすることがなかった柚希の夢をたとえ離れていても。見守ってあげたいな」
 母も折れて私の願望を認めてもらえた。優しく諭してくれたおかげで、アイドルをやれている。そう感じて、その夜父には私の症状を細かくラインで伝えた。
「母には何か言われそうで伝えづらかったからお父さんに伝える」
補足説明もつけて送信した。

         ※

あれから四か月が経った。柚希は契約上の決まりでbinder並びにブログの更新ができずじまいだ。復帰するまでは。それを知らないオタクが私のことを勝手気ままに推測している。
【柚希がこのまま戻ってこなかったら、他界しようかな】
【同じボーカルなのに人気にこれほど差が出たのを見て辛くなったのかな】

柚希のことを気遣って投稿してくれている人が当初は多数だった。でも今では……

【4か月を音沙汰無しとかまじありえねぇ裏で何かしでかしたんじゃね】
【俺たちへの説明は体調不良だけかよ、ふざけんな!オタクを舐めてんのか】
【復帰したら、説教しにいこうぜ、質が悪い】
 
投稿を見ていくと、晴香のオタクの私への当てつけもあった。
 
【はるるんに負担かけやがって、この薄情者 前島(まえじま)】
【どうせ裏でパコパコやってるんだろ、正直に晒(さら)せよ、そしたら許してやるよ 岩瀬】

膨大な数の非難や誹謗中傷がbinderrの最後の投稿に寄せられていた。日付も最近のものばかりだ。それらを眺めているだけでは何の解決にもならないのに。気落ちするだけなのに。
「アイドルを名乗る資格ないのかな、精神疾患さえなければよかったのに。もうダメなんだ私。アイドルとしての価値がないんだ」
いつしか柚希は自分を卑下することしかできなくなっていた。両親には本音を打ち明けたくなかった。母に頭が上がらない。守秘義務を徹底(てってい)しているカウンセラーにすら全貌を伝えられていない。もう三か月を経ったというのに打ち解けているとは言いきれない。
「私、泣いてる。なんで泣いてるんだろう」
置かれている境遇と不甲斐なくてオタクに抵抗すらできない柚希。どちらのことを思って泣いているのかもう分からない。とめどなく流れるそれを拭うことさえ忘れ、無我夢中で泣いた。
「ピコン」
 着信音が鳴った。惨めな柚希に連絡をくれるのはあの人くらいだろう。ベットの上にあるスマホを取り、確認する。
【家にいて引きこもってたでしょ?モジモジしてないで気晴らしにどっか行きなよ、私はいつでもるなちの味方だよ】

【今度どこか一緒に行こう!】

柚希の予想通りだった。心が少し和らいだ気がした。その言葉に背中を押され、身支度を整え、開放的な世界への一歩を踏み出した

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