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オンライン授業の裏側

大学で教える側から見たオンライン授業の実態について書いてみようと思います。機微な内容には触れずにどこまで書けるのかわかりませんが、教える側ではこういったことを気にしているということをお伝えできればと思っています。

はじめに

この記事は、現在やっと半期が終わり、後半に向けて改善すべきことも多数あると思ってそのメモでもあります。春からオンライン授業になり、授業も一段落して成績を出すための採点をしている最中です。そこから出てきた問題も視野に入れて書くつもりです。

今期は、学生の皆さんにいろいろと不便を掛けつつ、何とか乗り切ったというのが率直な感想です。世に言われるように「友だちできない」「課題が多い」というのは、極端な例や情緒的な問題は別にしても、理解できる部分はあります。私の所属する大学でも、この問題については開始以前から現在まで、教員間でずっと議論されていることです。決定打はありませんが、ある程度の解決策について後述します。

このようなことについて、これまでも様々な情報が出ていますが、ややもすると主観的になりすぎるものが多いような気がしています。この記事では、守秘義務等に差し障りのない範囲でできるだけ事実ベースで書いていきます。

始まりはオンライン授業の指示

まずお伝えしておかなければならないことは、多くの方が思うよりもずっと、大学はさまざまな形で文科省に手綱を強く握られていることです。どのように遠隔授業(オンライン授業)をすべきかについても「連絡」されています。末端で何が起きているかは別として、組織としての大学は、このくびきから逃れられる状況ではないことを最初にご確認ください。

学事日程等の取扱い及び遠隔授業の活用に係るQ&Aの送付について(4月21日時点)
https://www.mext.go.jp/content/20200421-mxt_kouhou01-000004520_7.pdf

オンライン授業は、おおよそ次の3点に分けられます。(括弧内の「問」は上の文科省事務連絡Q&Aにあるものに対応しています。)

(1)同時双方向型(問6)
(2)オンデマンド型(問6)
 a) ビデオ・音声配信型(問6, 10)
 b) 教材配布型(問6, 9)

大学にも依ると思いますが、大学や学部、学科の方針に従った内容で進めることになります。例えば、「データダイエット」などという言葉が流行ったように、「ギガが減る」ことがないような配慮です。そのために、ビデオ通信を極力控えるように指示された大学が多かったと聞いています。私の大学でもそうでした。

私の場合、全学向け必修科目(教養科目)と専門科目をそれぞれいくつか担当しました。いずれも情報工学系の科目です。ただし、当該の全学向け必修科目については、複数の教員が担当することから、教材配布型で統一することを指示されました。それ以外についても、ビデオ配信型や同時双方型でも実施しました。先の教材配布型も含めて自分の制御下にない理由があるために、このようにバラバラになってしまいました。

全学向け必修科目は別の部署が決めたため別ですが、それ以外は自分の部署でどのように進めるべきかを決めました。関係者とは、授業開始までの期間ずっと議論していました。学生さんの学びを最大限にできる方法を探っていました。その中で、先行して実施している大学の例や、専門的な先生がいて先導している大学などの情報を集めて共有する作業も進めていました。

例えば、早い段階から情報提供を始めた国立情報学研究所の「4月からの大学等遠隔授業に関する取組状況共有サイバーシンポジウム」は参考になりました。

個人的に、部署内でこの手のことに最も詳しい人間の一人だったため、情報収集する仕事を自然と担当していました。

授業の準備

教える内容は同じだとしても、メディアに応じて授業の組み立て方や説明の方法は変わります。

同時双方向型であれば、従来の対面授業の方法をある程度は流用できます。ただし、後述のように、授業中の大変さは一番でした。ある程度の想像はしていましたが。

ビデオ音声配信型(私の場合はスライドの画面+音声)の場合も、対面の授業では滑らかに話していても、録画・録音するとなると結構な緊張が待っています。フィラー(「あー」とか「えっと」とか)が気になりますし、言いよどまないように頑張りたくなります。そうやっていると、話したいことが頭から抜けていってしまいます。他大学も含めて多くの先生方がそれに悩んだようです。対策として、例えば原稿を全て用意して読み上げたという話も聞きました。その原稿をそのまま配布して、ビデオを閲覧できないときへの対応策としたとも聞きました。

私の場合、PowerPointの機能で録音する場合にスライドごとに録音し直せることを利用して、失敗したらスライドごとに撮り直しました。公開時の実際の録音時間に対して、6〜10倍の時間をかけたと思います。しかも、外が静かになった夜〜深夜にかけて…。

教材配布型の場合は、従来の口頭で説明していたスライド資料を配付しても読むだけで理解はできないため、基本的にすべて作り直しです。もう、「頑張りました」としか言えません。本来なら学生の進捗を見ながら指示したり加減をみたりすべき演習科目でしたので、起きそうなことをある程度想定して、網羅的に書いていきました。すべてを書く時間はありませんし、世の中には優れた教材がありますので、適宜そちらを参照するように指示しました。愚痴を言えば、共通科目なのに共通の教科書がなかったことが一番の問題だったのかもしれません。

この、コミュニケーションが必要な科目でコミュニケーションできないという事態に対応するため、課題提出期限を最大限に長くして基本的に1週間としました。また、とにかく困ったら連絡するように指示しました。途中から抜けてしまったこともあるのですが、いつもなんでも歓迎する雰囲気をメッセージとして漂わせる配慮はしたつもりです。

いずれにしても、私が一番辛かったのは、前述のように様々な種類のオンライン授業をしなければならなかったことです。遠隔授業コンテンツの作成は自分の専門分野のひとつでもあったため、それぞれの特性を事前に知っていたから乗り越えられた面もあったと思います。それぞれのタイプに応じて、頭を切り替えながらなんとか毎回の授業を乗り切っていったというのが正直なところです。

授業の開始

学生さんとの応答の時間も含めて、授業関連のことだけでいっぱいいっぱいでした。特に負荷が高かった時期には、細かいことを放置してその週を乗り越えられることを最優先課題にしました。

そういったことも学生さんの立場から見れば、放っておかれたと言われるのも理解しています。ただでさえ何が何やら分からない状況でしょうから、レスポンスが落ちれば不安になる気持ちもわかります。実は、教員側からも同じ事が言えて、レスポンス(とくに課題提出)がない学生には神経を使いました。「相手が見えない」ということの難しさは教員側でも様々な面で感じていたということです。

もっとしっかりケアができたらと思うところもありました。職務として縛られながら実施していますので、教員側の問題によって授業機会を失わせないようにできるようにするための様々な問題とのせめぎ合いがいつもありました。

同時双方向型授業では、学生側のビデオをオフが基本としました。学生の表情は学生の理解度を確認する術です。それだけで判断するのは危険ですが、分からない顔をしているときにはわかってないことが多いことは経験的に知っています。学生の理解度を知る術をひとつ奪われて、当初は苦労しました。知識伝達型の一方通行になりやすい授業でも、思っている以上に学生さんの反応を見ながらやっているのだと分かりました。

顔が見えない対策としてはとりあえず、チャットの利用やミニクイズを挟む方法でした。他にもいろいろと工夫はしましたが、それだけで大量になるため、別の機会にします。

オンデマンド型の場合は、「伝え忘れた補足情報を示す方法が限られている」「伝えたつもりが伝わっていない」「読んでくれればわかるのに読んでない」などの問題が起きました。「〜ができません」→「資料に書いてあります」が何件あったことか…(もちろん実際には丁寧に返しています)。Webを検索すればすぐに見つかる情報を尋ねられるということもよくありました。これまでの対面なら隣席の学生や友だちに尋ねて解消していた問題なのでしょう。

「何を質問しているのか私には伝わらない」といったこともありました。普段のコミュニケーションの様態をそのまま教員への質問でも行ってしまう学生もいるということなのでしょう。別の記事群で書いている「説明するということ」を書こうと思った理由の一つでもあります。他人に対して文字ベースのコミュニケーションを取らなければならないときに、言いたい事を説明できないというのは、今後のためにも良くないだろうと感じます。

後述する毎回のミニレポートが自分の首を絞めました。学生側の情報環境が安定していない可能性もあるため、レポート締切を安易に早くできなかったことも禍しました。

これまでなら、授業資料作成(実際には一部更新と内容確認)の前にミニレポートの締切が設けられたため、負担感は分散していました。それが今期は、前日に集中してしまいました。レポートを読まないと資料が作れない・直せないし、資料を作っているとレポートが読めないので。

課題の重さは授業内容の重さでもあります。どうしても波があるため、重い時期は読むのもコメントするのも大変で、目が死んでいました。誰が悪いという訳でもないのですが、その時期は家族にもぶつくさと愚痴をたれていた記憶があります。

課題の方針

従来から変わらず、毎回のミニレポート(コメントペーパー、リアクションペーパー、ミニットペーパーなどいろいろな呼ばれ方があります)を課しています。次回授業の内容を検討するためと、次回授業の前半で振り返るためにも用いています。そのために、期限は基本的に次回までの1週間としました。

これまで、毎回のレポートでは文字数を指定せずにいました。双方向型でない場合には、学生さんが何をしているのかずっと見えない状態です。授業内でのインタラクションも望めません。そのため、最低限の理解度を見るために、数百字の下限を設けることにしました。目安として、PCで書けば30分程度で書ける分量のつもりでした。

内容は、基本的に授業の内容を咀嚼して理解できれば答えられる簡単なものです。演習科目については、時間内に実施した成果物を提出させることにしました(一部は、時間外での改善を要求しました)。

従来は、最終レポートを課す場合もありましたが、今回は最終レポートを別途設けませんでした。最終回のレポートを重視することにしました。

というのも、すでに多くの学生さんが苦言を呈しているように、課題地獄が想定できていたからです。また、それが期末に起きることは明らかでした。

生活を支えるためにアルバイトをする学生さんがいることも知っています。授業以外の活動にも大学生としての学びがあることも理解しています。なによりも、これまでの大学の状況からすれば、突然課題レポートが増えるのは受け入れがたいということも理解できます。いろいろと思うところはありますが、仕方ないかなと思っています。

ちなみに、原則論を言ってしまえば、授業1時限に対してその2倍の自習時間が必要とされています。細かいことを抜きにしてざっと計算すると、新書で1冊程度の読書や2,000字程度のレポートを毎回課されても本来なら文句が言えないはずだとは思っています。あくまでも原則論ですが。

授業外のコミュニケーション

学生間のコミュニケーションを助けるために、いくつかの大学ではZoom昼食会・飲み会などをやっていると聞きました。その他にもTeamsなどのチャットを全学的に導入している場合にはその中でチーム(グループ)を作ったり、学習支援システムでグループを作ったという事例も聞きました。学習支援システムやチャットシステムおよびビデオ会議システムを使って交流の機会を作る取り組みを実施した大学があるとも聞いています。いずれも、前述の国立情報学研究所「4月からの大学等遠隔授業に関する取組状況共有サイバーシンポジウム」の資料をご確認ください。

私の大学では、Slackを使って交流することをしました。本来は、もう少し授業開始前から、さまざまなシステムを使って交流の機会を作れたらよかったのですが、人数の少ない部署のためになかなか手が回らず、手弁当で始めました。

チャットルームを用意したとしても、対面での勧誘などとは異なりますし、ふらっと立ち寄ったり、ふと見かけたり、すれ違ったりといった効果は起こしづらいのは事実です。これまでの大学のキャンパスのようにはできていません。なかなか難しい課題です。

教員と学生のコミュニケーションの機会として、多くの大学では従来からオフィスアワーを設けています。話したい教員がいる場合には、その時間を使うこともお勧めします。その教員の科目を受講していなくても問題ありません。

オフィスアワーの具体的な制度は大学によっても様々です。教員が待ち受けている場合から予約すると面談できる場合まで様々です。どのようなものかは、大学に問い合わせてください。

まとめ

教員側からみた大学のオンライン授業について、できるだけ起きていたこととその意図を書いたつもりです。対面授業とは方法から変わるため、資料は作り直す必要があります。その他の手間もあり、オンライン授業を単にやればできるというものでもありません。

学生間や学生−教員間のコミュニケーションの難しさもありました。上手いきれいな解決策は思い付きません。現在は試行錯誤の段階だと思っています。

あまり個人的な感情は書かなかったつもりです。授業運営という意味で、どこに困難さがあったかについて感じていただけるとありがたいと思っています。

補足(「大学生の日常も大事だ」についての思い)

最後に、誤解がないように書いておくと、この記事はTwitterでの「大学生の日常も大事だ」ハッシュタグの影響を受けて書き始めましたが、「大学生の日常も大事だ」の話を否定するつもりではありません。教員の方が大変だったとかいうつもりでもありません。「大学生の日常も大事だ」には同意できる部分も多々ありました。

実際、最初の方にも書いたように、「大学生の日常も大事だ」にあるような大学生の皆さんの困難さは、当初から教員の中で一定程度の認識をしていました。その認識が大学内で広く共有できたのかどうかは、把握できていません。私としてできる範囲では努力しました。他の大学でも似たような感じでしょう。

一方で、大学という制度の中で大学ができることが限られていることや、組織としての大学が取り決めたことの中で個々の教員ができることも限られていることは知っておいてもらえると嬉しいとも思っています。それがこの記事を公開した理由です。

あまり質の高くない教育をしている教員(控えめな表現をしています)がいることは想像できていて、同じ立場として本当に申し訳なく感じています。身近にいれば上手くアドバイスをするのですが、比較的に熱心な人たちに囲まれていて、そういった機会はありませんでした。

大部分の教員は教育に熱心です。これは、大学の入試偏差値の高低とは別の問題です。傾向としては、困難な学校ほど何とかしようと頑張る教員がいて、ハイレベルな学校にはそれに胡座をかいていること自体に気付かない教員がいる傾向はあります。しかしそれは個別の教員の問題で、大学全体を表すときに大学名だけで測ることは難しいはずです。どちらかというと、校風に依存すると言っても良いかもしれません。

「大学生の日常も大事だ」に挙がっていた中でも極端な例(例えば、規定回数の授業がなかった、など)は、教務課(大学によって名称は異なる)にクレームを入れるべきです。明らかに大学側の落ち度です。学部または学科には教務担当の教員がいることが多いので、その教員に相談することも必要かもしれません。クラス担任制をとっている学部・学科であれば、その担任教員に言っても良いかもしれません。(すでに教務担当の教員は、この状況でてんてこ舞いですので、あまり理不尽なことは言わないであげてください。)

それ以外の友だちができないなどの問題は、大学側が努力している場合もあります。なければそういった機会を作ってしまうというのも、大学生活の楽しみ方だと思います。そういうことをやりたいと相談されれば、多くの教員はサポートしてくれるはずです。

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