感化されたオタクは行動が早い~論文編~

こんにちは。皆さん。


ここは今日から俺が無限に話す場所です。noteだとバズれば金になるかもしれないと思いライターを少しでも志す身として今更ながら言葉を紡いでみようと思う。


何を隠そう月ノ美兎氏(敬称をつけると一気に影響受けた感と気持ち悪さがでる)のそう、僕の好きなコンテンツであるVTuberおよびにじさんじの元一期生である月ノ美兎委員長のエッセイ、「月ノさんのノート」を読了して一息ついて画面に向かってタイピングを始めのが俺。


言葉を紡ぐって何かかっこいいという理由でよくこの言葉を発する。言葉というのは質量も濃度も盛るも狩るも周期表にもない人が能力として操る概念。正直特殊能力といっても過言ではないと思っていて、それをあたかも物体のように感情を表すように、それが出来上がった一枚の布だとしたらと考えて先人の言葉を紡いでいくという表現が…この言葉を使う自分が大好きなのだ。


要するに感化されて何を書こうとも考えずnoteのアカウントを作成し、本名に近いハンネを思いついて木公ボンドと名付けた。松をばらして”もっこう”と読んだだけ。ボンドは後付け、007みたいでカッコイイじゃない?安直な少年だ。


はい、ということで前置きはここまで。とりあえずnoteを始めた。就活や先輩の卒業という現象を目の当たりにし卍22歳の代卍ということを自覚し始めた今。言いたいことや書きたいことは山ほどあるがそれをTwitterの140文字にまとめるのはもったいないとさえ思えるほどにある。140×5はたったの700文字だ。卒論が一万文字だという。一万字は足りるだろうか。もしくはめちゃくちゃ足りないかだ。


そういえば今まで誰にも言わないでおこうと思っていたが皆に共通で課せられている課題を全くしていない。一文字も書いていないしテーマもまだ定まってない。正直そんな暇はないし、先生が忙しそうなのと自分が忙しい時期が被っておりアポの連絡なんか取れないまんま時がここまでたった。といった現状。こんな文章を書いているがバイトが休みでかつ先生にアポなんて取れないから、書いていることはわかってほしい。そんな暇があるならと思う人間には10年後くらい若いころは苦労したんだって話をちゃんとするからせめてそこまでは友達でいてほしい。許してください。彼女と旅行したりSexしたりする時間を俺はこういった時間に費やしているだけなんだよ。変わんねえよ。


論文を読むのが嫌いな理由、また卒論にモチベを出せない理由なんか決まっている。「中途半端な男なくせに中途半端が嫌い」だからだ。

皆さんは知らないかもしれないし、理系の方々の論文もそんなもんだよと言われるかもしれないが心理学の論文というのは質がピンキリである。なんだこの拙文、マメ投げるぞって思うのもあれば実験結果に裏が取れていて美しい説明のものもたくさんある。ただ理系のものと大きく違うのは人間の言葉や価値観を研究しているのが心理学だ。またここに言葉というものが絡まってくる。このように研究対象がアバウトなうえにある程度の施設、環境、この道のトップクラスのご老人やそのご老人に師事を受ける僕らの親や少し上の親戚の世代の人間が書いてもその質はピンキリであるのが心理学の論文である。そして僕ら学生に共通する概念として卒論のレベルは輪をかけてひどくなる。


俺はこの中途半端さが至極気に入らない。俺達に書かせるくらいなら教授方の研究対象になったりその研究を手伝ったレポートで卒業でもいいじゃないかと思う。そうなったらめちゃくちゃ手伝うしアイデアも出すし文章もいくらだって書いてやる。


ただでさえ自己を高めたり自己をまっとうに生かそうという自信も自覚もないものだからこういった提出物がマジでできないのに中途半端な課題をあたかもまっとうな論文を書けといって課題を課される。マジで気に食わない。

ゼミでもすることは論文を紹介してそのあら捜し。学生に突っ込まれるような内容の論文を世に流すな。と思う。数を稼がなければならない立場の者がいることもわかるしその失敗も研究であることはわかるが失敗が功を奏したとかそんな次元じゃなく研究する前からわかるだろう…というセリフを先生が口にしたことは何度もある。質の悪いものを漁り水揚げした僕らが悪いのかそれともその論文を海に流して生徒を巻き込んで養殖したドコドコ大学のダレダレ教授が悪いのか。誰も悪くない教育が悪い。もう極論だが大学教育が悪いよ。うん。


でもこれに耐えうる人間が社会に出ていく。こんなくだらない学者ごっこを課題としてまっとうにこなせる人間が就活にも適応して羽ばたいていく。立つ鳥跡を濁さずという言葉を借りるなら俺は立たずにひたすら羽を汚している。わかっているからこそ、ひたすらにもがいているし罪悪感を感じる。そして唯一の幸せはここに罪悪感を感じられているところである。感じなくなった途端きっと大学を辞めてフリーターになって適当に社員登用されて3年で辞めて転職している。仕事はできる自信があるからきっと何とか出来ている。ただ辞めて大学に払ってきたお金と奨学金がパーになるのもあほくさい。だからきっと俺は今からでも頑張るのだろう。そして出来上がる卒論はきっと中途半端だ。ま~た自己嫌悪タイム。


こうやって自分が嫌いな理由を露呈して言葉を紡いでいく。自分のカッコ悪いと自分の思う、理想のかっこいいを両立させて中和しようとしている。恥も承知。これがまさしくエッセイだが俺は何者でもない以下無限ループ。うまぴょい伝説聞いてきます。

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