大嫌いな自分
欠陥人間。
この言葉が私には似合う。
あるいは「イタイ奴」なのかもしれない。
自分が人間として何か欠落しているなと感じたのは3歳の時。
幼稚園に入園した次の日に隣の席の事喧嘩をした。
内容は覚えていないけれど、喧嘩をした事実は覚えている。
その時点から私は何かが普通とは違った。
それ以来、私は何度も何度も「普通と違う」現実を突きつけられた。
普通だと思うことをしているのに、普通じゃない。
そもそもの思考が他の「ふつう」とずれている。
「普通とは違う」ことを善としてくれる人なんてほとんどいない。
私だってふつうの女の子として彼氏好き好きって言って生きる人生がよかった。
ずれていることを自覚はしているけれど、直すことはできない。なぜなら何をどうしたら普通になれるのかわからないから。
センスの異常さ。
育ってきた環境の異常さ。
根本のずれ。
私はどこをどうとっても普通とはかけ離れている。
普通じゃない私は、他人より少しだけ感受性が豊かだ。
1つのことを言われればそこから10のことを感じ取り、考え、さらに思いや情報を関連付ける。
そして、他人より少しだけ文を書くのが得意だ。
文字に起こすことが好きだ。
読書感想文やレポート、その他何度か私の書く文章を評価してもらった経験がある。
これを繰り返すたびに私は明治時代の文豪、太宰治を思い出す。
決して詳しく彼のことを知っているわけではないが、何度も女と自殺未遂をしたことは知っている。
勝手な憶測だが、彼も私の様に感じ取りすぎて、考えすぎて疲れてしまうタイプだったのではないかと思う。
だから何度も嫌になって自殺未遂をした。自分の人生を閉じるのが自分が一番楽になれる方法だから。
これもきっと極端な発想で、「普通」ではないのだろう。
私は、人より少し感受性が豊かで、人より少し文章を書くのが得意だった。
これを「文豪タイプ」というのであれば、こんな少しの能力なんていらないから普通の女に生まれ変わらせてください。
普通からずれていることは現代の日本においては圧倒的に非難、揶揄されることが多い。
それが「イタイ」であったり「メンヘラ」であったり。
自分とは違うからって、普通から逸脱しているからって、直接的な表現で私を傷つけるのはやめてください。
その一言で私がどれほど傷ついているか。
その一言で私がどれほど自分を嫌いになっているか。
自分が自分を世界で一番嫌って、自分で自分を「欠陥品」として扱っちゃうから。
自分のことが嫌い。永遠に嫌い。
でも生きなきゃいけないから生きている。
きっとこういうやつこそ長生きするのよね。
「いい人」は短い。
何度か拝見したけれど、みんなにいじられている姿でたくさん笑わせていただいた。
ありがとうございました。