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オタクだからギターを見るのが怖い

何がそうしたかというきっかけは特にないがギターを買った。7万円。この偉大なる労働者階級に属する俺くん(毎日アニメを観て日々を誤魔化している)にとって、このような新たに何かを始めるための出費としては些か躊躇する気持ちがあったが、決心をつけ、「おい店員」とデカい声で叫びながら弾くこともできない癖にギブソンやらマーチンなどの一流ブランドのギターを眺め、「ふーん、中々いいの揃ってんじゃん」と知ったかそぶりを見せつつ最終的に初心者のチョイスとして順当なラインであるお部屋練習用ギターを購入した(毎日アニメくんなので“けいおん!”に影響を受け機材だけには詳しいのだ) 会計を済まし肩で風を切るがの如く颯爽と帰宅 ──とはいかず、この猛暑たる季節の中、やはり俺らしいといったところか、俯きがちに歩きながら耀きギター少年となる自覚を目覚めさせつつ感慨に耽りながら帰宅した。なんせこの俺くん(毎日アニメを観て日々を誤魔化している)、ギターを購入する行為に対して7万円という大金を払う以上に、黒歴史とも言うべき……いや決して忘れてはならぬ思い出分の借金を精算しなければならなかったのである。

中学1年生の真っ只中、クラスに居る一部のオタク達は、存分にアニメ街道を突っ走り毎夜毎夜アニメやライトノベルに埋もれてしまった結果「少年アニメ(リ◯ーン等)は浅い」「深夜アニメこそ本物」「ルイズのフルネームを高速詠唱できる奴が強い」「ルイズ2chコピペも強い」など自己が肥大化してしまったが故の謎たる進化を遂げてしまい、まぁなんというかエリート・オタクという意識を持つ集団となっていた。例にも漏れず順当に俺自身もその枠にピタッと収まってしまい、日々“もっとオレをアツくさせてくれるニメはねぇのかよ……”の思いを常に抱きつつ、学校から帰宅即自慢の愛機(家族共有PCを私物化してちょっとエッチなC.C.の壁紙が設定されている)を起動し、アニメが見まくれるヤバいサイトへ接続、エリート・オタクを出し抜く最強のアニメを探し続けていた。ある晩、いつもの如くこの高尚たるライフワークをこなしていると、一本のアニメが目についた。「「Angel Beats!」」只者ではないその空気感、圧倒的な”萌え“を感じ取れるキャラクターデザイン、バンド要素あり、、瞬時にこのアニメーションに取り憑かれ、一夜にして視聴した後、明け方になった頃にはもうこのアニメをクラスのオタク共に啓蒙しなければならぬという心持ちでいた。結果は大盛況。エロゲライターというそもそも中学生では買えない代物でのし上がってきた人物が脚本ということも相まって、この神アニメーションの噂は瞬く間に各地へと広がり、遂にはクラスの女子陣にも視聴する者が表れていた。真実は定かではないがクラスの1軍すらもこの流れに逆らうことは出来ず、カウンターとしてこのバグったブームは「西中オタク逆襲事件」として語り継がれているらしい……。 とまぁここまで聞くと察しの良い貴方にはお分かりかもしれないが、そう、俺はつまるところ天狗になっていた。突然の利益は逆に人生にとって不幸になることが多い。この時世、パパ活やらIT長者とやらが疑問視されて久しいが当時の純粋ボーイたる俺くんはこの突然のボーナスステージを永遠なりと捉えるばかりか、いや、あるいは良かったのかもしれないが、この時期をきっかけとしてオタクぽい女の子グループにも溶け込んでいったのである。その中でも特に、中原さん(仮称)とは机が前後ろの位置なのもあってか気が合ったのか、毎日楽しくお話をしてはちょこちょこと一緒に帰る仲にまで発展していた。情けない話ではあるが、もはやこの頃の俺はもうアニメの話などどうでもよく、「帰りの会でいちいち持ち検を匂わせてくる担任がウザい」とか「ソーセージパンは滅茶苦茶コスパいい」とか「それは君のお母さんが悪いよ」だの、側から見たらもうただの“それ”であった。クラスのエリート・オタクから時折、お前中原さんとこと好きじゃん笑の弄りをされた時こそ「いやいや(x10) 違うって!!」などと大聲で否定していたが、なんというか、まぁ、その、好きだった。マジで。ヤバいくらい。彼女と話すだけで天にも昇る勢いであった。一方向こうも、まぁこんなこと言うのもらしくないが満更でもなく、しかし、俺くんは本当に情けないボーイであった為、「かぐや様は告らせたい」よろしく謎のちょっかいをかけては相手の告白ターンを待つ、恐らく世の恋愛指南において最もタブーとされる地雷を踏みまくっていたのである。情けない。本当に過去に戻りたい。

一連のブームがもう過ぎ去ろうとしていた時、純粋チェリーくんこと俺は、この流れは卒業まで続くだろうと勘違いをしていたままであり、あろうことかバンドすらも模倣せんと画策していた。何故か自身がギタヴォであり、オタクくんを配置し…… 今執筆している時点でもう手が震えているが……ベースに中原さんを置くという所業を成し遂げていた。もうキモオタですらなくただの“キモ”である。この案をまるで神からの神託だと疑わず優々とした表情で向い、椅子の上に立ち、その偉大な計画をエリート・オタク達に公開したのである。これは察しの悪い貴方だとしてもお分かりだと思うが、つまるところこれは却下された。一同ドン引きである。憎き彼らも自己肥大といえども線引きはしており、結局のところこの自己肥大エリート・オタク集団の中でもっとも黒き肥大を成していたのは何を隠そう、自分自身であった。中原さんも苦笑いである。流石に懲りたのか次の日から何事もなかったかのように登校、、ではなく、空気すら読めなった俺はプランが足りないのかと音楽室からギターの類を持ち出しする申請書類を集めたり、先生に協力を得ようとしたり……孫正義かと見間違うかのような大胆さと情熱を持ち計画を勝手に遂行してしまっていた。孫正義は少なからず社会の発展の為からくる行動であるが、己はただ自分の自己顕示欲を満たしたいだけである。正義ですらないその行動を行い続ける様子を優しい優しい中原さんはずっと見ており、時々「別にアニメじゃないからね」などとフォローされる始末である。1週間後。もうこの先は書かなくてもお分かりだろう。端的に言うと俺はこの教室という狭すぎる世界で居場所を無くし、中原さんにも愛想を尽かされてしまったのである。ある意味強いタイプのクズなのでオタク集団に邪険にされても少し心が痛いくらいであったが中原さんは別である。3日食事が喉を通らず、毎夜枕を濡らしていた。これまでの自身の愚かな行いの数々をその時初めて認知したのである。

「花束みたいな恋をした」というサブカルカップルが出会って別れる映画の一説にこのような台詞がある。

女の子に花の名前を教わると男の子はその花を見るたび、一生その子のことを思い出しちゃうんだって

この一節、自分にとっては何を隠そう、ギターである。もうこの一連の事件から何年もたった今でもこうである。正直な所、今また思い出してもう文章を書く気分ではなくなってきた。おそらくこの思いはずっと付き合っていくのだろう。いや、付き合うべきなのだ。少なくとも自戒として心に深く刻むべきなのだ。この自分で起こした呪いとも言えるこの事柄を、今日買ったギターを弾くたびに思い出そうとしようか。(いや、3回に一回でいいか…)
これから弾いていく、もしくは向き合っていくギターとの人生の中で、俺はこれからも強烈たる思い出ができるのだろうか。それも一興だろう。願わくば、その思い出の色が白であることを願い、俺は遠慮しがちにGコードを抑えた。

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