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私は神様を幸せにする

小さい頃から見えない存在に囲まれていた私

私は幼い頃から常に見えない存在に囲まれていた。
それは山の梢の中に、部屋の天井に、草原の中に、心の中にいつでもいつでもいた。

その力に守られながら、またその力の脅威に晒されながら、 今まで生きてきた。
例えていうなら相手は動物で、動物には動物の感覚があるから、関わり方を間違えたらどちらかが、もしくはどちらも傷つける。

それは見えない存在もまた同じだった。
私の傍には見えない世界に精通している人はいなかったから、というか精通する誰かがいたとして、自分なりのお付き合いの仕方を自分なりにやっていくしかない。

どんなことをするにしても、そうだと思う。

情報だけで神様や神社仏閣を知り、頭で理解するだけでは足りない

たっつんに出会う前、私は見えない存在からのサポートをもらおうと躍起になっていた時期があった。
誰でも最初は関わり方を学ぶため、やり過ぎたり、ずぼらにし過ぎてバランスを崩しながら、自分の中の『ちょうどいい』だったり、関わり方のバランスや美学を見つけていく。

キャラバン中にお寺や神社に行くだけで、そこにいる見えない存在は自分が出来ることを施してくれる。
人々はこぞってお参りに行く。
人がたくさんいる場所にも、閑散として人気の全くない場所にも足を運んだけど、そこにいる存在たちは相手が誰であろうと、関われる存在が関わり、自分の役割を果たしていく。

私が【やり過ぎた】という体験の中に、自分が望んでいるものも理解できないまま、見えない存在にご利益だけを願い、見えない存在が困惑して『私はあなたに何も出来ることがない。あなたは私を何をもって呼んだのか』と問いかけられたとき、何も答えられなかったという体験がある。

でも、きっと神社や神様の情報が書籍やネットで溢れているこの時代、人の関心は神様が何をしてくれるのかっていうご利益に注がれている。
全ての人がではなく、多くの人がそうなのだ。
自分の望んでいることも分からないままに神様にご利益を乞いに行く。
きっと頭で分かっているだけではダメなんだ。

情報として知っているだけでも、頭と心は時として別々に動く。
見えない存在を尊敬し、敬う神様への礼節も所作も…私たちはその向こう側にご利益を見てはいないか?

私は神様を幸せにする

そこまで考えて自分の浅はかさを突きつけられた時に私は何も考えず『私は神様を幸せにする!』と唐突に胸の内に飛来した。
あまりに唐突すぎて自分でもビックリした。
神様に『してもらう』じゃなくて、私が『何をするか』を考えた時にそう思った。

私は神様…見えない存在を幸せにするために旅をしながら神社仏閣を巡り、生きていこう。
ご利益をもらうとかもらわないとかでなく、全く別の次元として自分がそうしてみたいから『神様を幸せにする』って感覚でやってみよう。

その結果、何がどうなるか分からないけど、何をどうすればとかも分からないけど、とりあえずそれでやってみよう。
て、とこまでたどり着いた時、黒龍薬研がなんだか黙ってうるうるしている。
伊弉諾のおじいちゃんがハンカチで鼻をちーん!している。
朝陽嬢が涙をぬぐい、夜煌くんが号泣し、座敷わらし物吉くんはぎゅうううううっと抱きついてくる。

なんか分かんないけど、みのりんファミリーたちは喜んでくれている。
エネルギーの乱れもない。
なら、まぁ、今のところ私のスタンスはこれで間違いない(笑)


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リアルな見えない世界の体験を綴ろうと思っています。自分が感じた感覚をそのままに。私の大切にしたい世界が伝わることを願って。見えない世界も大切にしたいと思う方はサポートしてくれると嬉しいです。