コミュニケーション能力とは付き合う人の多さでは測れない
コミュ障な自分に悩むみのりん
…はぁ~。
『どうしたんじゃい。
ため息なんぞつきおって…わし、心配。』
イザナギのおじいちゃん…私ねー、最近自分のコミュニケーション能力の無さに困ってるっていうか。
『こみゅにけーしょん能力とな?』
うん。
なんかねぇ、あんまり多くの人とコミュニケーションすると疲れちゃうというか、そういう量的なものがすごく少なくなったな~って感じちゃうんだよね。
『ふぅむ。
それがお前さんの思うこみゅにけーしょん能力とやらか?
わしが思うこみゅにけーしょん能力とずいぶん違うのう。』
あ、そうなの?
『うむ、交流する人が多いばかりはこみゅにけーしょん能力が優れているとは言わんのう。
どちらかと言えば、優れているのは別の力の方じゃろう。』
じゃ、おじいちゃんの思うコミュニケーション能力って何かなぁ?
イザナギのおじいちゃんが思うコミュニケーション能力
『それはのぅ、相手と自分に合った交流が分かる能力じゃ。』
相手と自分に合った交流が分かる能力…。
『うむ!
交流を持つ人間が増えることがこみゅにけーしょん能力と勘違いすると痛い目を見るぞ。』
え!?
どうなっちゃうの?
『まぁ、大抵が自分が疲れるか、相手に嫌われるかどっちかじゃな(笑)』
あ~、なるほど…。
『自分が心地よく交流できる量や相手とは人それぞれ違うもんじゃ。
それを勘違いして多くの人と交流を取ることがこみゅにけーしょん能力が優れているとすると、自分の交流するに適した相手を違えたり、許容量を越えて楽しくても心が疲れてしまう。』
うんうん。
『また、相手との交流の仕方を違えると、まぁ…嫌われちゃうのう!
要するに自分の交流の仕方が相手にとっては失礼ってことかもしれんからな!』
そこまでいかなくてもなんか話してて疲れちゃう人って思われちゃうね(笑)
フレンドリーなのか、馴れ馴れしく感じるのかも人それぞれだもんね~。
今の交流関係に満足するみのりん
『そこで、最初の話に戻すとするかのぅ。
お前さん、今の自分の交流の仕方をどう思う?』
うーん…確かに量的なものは減ってるけど、概ね満足してる!
なんていうか、最近では口コミだけで広がっていかないかなーとぼんやり思ってたりするよ(笑)
『うむうむ。
それならそれで良いじゃろうて。
何も心配はいらん!
わしに任せておけ!』
この話はあくまでコミュニケーション能力の話でマーケティングの話ではないことをご理解くださいね。
『まぁ、こんな感じでの…こみゅにけーしょん能力とは単に交流している人が多いだけで測ることは出来んのじゃ。』
自分の使う言葉とかに結構本音って隠しきれずに出ているもの。
自分が使う言葉も省みたり、相手に投げ掛ける言葉を省みたり、コミュニケーション能力って総合力だねぇ。
『そうじゃのう~。』
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