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最後の授業

やっと、このときが来た。
いつもならベッドから出たくない月曜の朝なのに、目覚ましが鳴るより早く起きちゃった。そのくらい僕には楽しみで仕方なかったんだ。
筆箱だけ入れた異様に軽いランドセルを揺らしながら学校へと急ぐ。


僕の通う陽南小学校では6年生の3学期、卒業式前の一週間だけ、好きに授業を選ぶことができる。
それのどこがそんなに楽しみなのかって?
まぁ見てればわかるさ。


「よぉミナト!今日何の授業にするか決めた?」

校門をくぐろうとしたときクラスメイトのヤスが声をかけてきた。

「1時間目の理科は決まりだけど、2時間目がなー、国語と体育どっちか行きたかったのに最悪だよー」
「おれも理科で実験したかったのにさ、調理実習にあのファソラ先生来るじゃん?母ちゃんが『見てきなさい!』とか言うからまったく困っちゃうよー」
「でもさ、うちの学校のどこに芸能人とかYoutuberとのつながりがあんのかほんと不思議だよな」

通称・陽南小アワード。

学校中の先生が好きな科目を、好きなように、6年生のためだけに授業をする。1〜5年生は休みだ。
僕たち6年生は前もって発表される時間割をもとに、どの先生のどの授業を受けるか選ぶ。
でもそれだけじゃない。
テレビで見たことのある料理研究家や、オリンピックにも出たことのある元選手、今をときめくYoutuberがゲストでやって来たりするのだ。

そして全授業終了後、投票によってMVPならぬ"MVT"が決まる。
その結果は卒業式の日全校生徒に伝えられ、下級生にとってもどの先生の授業が良かったのかわかる仕組みになっている。

僕が2年生のときからこのアワードが始まったのだが、噂を聞きつけて「入学したい」とこの学区に引っ越してくる人も増えたとかそうじゃないとか。

ちなみにサボりは認められず、もし具合が悪いなどあっても月〜金×4時間=20時間のうち、最低15時間は出席していないと最後の投票が有効にならないなど結構シビアだ。


今日の2時間目は「元オリンピック選手が教える!たった45分で足が速くなる方法」の体育の授業にしようとヤスと約束して別れ、僕は理科室へと向かった。

待ちに待った陽南小アワードの一発目の授業が理科で、しかも山岡先生だなんて僕は本当にラッキーだ。


山岡先生は僕が5年生のときの担任だ。
始業式の日に出席を取ったとき、
「浜崎ミナト…海と陸をつなぐ、番人みたいないい名前だなあ。"山"と"岡"の僕とは正反対だ」
そう言って笑った。
今までそんな風に自分の名前について言われたことなんてなくて、思いつきもしなかったし、ちょっぴり照れくさかった。けど嬉しかった。

背はふつうくらい、太ってもやせてもいなくて、さらさらとした髪の毛がなぜか女子たちからよくうらやましがられていた。
小さい頃はメガネをかけていたらしいけど、"大学デビュー"でコンタクトに変えたらしい。

「キリッと、先生らしく見えるように」といつでも襟のあるシャツやポロシャツを着ていたけど、一度だけ寝坊して遅刻しそうになったときの可愛いクジラのイラストがでかでかと書かれていたTシャツ姿が今でも忘れられない。

ピアノが全然弾けないから音楽の授業はいつもCDで伴奏を流していたのだけど、あるときプレーヤーが壊れてしまって「口で伴奏する!」なんて言ったこともあった。その方がだんぜん難しそうなのに。

そんな先生の理科、特に生き物に関する授業はばつぐんに面白かった。
海や水辺に興味を持ち始めていた僕に、授業でも、それ以外でもいろんなことを教えてくれた。
夏休みなんかは水族館をはじめ、港など海が見える場所へ行きたいと両親にせがみ、二学期が始まる頃には自分でもびっくりするくらい真っ黒こげになっていた。
「夏休みは家でゲームに限るわ〜、なんて言ってたのにね」とお母さんに言われたけど確かにその通りの、劇的な変化だった。

そのまま持ち上がりになるとばかり思っていたら、別の学校から来た先生が担任になり、山岡先生は3年生へ行ってしまった。
だからこれが1年ぶりの山岡先生の授業だ。


理科室へ入ると半分以上は席が埋まっていたけど、教壇の前の特等席はまだ空いていた。もちろんそこへ着席する。

チャイムが鳴り始めてすぐに山岡先生が入ってきた。
部屋の中をぐるりと見回してから教壇につくと、一番前にいる僕に微笑みかけた。

「今日の僕の授業は海水から塩を作る実験だ。実はみんなと同じ6年生の時に夏休みの自由研究でやったやつでな。さ、時間もないから始めるぞ!」

話もほどほどに、"江ノ島のあたりで汲んできた"海水が各テーブルに配られ、ペットボトルで作ったろうとにゆっくりと注いでいく。
鍋に入れて沸かし、10分の1くらいになるまで煮詰めたら、冷ましてまたろ紙でこす。
そしてもう一度煮詰めて…と時間が足りるはずもなく、料理番組さながら先生が事前に実験してできた塩を見せてくれた。
家のキッチンで見たことのある瓶に入った塩や岩塩も用意してくれて、それぞれの違いも教えてくれた。
一生懸命、先生の話に耳を傾けているうちに、授業はあっという間に終わってしまった。



僕たちにとってこの一週間が小学校最後の授業だけど、実は山岡先生にとっても最後の授業なんだ。

先生は海の生き物のことをまた勉強しに行くんだそうだ。
その中でも特にマナティーを研究したいらしくて、「マナティーに恋している」とまで言っていた。
結婚して奥さんも子供もいるけど。

「まだまだわからないことがたくさんあるからね」
「もっと知りたい、そう思わせてくれるってとっても魅力的じゃないか?」
噂の真相を確かめに先生を突撃した3月の始め、そう答えてくれた。
「辞めないで」なんて言葉は喉の奥に引っ込んでいった。



金曜日の3時間目。
先生の最後の授業はそんな恋の相手・マナティーについてだった。
しかも授業の最初にマナティーに宛てたラブレターなんて読みだしたんだ!
これには他の生徒も大ウケ。
しかも実寸大のマナティーの模型まで作ってきちゃうんだからびっくり。
マナティーの特徴や生態、最近起きた大量死の話、僕たちがマナティーのためにできることまでわかりやすく教えてくれ、ラブレターにキャッキャしてたやつもみんな最後には真剣な目をしていた。


山岡先生がやった4つの授業は全部出席した。
元オリンピック選手のおかげで本当に足も速くなったし、いつも動画を見ていたYoutuberにも会えて興奮したけれど、投票するのは山岡先生だ。
来年これが行われるとき山岡先生はここにいない。
下級生のみんなには何の参考にもならないかもしれない。
でも僕は山岡先生に出会えてよかった。
そうじゃなきゃ自分の名前のことを何とも思わなかっただろうし、理科の授業が好きだな、楽しいな、と思わなかっただろうし、海の生き物のことをこんなに好きにならなかっただろう。

そして「もっと勉強したい、しなきゃ」と言って学校を去る山岡先生をすごくカッコいいと思った。
別に先生がMVTじゃなくたっていい。
先生の良さは僕が一番わかってる。
でも先生本人には僕がそう思ってることを知ってほしい。

投票用紙の理由の欄にはこれを全部書いた。


中学生、そしてその先の大人の僕って、いったいどうなっていくんだろう?今はぜんぜん想像もつかないけれど、でもいつかまた先生と海の生き物の話ができたらいいな。それで盛り上がって、お酒とか飲めちゃったら楽しいんだろうな。
そう思いながら職員室前に設置された投票箱に、ピシっと二つ折りにした、僕の"清き一票"を入れた。

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