小沢一郎氏(82)について。

 2024年5月12日、旧民主党(現立憲民主党)の幹事長をつとめた輿石東・元参議院院副議長(87)は、自身の回顧録の出版を記念したパーティーを東京都内で開催した。約30人が集まり、自民党の麻生副総裁や甘利前幹事長、立憲民主党の泉代表や野田元総理ら与野党の重鎮が出席した。
 輿石氏は「心が通じ合った時に信頼が生まれる。政治も経済も教育も、人とのつながりで成り立っている」とあいさつし、暗黙のうちに野党の結集を呼びかけたようだ。これに対して、小沢氏は「政権崩壊の日は近い。政権交代が輿石氏の大恩に報いる唯一の道だ」と語り、再び政権交代を誓った。
 派閥裏金事件の逆風を受けて党勢が低迷する麻生氏(83)はあいさつで、輿石氏に立憲民主党の泉代表への指導を呼びかけ、「しっかり指導していただくようお願いする」と述べて会場の笑いを誘った。
 それとは違って、古賀・元自民党幹事長(83)は、輿石氏を「愚かな戦争と平和の尊さを知っている世代の同志だ」と指摘した。過去の第二次世界大戦の経験と現在の世界の現状を鑑みて、為政者が平和を追求する使命の重要性を訴えた。
 参加者の思いはそれぞれだろう。輿石氏も古賀氏も今は活躍していないが、一世を風靡した。とくに自ら激変の政界に身を投じ、この50年間の政治の実情を知り尽くしている小沢氏は、かつてはかなりの権勢を振るい、近代政治の立役者で、名を残す政治家である。
 同氏は1943年生まれの立憲民主党に所属する最古参の衆議院議員で、岩手県で育ち、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本大学大学院法学研究科に進学した。父親の急死によって、27歳で政界に入った。
 政治家としてのキャリアは多岐にわたり、自由民主党幹事長、新生党代表幹事、新進党党首、自由党党首、民主党代表、民主党幹事長、国民の生活が第一代表、生活の党代表、自由党共同代表など、多くの重要な役職を歴任した。また自治大臣兼国家公安委員会委員長、内閣官房副長官などの政府の要職も務めた。
 彼は政界に波乱を巻き起こし、多くの困難を乗り越えた。93年に自民党を離党し、羽田氏とともに新生党を結成し、同年8月に55年体制を崩壊した連立政権の細川内閣を誕生させた。また09年8月には衆議院総選挙で民主党を大勝に導き、念願の政権交代を果たした。小沢氏は2度の政権交代を成し遂げたことから、政界では壊し屋と恐れられている。
 政治信条は国民の生活が第一と謳い、国連中心主義、政権交代可能な二大政党制、脱官僚支配などを掲げ、今のわが国では理想でも、本来の政治理念の実現を目指す人でもある。とくに脱官僚・政治主導を掲げた民主党の鳩山政権下で、幹事長として2010度の予算を編成し、もはや不要となっていた公共事業である土地改良の補助金を3分の1に大きく削減した。このことは小沢氏の信条を具現化した一例である。
 10年10月に検察審査会によって起訴議決された陸山会事件は、11年1月に強制起訴されたが、金銭的には全く清廉だった。この事件は小沢氏の総理就任を阻止するため、自民党政権に迎合した元東京高等検察庁検事長の黒川氏の関与があったと言われている。
 過去10年間野党の結集を呼びかけてきたが、その機会が再び訪れている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?