失われた30年。

 1990年にバブル経済が崩壊した。その後始末で、潜在して進行する長期的な二つの課題が見過ごされてきた。これらは70年代に始まり、この時点から手を打っておく必要があったが、自由民主党はこれら課題に真剣に取り組もうとはしなかった。それどころか、これを放置したばかりでなく、経済政策も少子化生息も、失敗を繰り返して、事態を悪化させた。
 さらに悪いことに、政治家は予算編成を含めて行政を官僚に丸投げしてきた。経済は官僚と業界の護送船団体制の下、政財官は三者が一体となり、予算の無駄使いをするばかりで、国力や経済力を沈下させた。
 二つの難題とは財政赤字と人口問題だが、国の借金は75年から増え続けており、人口は08年から減り始めている。前者は主に税収の減少や歳出の増加によって拡大し、後者は高齢社会による少産多死の人口現象による。
人口減少の主な原因は出生率の低下によるが、70年代から減少傾向を示し、75年に合計特殊出生率は2.0以下となった。19年には1.36となり、出生数は過去最少の86万5千人に落ち込み、政府の見通しを上回るペースで少子化は加速した。
 出生率の低下の原因は経済的な理由から女性が社会進出を余儀なくされた点にあり、若い世代の結婚および出産に関する意識が変化し、未婚化と晩婚化が進んだ。また育児、養育、教育に対する経済的負担が大きく、男女別賃金格差が存在し、育児や家事に対する女性の負担が重い点などが挙げられる。
 一方、人口の高齢化は平均寿命が延び、戦後のベビーブーム世代が高齢になったことなどが原因で、19年に65歳以上の高齢人口は全体の28.4%を占めた。高齢社会の結果として、人口現象は少産多死に至り、総人口は08年の1億2808万人をピークに減少に転じ、19年には1億2618万人に減少した。
 わが国は70年に人口の高齢化率が7%を超える高齢化社会に突入した。人口推計によって、50年以上も前に現在の少子高齢化社会の到来は予測ができていた。それにも関わらず、これに対する対策は極めて貧弱だった。
 こうなると、まず労働力が不足し、生産性が低下し、経済成長は鈍化する。また消費者数が減ることで、内需が低迷し、デフレ傾向となる。ますます社会保障費は増加し、財政赤字が拡大した。
 一方、わが国の国民総生産(GDP)はこの30年間ほとんど伸び悩み、10年から19年までの間に平均で0.8%しか成長しなかった。テレビ、半導体、自動車などの生産は世界を席巻し、太陽光発電、風力発電、蓄電池などもかなり良いところまでいったが、今は見る影もない。
 産業に対する対策も利権に基づくバラマキで、新しい産業の勃興を促進するようなものではなかった。政府は景気刺激策として大規模な財政出動を行ったが、効果は限定的だった。
 一方で、社会保障費は10年から19年までに約30兆円も増加した。わが国の借金は主に国債であるが、その残高は19年末時点で1091兆円に上り、GDPの約2倍に達した。
 遅きに失したが、わが国の再生を本気で考える時である。

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