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ストローマグで乾杯を

「いいなー、私もビール飲みたいなー。」
ちょっと高級なスーパーマーケットのお惣菜売り場で買ったアジフライを目の前に、私は麦茶を傾けた。夫は苦笑いしながら、缶からグラスにビールを注ぐ。グラスの中でたくさんの細かな泡がキラキラしながら、一度沈んでは真っ直ぐ浮かんでいった。

現在、私は妊娠6ヶ月。
年末には2人目の子供の出産を控えている。
今回のマタニティライフは、1人目の時と全く異なったものだ。
1人目の妊娠6ヶ月目くらいの時は、都内のオフィスでフルタイムで働いていた。毎日、満員電車に朝晩揺られ、時々仕事終わりに友人や職場の同僚、夫と外食して帰った。
元々お酒、取り分けビールが好きな私は、その頃は今よりも飲みたいけれど、飲めない切なさを感じたものだ。しかし、美味しい食事と仲の良い人たちとの気兼ねない会話は、ノンアルコールビールやジュースでも充分に楽しむ事ができた。

今回はというと、仕事もしていないし、元気な1歳4ヶ月の息子の世話で追われる日々。緊急事態宣言が解除されてもランチすら外食は週に1回程度で、夕食は子供を寝かしつけてから夫と2人、のんびり食べている。

二人目の妊娠がわかった時、世の中は緊急事態宣言中であった。年末に控えた出産やその後の2人の子供の育児のことを考えて、緊急事態宣言が解かれた後、すぐに都内から長野県にある私の実家の近くに引っ越しを決めた。ちなみに夫の仕事は5月から完全にテレワークとなり、この先1、2年くらいはその勤務形態が続く見通しだ。

以前であれば、このような遠方への引っ越し前は、私も夫も友人やお世話になった方と食事にでも行っただろう。でも今はそういう訳には行かない。
親しい人何人かに連絡だけ入れて、ひっそりと引っ越しをした。
「実は、引っ越します。」
「え!?そうなの?今は会えないね、、寂しいなー。。」
そんなやりとりをしていると、じわじわと寂しさが胸に広がていった。
自分の地元に戻るとはいえ、10年近く過ごした街とそこで出会った人たちとの静かなお別れは、なんともいえない虚しさがあった。

引越しを無事終えて落ち着いた8月初めのある日。いつものように息子に夕飯の離乳食をあげていた。と、子供が不意に手元のストローマグ(一歳前後の子供が使う、プラスティック製のストローと取手がついたボトル)を持ち上げて、こちらに満面の笑顔を向け「ぱぁぃ!」と一言。
これ、「乾杯」のことなのだ。可愛すぎる。
その数日前、私の誕生日パーティーで私の実父が教えたのだ。
もちろん、1歳の子供にしてみれば、乾杯なんてなんのことかわからない。ただ、ストローマグとグラスを当てて、カチ!と鳴ることが楽しいのだ。

この頃の子供は、一度楽しいと思った事はなかなか忘れない。
覚えたその直後から、毎食のように「ぱぁぃ」と言ってこちらにストローマグを差し出して、私や夫は慌てて近くのマグカップやグラスを手に取り、ストローマグにカチ!と当てる。
そうすると、満足したように子供は口を大きく開けてストローをゆっくりくわえて、真剣な顔で麦茶を飲むのだ。
これを何度も繰り返す時もあるから、大人は当然だんだんと飽きてくる。しかし、あの溢れんばかりの笑顔での乾杯のお誘いを拒否できるわけもなく、その度にこちらも笑顔で乾杯する。

先程、「1歳の子供にしてみれば、乾杯なんてなんのことかわからない」と書いたが、そもそも乾杯の意味なんて、この子供の「ぱぁぃ」ブームが無ければ考えもしなかった。

乾杯の意味を辞書で見てみると「慶事や健康を祝ったり祈ったりして、杯を差し上げて飲み干すこと」(参照:weblio国語辞典 https://www.google.co.jp/amp/s/www.weblio.jp/content/amp/%25E4%25B9%25BE%25E6%259D%25AF)とある。
知らなかった。笑

「飲み干す」かどうかは別として、会食の始まりの乾杯の時、みんな笑顔になる。もちろん毎回慶事でもないし、健康を祝ってるわけでもない。ただ、その瞬間。今日、この会が開かれた喜びや、これからの楽しい時間への期待が溢れている。乾杯の瞬間とその後に飲む1杯目のお酒の美味しさで、乾杯の後もみんな笑顔になるのだ。

そんな事を考えていたら、都内で飲み歩いていたあの日々が妙に愛おしく感じられてきた。
もう絶対朝まで飲んだりはできないし、したくないけど笑

でも、いつかコロナも落ち着き、ドキドキの出産も終えてかわいい2人目ベビーちゃんの授乳も終わったら、また東京に遊びに行こう。

子供達も連れて、懐かしい人達に会おう。そして、昼から乾杯だ!
その頃には息子はもう「ぱぁぃ」とは言わないだろう。きっと、「かんぱい」って言えている。そして、ストローマグも卒業して、リンゴジュースでも入った小さなグラスを上手に傾けているんだろう。
…なんか、想像したら涙が溢れてきた。それはそれで寂しいな。成長は嬉しいけど、、無性に寂しいな。。

今は、まだ、この小さくなった生活の、何気ない日々を楽しもう。君の溢れんばかりの笑顔と、ストローマグとの「ぱぁぃ」を心に刻みながら。


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