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うつを乗り越えるまでの話②

大学生1~4

うつという診断が正確だったかはわからない。
少なくとも、電話が鳴ればその瞬間ヒーローになろうとしていた自分がいた。
当時の事を振り返っても、アルバイトは遅刻したり、休んだりしながらも出来てはいたし、スイッチをいれれば逆にハイになるタイミングもあった。
その勢いで急に東京まで精神の施設のボランティアツアーに行ったり、
誰かと会う予定を作ってどこかへ行ったりすることもあった。
ただ一度何か動くとその3倍くらいの時間を頭をもやもやさせて、何もできないまま布団の中ですごしていた。
大学の先生からは双極性障害かもねとの言葉をもらったことがある。

家族には大学に行くと誤魔化し、母を見送りまた布団に戻る。
罪悪感、焦燥感、不安。
何とかしなきゃという焦りと自分の中に生まれる希死願望と学んだ知識の戦い。
何も出来ない自分への信頼感の消失。どんどん悪くなっていく頭。
不安感からの吐き気。外に出たときに感じる孤独と疎外感。
関わった責任と誰かの希死願望。後悔のリフレイン。
怖くなって逃げ込み続けたトイレ。電車に乗っても不安が襲ってきて、
一駅ごとに冷や汗をかきながらトイレに逃げ込む日もあった。

そんな日々を繰り返しながら、4年が過ぎた。
とうとう電話も減っていき、関わりはほとんどなくなっていった。
ただ大学の単位はもちろんボロボロで卒業できない。
母への罪悪感から逃げたかった私は自分で生活費を稼ぐからと、
一人暮らしをして大学に通わせてくれと母に懇願し、母はそれを認めてくれた。

大学5

京都での一人暮らしは、土日祝のバイト代で賄われた。
超貧乏生活ではあった。ただ自由を手に入れたのはとても大きく不安は少し減った。
大学からは徒歩25分。自転車13分のようなところで微妙な距離。
案の定、大学にはあまり行けず土日のバイトだけで手一杯だったが、出来るだけ人を招くようにすることで、
少しずつ心の動きが変わっていったように思う。

その時見つけた心の動きは、簡単な図解や文章にして壁に貼り付けていた。
友達も何か書いて貼ってくれていたので、だんだんと壁が埋まっていく。
壁一面が絵や言葉になった頃、何もなかった自分を言葉に出来たようで、僅かな自信が戻ってきた。
・関わりの中にしか自分は存在しない。完全に一人になることもありえない。
・出来ると思ったときも、勢いよくいかない。勢いがあるときほど転んだときの怪我は大きい。
・周りにあるものすべてが教えをくれる。多角的な世界をとらえる。決めつけない。
・太陽の光は温かいから身体にいいに決まってる。
・所属の中の自分を持っていることが一番簡単な孤独の回避。
一部の抜粋ではあるが、こんな感じの事を書いていた。
ほとんどは簡単な図解だったので、もう少し簡素なものだ。

社会復帰には一歩近付いたが、依然大学の単位は取れていない。
それでも前進の感覚が持てたので、母に対する申し訳無さはあったが、不思議と不安は減っていた。
たくさんの人の助けもあって、僕は3月頃から児童館でアルバイトを始めた。

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