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うつを乗り越えるまでの話④

社会人1年目
家電の配送設置の仕事は今まで関わったことのない雰囲気の人と働く職場だった。
わかりやすく言うと、元スポーツ推薦、ヤンキー、力自慢しかいなかった。
何故もやしのような私が雇って貰えたのかわからない。学生の頃だったらクラスはおろか、学校すら違うレベルのカルチャーショックだった。
これまでパワーが支配するコミュニティに所属したことがなかったので、非常に勉強になった気がする。
そして仕事である以上は力だけではなくて、まじめにやる、覚えが早いということが大きな価値を持ち、私は結構大事にしてもらえた。
配送設置も結構奥が深いもので、超重量の物を細かな隙間の中を運んでいくには、頭と力両方必要になる。
2tのトラックで普段入る勇気が出ないような細い道を通っていくのも曲芸を見ているようで面白かった。
外で声をかけながら抜けていくんだけども、トラックの荷台の左右の隙間が合計10cmないような道を抜けたときは先輩とハイタッチをした。
楽しかった思い出もあるのだが、配達が少ない日はそのまま休みになり、給与がそのまま減ったり、単純に関節と腰を痛めて続けることができなくなり、3ヶ月程度で辞めることとなった。
短い期間ではあったが、肉体労働は精神が落ちにくいというのはとても良い発見だったと思う。

そこから少しプー太郎をして、半年間の公共職業訓練を受けさせていただいた。
これからどんな仕事につくにも役に立ちそうだと思い、上級Webクリエイターという大層な名前の資格が取れる訓練を選んだ。
HTML、CSSの基礎、フォトショ、イラレ、フラッシュやらを勉強させていただいて、何とかコードの入力のテストもクリアし、
上級Webクリエイターなる資格を頂いた。その次の講座からHTML6がメインになって随分と質が変わったらしい。切ない。
とはいえ基本的な理屈を教わったことはとても役に立った。
最低限の生活資金を頂きながら勉強させてもらえる非常にありがたい時間だった。

しかし、のほほんと学校に通うことができるだけで社会復帰出来たと言えるのか?
同期の仲間は社会人4年目に入っている。普通の社会人として、経験を積み上げているのだ。
その焦りは日に日に増えて、精神が沈みそうになったが、沈み切る前に就職が決まった。
ブラックと名高い注文住宅の営業である。
入る前は世間でブラックと言われる業界で仕事ができれば、社会復帰出来たといえるだろう!と考えていた。

社会人2~5年目
週6日労働で朝は8時前に出勤し、帰りは終電くらいではあったが、同期は楽しい仲間だったし、たまの飲み会も楽しかった。
しかし直属の上司とは全然合わず、かなり険悪な日々をすごしており、そういうしんどさはあった。私たち新人は固定給で、会社の先輩や、上司は低い固定給と歩合給で働いていたので、今となっては仕方なかったのかもしれないと思う。
最初は1年程度、お客様用の土地情報の収集をしていた。
このエリアでは知らない不動産屋はないというくらい不動産屋をまわって、実際土地を見に行った。
ここで色んな人と関わって勉強させていただいたと思う。
真摯に仕事をされてる人との出会いはもちろん、守銭奴の不動産屋さんも、新人をなめてかかって試してくるおっさんもいた。
たぬき親父が多い業界、新人にはなかなか情報は集まらない。上司にボロカスに言われる日々。
そんなある日の飲み会で同期が暴れたのを取り押さえている時に涙がめちゃくちゃこぼれてきて、あー、受け止めきれない量のストレスを受けているんだなと初めて気づいた。
それからすぐ、怒られると強烈な眠気が襲うようになった。

まずはカフェインの錠剤で対処した。
しかしカフェインは眠気を取るわけではなく、微睡んだ脳みそはそのままに眠れなくするという感覚だった。
根本的解決にならない上に強烈な尿意と組合わさり、短いスパンでトイレに行くようになった。
そこからトイレに行けない環境になると、強い尿意が来るようになり、かなり行動に制限がかかるようになった。

そんな状態ながら、2年目にはお客様を貰えるようになり、営業としての仕事をさせていただくことになってしまった。
ここでクソみたいな上司から離れ、鬼の営業部長としてゴリゴリやっていたけども丸くなったおじいちゃんが上司になった。
営業のことをたくさん勉強させていただけたし、「理屈で人は動かない、感情で人は意思決定するんや」という言葉は今でも仕事のベースとなっている。
めちゃくちゃボケてる時もあったが、本当にいい上司だったと今でも思う。
お客様の案内もお客様のトイレ、飲み物休憩と合わせて、自分も行かせてもらえて、かなり快適にさせていただいた。

しばらくすると仕事の移動は完全に一人になり、電車での移動がメインだったので、移動中すべて寝ることで睡眠の問題は解決し、
トイレも行き放題だったので心配はなくなっていった。
そこからその上司と自分だけの部署に後輩が来て、研修担当をさせていただいたことで研修の質を認めていただき、新制度についての社内全体の研修もさせていただいく事になったりした。
結構な自信につながったとは思う。睡魔と尿意というハンデがある中、上司が本当にうまく使ってくださったのだと思う。
その自信は営業にも生かされ、最終的に何とか半年で六棟の契約を取ることが出来た。
信用の積み重ねと、仲間との連携で契約を取るということが掴めた実感があった。
今思えばどの契約も上司や、先輩、同期、後輩みんなに助けて貰って取れた契約だったと思う。
自分一人では出来ないことがちゃんと周りとコミュニケーションを取ることで出来るようになる。これがとても大きな自信につながった。
これで十分に社会復帰できたと考え、仕事を辞めることにした。

次は誰もが知ってる会社で一回働いてみようと思った。
これで家族も親戚に顔向けが出来る。息子が社会復帰したと言い切れる。
改めて就職活動をして、某コンビニチェーンの本部社員として働くこととなった。

社会人6年目〜

ここでは結局5年ほど働くことになる。睡眠障害が発見されたり、店長として働く中で仕事を見直す転換期があったり、非常に勉強させていただいたのだが、もうこの仕事の途中で「あっ、俺はうつを脱したんだな」と心から思えたので、ここをゴールとしようと思う。中身は普通の会社員なので、また別の機会にお話します。

今現在

そして今は昔の自分みたいな人をサポートしたいと思い、居場所作りについて調べて出来ることを考えている。

それが仕事につながればいいなと思う反面、難しさも見えてきた。その中身をまたこちらに書いていこうと思う。

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