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[第十五話]簿記検定と選抜大会。簿記と弓道。

1年生の時。
T監督に

高校生は勉強が本分だ

と言われた。

私もそう思う。
だけど、そうは思っても”やらなかった”のが、当時の私。

主要5科目の存在意義が分からなかったし、自分が在籍していた学科の専門科目も、パソコンの授業以外、ことごとく落ちこぼれた。(半分はパソコンだったので救われた、とも言える。)

芸術系や体育などは常に5段階評価は5で、順位も上位をキープしていたけれど、私の母校でそんなものが得意でも、何の役にも立たない。
しかも、当時は音楽なんか二度とやらないつもりでいたので、本当に無意味だと思っていました。

理解ができないから、やる気がない。
簿記の教科担任も、授業でプリントだけ配って、説明なし。

“将来、それを仕事にしなければ問題なし!!”と、社会のことを何もわかっていなかった、ただの口だけが一人前のクソガキは。
文字通り、部活しかしていませんでした。

両親も両親で。
小学生くらいまでは”勉強しなさい”と言っていた気がするけれど、高校に入ると、何も言わなくなった。
“留年はしていない”ので、なーーんにも言われなかったです。

成績は資産だとは言われたけど、資産になる程の学力は、妹達と違って備えていなかったので、初めから諦めていましたし。

そんな感じで、ガッツリ勉強を疎かにしていたある日。
選抜大会予選のメンバー発表がありました。

国体選考を兼ねたその大会。
そこに私の名前はありませんでした。

選手層が非常に薄いチーム。
つい最近の練習試合までは、大前おおまえ落ちおちたちに入っていた。
選抜大会は、落ちで入るものだろう…と、思ってしました。
久しぶりに見た、自分の名前が記載されていないメンバー表…
いくら下手くそでも、せめて補欠かマネージャーくらいになっていてもいい所ですが、それすら無く、マネージャーは確か男子部員の名前が書かれていました。

その頃、射は大きく崩れていたし、早気はやけにもなっていたし、的中率も著しく落としていた。
ついに、T監督から見放されたのか?と、悔しくはありました。
仕方がないと思いつつ、ショックがデカすぎて、何も考えられない。

だけど、後輩の目の前で暗い顔はあまり見せたくなかったので、張れるだけの虚勢を張って、アホヅラかまして、腹の中では自分の射技の事をめちゃくちゃ反省しながら、その日の練習も参加していました。

だけど頭の中では、ガチ凹みしていて、全く集中できなかった事を覚えています。

そうこうしているうちに、自分と同じ学科の部員全員…といっても私含め2人が監督に呼び出されました。

そして、道場の外で3時間、こっぴどく怒られた挙句に、部活謹慎を言い渡されてしまいました。

以下、選抜大会メンバー外された理由と謹慎理由と、怒られた内容。

弓道の実力ではなく、簿記検定と大会が重なっていたことを監督に報告しなかったので、大会メンバーから外し、当日の参加は許可できないと説明されました。

そして、簿記検定終わるまで、補習最優先。
補習が終わるまでは部活禁止。
※当時の母校は、簿記検定の前になると1日最低3限分は簿記の授業に変更になり(1日5〜6限授業)。授業が終わった後は、全員強制参加の補習(18:00とか18:30まで)で、拘束されるという…私にとってはこの上なく地獄なカリキュラムをこなさなければならなかった。(←それでも私という人間は、やってるフリして時間までボーッとしていた、大馬鹿者なのです。)

T監督「高校生は、勉強が本分。それでなくともお前たち商業系は、資格をとってなんぼなのに、日商簿記検定と(県選抜が)被っている事をどうして相談しに来なかったのか。到底、俺には理解が出来ない。
俺は(検定と重なっていること)知っていたから、お前達が相談に来るのを待っていた。きちんと相談してくれれば、担任説得して大会に出したし、大会のメンバーの提出も締切時間ギリギリまで待っていたのに、とうとう今日(大会申込締切)まで、相談に来なかった。これで、部活優先にしなさい、なんて、言えないよ。
今回は、仕方がないから、簿記検定を受けてきなさい。次こういう報告しなかったら、お前たちは二度と立ちに入れないからな(怒)」

今思えば、当たり前のことですが、当時は子どもだったので、割と不貞腐れていました……

しかし、私はその回の簿記検定では、開始20分でバックレて、クラスメイトと近くのカラオケで時間潰しをしました。

簿記検定とか…受かる訳ないでしょう……と、落ちこぼれの会。
普段はクラスメイトに誘われても断っていたカラオケ。
いつしか誘われなくなっていましたが、久しぶりに誘われたので、その日は思いっきり歌って騒いで帰りました。

まさに”憂さ晴らし”とは、この事を言います。

当然、簿記検定は落ちる訳ですが、なぜかそれについてはお咎めはなし。


また、ある時の高2の冬。

T監督の校内放送「2年1組の0w0(仮)。至急、国語科まで来なさい。(既に声がキレている)」
※T監督は国語の先生
かなり惚けながら、国語科の教員室の扉を開けると、T監督が顎で「(廊下に出ていろ)」と。

開口一番言われました。

T監督「お前、二度と部活来んな。」
0w0(仮)「はぃ……???」

T監督「簿記のテスト5点…って……それで部活やります、とか、あり得ないだろ。」
0w0(仮)「(あー……確かにそんなのあったなぁ?)」
T監督「H先生(担任)が、補習と再テストするからって、わざわざ俺のところに来たんだよ。」
0w0(仮)「(…あの…クソ担任……余計な事を…)」
T監督「とりあえず、満点とは言わないよ。95点以上取れるまで、お前、部活謹慎。何か言いたいことは?」
0w0(仮)「(95点とか無理でしょ?)いいえ。ありません。」

幸いにも、一発でT監督の提示した95点はクリアし、無事に部活に戻ることはできました。
当然、戻った時には、同期部活メンバーには散々冷やかされ、後輩にかなり心配されました。

大前「0w0(仮)先輩、心臓に悪い事しないでください!!」
0w0(仮)「心配してくれたんだねー。可愛い、可愛い。」
大前「当たり前じゃないですか(怒)」
副部長「大前、0w0(仮)はバカだから、気にしない方がいいよ。」
0w0(仮)「そうそう。」
大前「もーーーー(怒)」

部活に戻ると、大前は部活謹慎食らった事をすごく怒っていて。
ちーちゃんの方は泣きそうな顔になりながら、

ちーちゃん「0w0(仮)先輩いなくなったら、どーしようかと思いました。困ります。」

なんて言ってくれている。

こんな不甲斐ない先輩……この子達に必要なのか?
私は自分の先輩が引退して以来、何度も、何度も問答して来た。

自分が引退した後も、自分なんぞいても居なくても、変わらなかったのではないか?と、思い続けていました。

それでも、こんないい子達。後輩が可愛くない訳がない。
いくら自分がしんどい状況になっても、それを悟られたり、見せたりするのは絶対に嫌だ!!

本当は、泣きたくなる場面や、愚痴りたくなる場面……弱音を吐きそうになる場面は、本当にたくさんありました。

本当に幼稚だったので、理不尽だと感じること、
理解できないこと。
感情のコントロール。
些細な言葉に過剰反応してしまったり、
ポーカーフェイスを作り続けるのが、今の何倍も難しかった。

だけど、せめて、自分が勝手に凹んだり、不調になったりして暗い顔をして、心配をかける様な事だけは絶対にない様にしよう!!
と、思いつつ……

やっぱり勉強はやる気にならなかったです。
そして、馬鹿でアホで幼稚な私は、この後もどんどん…どんどん……学校生活は堕落していくのでした。

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